ZOO

夢で見た女の子に恋をした。彼女はキリンであった。背中のファスナーを降ろして人間の皮を脱ぐと、彼女はキリンであった。

「だからごめんなさい」彼女は楚々と言った。
「いやそんなの僕は」
「ごめんなさい」ズボンを脱ぎかけた僕に彼女は言った。僕の顔ははずかしさでパンパンに腫れた。ほんとうに夢かと疑うほど、ずしんと胸が痛む。

人の皮の内側は赤ピンク色でぬらぬらしていて、彼女の肌の模様も薄ら同じ色にてらてら光っている。

「ながいのよ、首が」

ちいさなまるいテーブル。ちいさなまるいお菓子が載った繊細な模様の食器たち。はじめて嗅ぐ、複雑な香りの紅茶。
大人っぽい。その気持ちにぎゅっと奥歯をかみしめる。お茶に手を伸ばそうにも、膝の上で強く握られたこぶしをうまく開けない。

「脚が2本でバランスを取れるのはいいけど、肩から上は少し窮屈ね」

悲しい顔かわらってるか、ここからじゃ少し遠くて見えない。
首を下げてカップに寄せるより、背筋をまっすぐ保ったままカップの方を口に近づけるのが美しいマナーとされる。どうやって飲むのそれ?

近くで顔が見たかった。ばさばさ長い睫毛と、ほとんど黒に見えるくらい濃く深い紫色の瞳。その距離で見つめ合ったらキスしてしまうかもしれない? その妄想が火のついた台風のように心をかき回すから、思わずぎゅっと目を瞑る。頭の中にあるイメージは目を閉じたって見えなくならないのに。
僕は別にキリンが(または人間以外の動物が)恋愛対象なわけじゃない。一応そこだけ断っておく。彼女には絶対に隠し通すつもりだけど…… どちらかといえば人間の女の子がいいなぁ。でも好きになった女の子がたまたまキリンだったとしたら、僕にはどうしようもないじゃないか。


次の祝日、僕はひとりで動物園に行った。
まだ動物園ではしゃぐんだとか親に思われたくなかったし、友達にここに来た動機を知られたくもなかった。
まあでも実際僕は動物園で結構はしゃぐ。もともと動物は好きだ。動物ってどれもこれもあまりに違ってて面白い。だから理由は妙だけど、ひとりで動物園に来られたのが単純に嬉しかった。まだまだゾウだのテナガザルだのを見て「うおー!!」って言いたいのだ。

園内はそれほど混んでなかった。昨日まで雨の予報が出ていたせいかもしれない。空は一面雲に覆われて蒸し暑かったけど、雨はまだ降っていない。

誰の目もペースも気にせず好きに動物を見て歩く。ただビスケットの端っこがかじられたみたいに、頭の片隅だけどっかに飛んでた。なんでこんな事してるのかって急に自分でばからしくなる。いや、なってしまわないように、頭の片隅を飛ばしてたんだたぶん。僕は明らかに変な事をしている自分を許してやった。

孔雀!白いのもいる、超かっこいい。
ペリカン。フラミンゴ。
ばくの鼻先。でかい牛みたいのは臭い。サイ!サイはいいなー。
ネコ科はやっぱりかっこいいし、かわいい。虎がごっつい骨を齧っている。
楽しいけど、全部じっくり見てたら時間がたりない。それに天気が持ち堪えるかも気がかりだった。土砂降りにでもなったらなんだかせつない。
いちおう順路に沿って目的地へ向かう。入口で配ってた地図を見ながらそわそわ、急ぎたいような足踏みするような、びみょうな気持ちだ。そこへ行ってどうしたいのか、自分でもわからない。でもとにかく来てしまった。
何度目かの「まーいいじゃん、別に。」


急にどきどきしはじめた。国境線が引いてあるみたいに、一歩踏み込んだらそのテリトリーだとわかった。手足の先らへんから血液が逆流して身体の中心に集まってくる感じがする。どうしよう、無駄に顔が赤いかもしれない。はずかしくなって下を向いたまま、勢いをつけて一歩二歩と跳ねる。着地点。視界のアングルをぐっと前方に振ると目の前に、キリンのエリアがあった。
僕が歩いてきたのはゆるやかな登り坂で、今いる位置はキリンのいる地面よりだいぶ高い。キリンからしたら背後の壁から僕が顔を出してるように見えるだろう。気をつけながら、ちょっとだけよじ登るようにして身を乗り出す。少し見おろす形で、彼らの中の一頭と目が合った。
緊張した。自分のまつ毛からじりじりと音がする。キリンは少し首を傾げたようにも見えたけど、何食わぬ顔でそのまま向こうへ歩いていってしまった。

僕はなんだかひどくさみしくなった。ままならない。この世界にはいろんな決まり事があって、あらゆるものの形は生まれた瞬間には既に決まっている。すべてに境界線があり、限りがある。ちっぽけな人間の力では遠く及ばない大きなうねりに押し流されて、僕もいつか耐えきれないほど苦しい夜や、とてつもなく悲しい別れにぶつかるのかもしれない。それでもいっしょうけんめい生きていかなきゃならないんだ。それでも。
誰もが生きるために痛みや喜びを分かち合える相手をもとめている。探してる。必要としてる。でもそんな簡単には見つかりっこない。

大きく息を吸い込んだ時、僕の胸はふたたびずしん、と強く痛んだ。キリンたちに向かって叫ぶ。

「きっと僕たちはいい友達になれる」

眼球の膜がぎゅっとしびれて目がしみる。
僕はしっかり前を見て瞳を乾かした。

「他のどの動物にも言えない気持ちを、お互いにだけは打ち明けて笑い合える友達になるんだ」

言ってはみたけど、のんきに葉っぱをかじるそいつは僕が恋した女の子じゃない。彼女は現実世界で人間の皮を着て生活しているはずだから。
「声のおおおきな客だのおお」そんな顔してキリンは見てた。僕はぴょんと地面に降りてしばらくそのまま空を見た。みぞおちのあたりが段々ぎゅっと締めつけられてくみたいで、その感覚を振り切るように駆け出した。


園内をぐるりと回って反対側、人と同じ地面の高さに立ってるキリンも少し見た。すらりとしてとても優雅だった。
帰りに売店でキリンのキーホルダーが売っているのを見つけて、通学かばんの内側の、外からは見えないところにそれを付けた。

初恋よ、どうかまだ還らないでくれよ。
僕たちはこの地球のどこかで必ず出遭う。