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喫茶喫食

「人生の意味よりも、人生そのものを愛するってことだな?」






スマホ見ながら平気で階段とか駅のホーム歩いてるやつ、
全員転べよ。前見ろタコ。
おまえの思考停止の牛歩につきあってられるほど私は暇じゃない。
おまけに靴紐までほどけちゃってるやつ、
大事故になる前に平地で転べよ一回。

私はカッコつけ自意識がカンストしてるから
あんな「私は視野が狭いです」と文字通り、
体現するような真似は恥ずかしくてとてもできない。
"他人の視線に怯えずに、のびのび生きよう"
これはその裏面なのかもしれない。
"移動時間も無駄なく・楽しく"
世界がひっくり返るときは一瞬で、いつか
歩きスマホの方が"常識"になる日が来るのがまじで怖い。
そんな時代なら私は末席にも居たくない。
でもその頃にはスマートグラスが普及していて、
いくらか視野が広がってまだましになってるかもしれない。
そして現実と非現実の境界線にいよいよ意味がなくなり、
『生身がアバターになる』
テクノロジーの進歩は目覚ましく法の整備が追いつかない。

バブル期の映像をテレビで観たとき、
いまとあんまり変わんないような感じがした。
人間の行動原理はほとんど変わらなくて、
道具が変わっていくだけなんだろうと思った。
SNSはお立ち台みたいだし、
魔女狩りも身分制度もやっている。
退屈した人間がシステムに吸い寄せられて、
ドーパミンを買い漁る。

悲しいニュースが毎日あふれていて、
もしかして世の中は良くなってないんじゃないか?
と不安になる。
でも、もっと昔はたくさんの悲しい出来事が
情報として表に出ること自体あまりなく、
無秩序の闇に呑まれていたのかもしれない。

世界中が争っていた時代も、あった。
それが正義ですらあった。
以前より良くなったところはたくさんあるし、
まだ解決できていない問題と
新しく生まれた歪みのしわ寄せもたくさんある。
揺れていて、完成しない。それも人間の変わらなさだと思う。

何ヶ月か前からやってるスマホゲームがある。
終わりがない、ひたすら陣地を拡げるだけのゲーム。
何も手元に残らない。
まあまあ楽しい。
カラフルな単純作業に没頭していると、意識が分断される。
"いまここにあるものだけを見る"
リラックスといえばそうなんだろう。
誰も傷つけないし、私も傷つかないし、時間は過ぎる。

これを幸福というのなら、

やっと刺激に飽きてきて、アプリを立ち上げる頻度が減った。
情報の食べ過ぎで疲れた脳味噌に、
強めの胃薬を流し込んでる感じだ。
感じだなぁ、と書いていて思った。
いまもそう(胃の話なんだけど)食べたいものがありすぎて
白湯だけ飲んで休めたりせずに、
ついつい胃薬で痛みを緩和してやりすごしてしまう。
井戸に降りる時間が必要だ。
私はたぶん井戸にいる時間が好きだから。

この、文章を書くことの没頭と、
スマホゲームの没頭に優劣はない。
誰かの気に障る可能性がない分、ゲームの方が上等かもしれない。
他のものに目が行かないほど、
狂って死んでしまうほど、
文章を書くのが好きだったらいいのになぁ。
そうでない自分を生きるのも、やっと少し楽しい。

「自分の機嫌は自分で取る」という言葉
はじめは、
どうしたってままならないこの世界をサバイブするための
切実な、血の通った金言だったと思う。
それがいつしか蔓延し、
中身のないカラカラの文字列だけがばらまかれ
「自分の機嫌くらい自分で取れよウザ」
とできない人を嘲笑うムードに変わっていった気がする。

だから嘲笑われる側に回ろうと思った。
さっぱりして気持ちのいい言葉が歓迎されてるんなら、
じっとりして気持ち悪い言葉をもっと書くことにした。
私は10代も20代も周りから浮いてて、ダサくて鈍くて頭が悪くて、
常識はよくわかんないし、流行にはついていけないし、
学校とか職場でもずっとスベってて、
孤独だったしつらかった。
いつのまにか、堂々と時代遅れでいてもいい年齢になった。

私も世界も常に揺れて移ろいゆく途中で、
この瞬間のすべてはいまここにしか存在しない。
不安がぶくぶく沸いてきてどうのこうのと思うけど、
この先どんな時代になろうが
それはそのとき現役のやつらに託すしかない。