日々、賢者であれ

心を引き裂き、切り刻み、油をかけて火をつけるのだ。そうでもしないと私の人生には何の価値もないんだと思うと、たまらなく興奮した。
野犬のように唸りながらまちを彷徨う夜が私にもある。

子供の頃から自分にさまざまな別の名前をつけていた。
本名は響きがダサくて嫌いだったし、親がつけた名前であることも気に入らなかったし、画数がよかったとかいう名付けの動機もサムかったし、とにかく別の名前になりたかった。
別の何かになりたかったのかもしれない。ダサくなくて、サムくない何かに。

まだ若くて深刻にくすぶっていた頃、どうしても人に誉めてもらいたくて何かを作るようなことをしていた。私のよくなかったのは、賛辞の先に求めたのが人に受け入れられることではなく、人に見上げられることだったところだ。周囲の人をみんな馬鹿にして見下していたから、自分の認知と現実をすり合わせるためにはどうにかして「あの人はすごい、特別だ」と見上げてもらわなくてはならなかった。だから批判されることも、ましてそのために自分の身を切ることなど許容できるわけがなく、楽々ふんぞりかえったまま指先でちょっと言葉をかき混ぜただけで高尚ぶって、何かを創った気になっていた。創るというよりも自分を飾るようなことをずっとしていた。誉めてほしかったのは作品ではなく、作った自分の方だったのだ。

認められたいという欲求はもちろんあっていい。動機の一部として持っていていいし、強いエネルギー源にもなる。でも他人の鼻を明かすだけのために何かを生み出すみたいなことをしていると、いざ誰かに「つまんないね」と言われてしまった時、私にはなんにも残らない。

私は、価値が欲しい。
価値が欲しい。
価値が欲しい。
価値が欲しい。
価値が欲しい。
誰に何を言われても揺るがない、どんなすごい人を見ても崩れない、何を失っても消え去らない、自分だけの、絶対的な、私の目にしか見えない価値が欲しい。
人に誉めてもらえなくていい。
誰の心にも残らなくっていい。
自分の命の底から「やってよかった」と思えることをしたい。

【みずきけい】は私のリミックスだ。
このような形で私は私を、この世界に差し出そうと思った。
表現とは、世界に自分を差し出すことだ。

宴もたけなわ、
Firefighter, 貴方の言うだ。私のしようとしていることは。
ここに直接書くのは憚られた。まさにその"三文字"をいつも心に思っていた。

温かい泥に沈みかけ、何度も足を取られながらここまでやってきた。
そういえば、私をこの場所まで運んできてくれたのも貴方なのだった。そう思うとなんだか不思議な気持ちがする。