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タオルで目を覆い、仰向けの姿勢でじっとしていると、自分が両手を体の横に置いているのか、腿の上に置いているのかわからなくなった。ひざを曲げているのか、伸ばしているのかわからなくなった。いま手足があるのかどうかもわからなくなった。
とても心地よかった。
心も同じようにできたらいいのにと思ったのだけど、はなから目に見えない、形のないものと認識しているせいか、変化のこつがわからない。
ほんとうは、もうなんにもしたくない
夜になって時間が足りなくなり、起きなかった二時間をいつも後悔する。ひとしきり後悔したら、次の日もまた同じことを繰り返す。
夢を見ている最中に、こんなに自分が嫌になることはまずない。なぜかうじうじしてなくて、明確な目的意識を持っている。そのくせ起きてから夢で見た自分の不始末にまで落ち込むなんて不思議だ。
私の怠惰怠慢はたぶん生まれつきだ。悪循環も堂に入っている。いちいち自分を責めていてはキリがなく、自堕落ありきでやりくりしなけりゃ立ち行かない。
何に追い立てられているのかわからない。
がんばりたくないけど、「ダメ人間」とも言われたくない。誰かにそう言われるに違いない、思い込みの地獄に耐えられない。
役割があるから最低限の仕事はしなきゃいけないし、ある程度は健康を維持しなきゃいけない。というか、それ以上は全部自分次第で、「こうでなきゃいけない」なんてものはひとつもない。
ダメかどうかは他人の尺度で、自分が良ければそれでいい。でも人はひとりでは生きていけない。一歩外に出れば、そこらじゅう足の踏み場もないほど他人の尺度が転がっている。
こいつの命も平等かよ? と思うような胸糞悪い奴もいるけど、それも私の尺度でしかない。きっと善悪も優劣も通用しないくらい、命とは情け容赦なく平等なのだ。
矛盾した二つが、矛盾なく同時にある。
命は平等であり命は平等でない。
ものすごい金持ちなら、命をふたつ買えるかも。
「自分に自信が持てる」みたいなことに依りすぎるなよ、と思う。
美醜とか、努力とか、成長とか、結果とか、何かを上乗せすることで自分の価値が高まると錯覚させるのが搾取を企む連中の常套手段だから。「輝け」という強迫観念。
価値と無価値の諸刃を振るって、出所のわからない審美や正義に何度も呑み込まれてしまう。私は良しも悪しもなく、ただ在るだけのものなのに。
取り柄があるから生きてるわけじゃない。
生まれたから生きているのだ。
死が私を抱きしめにくるまで。
「ダメなところも認めてあげよう」も「できてるところを褒めてあげよう」も効かない。無闇に言葉にすれば、矛盾した二つにすり潰される。
自己否定は鎧だ。そうしないと正気を保てないくらい弱っている。どう這っても他の場所までたどり着けない。そんな日もある。それだけだ。
"確認欲求"という言葉が出てきて、興味深かった。"予測が当たる"という体験が脳にとって快感なのかもしれない。
こんなに生きててつらいのに、どうしてこんなに死ぬのが怖いんだ。よくありたいと願うほど、よくないことが生まれて足を取られる。
矛盾した二つが、矛盾したまま同時にある。
「弱くて結構」矛盾の間に、
言葉を超えた道がある。
無様でも、薄っぺらでも、薄汚くても
生きなくては。
本物のごみにならなきゃいけないんだ。
このところ妙に、自分の身体に体毛や毛穴があるのを見ると「かわいいな」と思う。
しかしそれだって程度の問題だ。
カウンターだ、逆張りだ。そう思うと虚しくないか?
美しい個体に需要があるのは、命の仕組みだろう。より強い遺伝子と交配したい、動物として当たり前の本能だと思う。それはそれ、順位をつけるのも構わない。
「命ある限り美しくありたい」ドラマで観た、素敵なセリフだった。
"美"とは本来、人の心を癒し命の活力になりえるもの。
忌避せず楽しめ。"欲望"とは本来、命そのもの。
でもほんとうに自分が求めているものが何なのか、なんて到底わかりゃしないのだ。外側に世界らしきものがあることで辛うじて自己らしきものを認識できている、ような気がする。
錯覚だ、蜃気楼だ。命は寂しい。
過ぎ去った不快な記憶、粉々に割れた言葉の破片、降り積もってできた名前のない図形は風に吹かれれば跡形もなく消える。
自分という認識も、記憶も、感情も、捨て去りたくとも、それらすべてなくなればいまここにある私も消える。
それはもう別の何かだ。「楽になりたい」と願う私が楽になる日は来ないのか?
ふざけるな、そんなわけあるか。
自分自身をも騙すハッタリをカマす。
人間の世界に疲れたら、毛なしの毛皮を脱いでオオカワウソに戻るんだ。
オオカワウソの身体の中には宇宙がまるごとひとつ入ってる。左胸に浮かぶ銀河の中に、私の暮らす星がある。
文章を書くことも、惰眠も、スマホゲームも、時間は平等に過ぎ去り、いくばくかの肉体疲労のほかには何ももたらさないところも同じ。
先日ふと気づいたのだけど、私が死んだら誰かに引き継ぎを頼まなければ、ここに書き続けてきたものすべてアカウントごと消えるのではないか。
不変のものはなく、完璧なものもなく、確かなものもいまはもうない。
気楽にやろう。