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AIイラストがダメだと思う理由

これは9月1日にツイートした内容です。

今、『AIが芸術を生み出すことに反対!』と言うと、すごく馬鹿っぽく思われそうだが、
ボクはゴリゴリに反対だ。

その理由を書く。

まず、
絵とか音楽とか小説とか、
まぁ芸術というもの全般は、
無駄だからこそ良いと思う。

戦争になってヤバくなったら真っ先に切り捨てられる。つまり、社会にとって直接的には役に立たないものだ。

食べ物でいうところのお菓子みたいなもの。
ただこれは生きるためには必要ないが、
楽しく生きるために必要なものだと思う。

だからこそ、その楽しい非合理的な部分を
AIによって合理化するのはヤバいのでは?と思う。

正直、ボク自身は著作権とかの問題よりも
芸術を作ってきた人の心の整理が追いつかない内に別分野から
技術をブチ込まれることに対する嫌悪感の方が大きい。なぜなら
芸術家は職業であると同時に、
芸術家という生き方を選んだ人達の集まりだからだ。その生き方とは独自の価値観を大切にするタイプの生き方だ。(みんながそうというわけではないが、そういう感じの人が多い)
だから、芸術を作らない人たちは、
一般的なこうすれば便利!とか社会のため!とかそう言う物差しだけの議論ではなく、
ある種の人の生き方に口を出してしまうような、とても繊細な話として考えて欲しい。

芸術家もAIを取り入れたら良いものが作れるのでは?と言う意見もあるだろう。
とくに将棋とAIの良好な関係を今回のAI問題に当てはめている人も多い。けれどこれは微妙に違う。
AIは多くの棋士より強いが、たくさんのAIが大会に出て白星を上げることはないからだ。、
棋士はAIと戦って学ぶが、AIに負けて段級が下がって生活が困難になったりはしない。
けれど絵描きはAIに負けると失業する。
絵描きと同じように、将棋の大会にAIや
AIを使いながら将棋を指すことが認められれば、多分、将棋の楽しさは半減すると思う。
それは
AIが『鬼滅の刃』の鬼と同じで、時間を超越した無限のリソースを持つ存在だからだ。
疲れないし、死なないし、無限に学び続ける。でも人間のリソースは有限なので、
疲れるし、死ぬし、忘れたり、失敗したりする。

つまりAIに人間は芸術では勝てないはずだ。

そうなると
人間の芸術の価値は、人間が描いたという付加価値以外に何が残るのだろうか?

将来的に人間が生み出した
芸術を見た人の感動が

『人間って、老いたり、死んだり、疲れたりするのに、それでもここまで出来るのか!!
すげー!!』と言うタイプの感動になってしまいそうで恐ろしい。

それは今までボクたちが動物が描いた絵を見てきた生暖かな眼差しと近い気がする。

これは
象や猿が描いた絵をその事実を知らずに称賛する人が少ないように、将来的に、人間が作る芸術は、『でも、これ人間が作ったんだよ!』という言葉を添えなければ
何かヘタなものという印象になりそうで怖いのだ。

『AIが芸術を作っていても、
人間も芸術を作り続ければいいじゃん!』
と言う人もいるが、
こうした虚しさを抱えたまま
芸術の道を進む人がいると思いますか?

今、生きている世代は、まぁ創作の楽しさを知っているから、何とか踏ん張れるかも知れないけど、これからの世代は芸術を自ら生み出そうとしなくなると思う。

そろばん経験者が皆、電卓の影に苛まれたように、AIが使えるのに、わざわざ芸術をやり始める人は少数派だと思う。
技術がものになるまでの地味な練習に耐えるモチベーションを維持できなくなると思う。

写真が出た時の事を引き合いに出す方もいますが、それも違います。
写真は見たものを見たまま写すだけなので、
画家は自分の創造性で十分に戦うことができました。
けれどAIは人間よりも遥かに想像力、という点でも優れている。(今はちがっても、学習して人間の上位互換になると思う。)

始めにも書いたけど、
芸術はそもそも遊びみたいなものだ。

芸術という人類最大級の遊び場を
ずっと維持していくためにAIを入れるべき
ではないと思う。
少なくともまだ意識が追いついてないので止めるべきだ。なんでも先に進める必要はないはずだ。

『そんなの他の職業もAI化してるじゃん。』
と言う人も多いが。AIに代わることも仕方がない職業も確かにある。

ボクは巷で底辺職と呼ばれるものをガンガンやってきたので、職業差別は一切ないが、
やはり運転やレジ、ベルトコンベアのような仕事はAIにやらせても良いと思う。

それは独自性を求められてないからだ。
運転手やレジの人がいくら良い人間でも、
目的地が変わったり、レジの値段が変わることはない。これがAIになっても困ることはないはずだ。(働いてる人は当然困るけれど、
AI化とはそういう残酷なものだ。)

翻訳者も議論されているが、翻訳者は、
翻訳アプリ程度で済まされる業務メールや
説明書などの翻訳ならAIに置き換わっても
良いが、映画、文学などの翻訳は人間がやるべきだと思う。これらは独自性を求められるからだ。

つまり、ボクは独自性の有無を基準にAI化すべきかを考えている。
どの職業が上や下という下品な考えでは一切ない。

こういった職業がAI化されれば、ツラい思いをする人もいるけど、世の中的には、
かなり便利になると思う。

けれど絵や音楽や小説なんかが、AI化されて
助かる人間は本当にどの程度いるのかが、
あまり想像できない。
これもAI化を反対する理由の一つだ。

一般の人が生活の中で、自ら生み出す新しい芸術を必要とする機会があるとは思えないし、
絵ならいらすとやとかストックイラストとか無料で使える素材が山のようにある。

なんというか、今の状況は
釣り竿を垂らして、じっくりと楽しんでいる人たちの中に網を持って魚を掻っさらう人が現れた感じだ。

一見、魚がたくさん捕れて良いことのように感じるけれど、魚じたいの価値も下がるし、釣り人のやる気も下がる。(そもそも魚が欲しくて釣りをしている人ばかりではない。)

それでも、
魚じたいの価値が下がるなら安くなって良いじゃんと思うかも知れないけど、
これは魚ではなくて芸術の話だ。

そんなにジャンジャン生み出される芸術を
人間がどう楽しむというのだろうか?

サブスクで音楽や映画が見放題になったことで、時間の有限性に虚しくなった人も多いはずだ。

芸術をバンバンと雑に摂取するのは
サプリで栄養をとるようなもので全然豊かじゃないはずだ。

今の目先の利益だけのためではなく、
広い視野を持って
絵描きはAIイラストに
賛成すべきという意見も多い。

これは一見、冷静で賢い意見のように思えるが、果たして目先の利益を欲しているのはどちらだろうか?

自分はAIでバンバン絵や音楽や小説が量産され、人間の作家が減る世の中より、
AIをある程度抑制して人が創作活動を楽しめる世の中の方が長期的にみて豊かな社会になると思う。

このある程度の抑制とは、例えば広大な仮想世界を作るとか、とても人間じゃできない
クリエイティブなことには使っても良いかなと思う。

でも、とりあえず海外との競争とか、そういう目先の金銭的に豊かさより、
今ある文化を守るべきだと思う。

あと、この先、誰か巨匠のような人がAIが絵を描くの面白いじゃん!とか言い出すと思います。そうすれば、Twitterなどでは、
やはり一流の人は頭が柔らかい!みたいな
称賛祭りになるはずですが、
考えて下さい。もう、すでに価値が定着した芸術家は模倣されようがオリジナルを訴え、
非合理的な遊びに興じる金銭や心のゆとりがあるわけです。
なので懐が深く調子の良いことを言えると思うのです。
だから、誰が言っていたからではなく、
その意見を吟味して自分自身の判断をして
欲しいのです。

もちろんボクの意見に対してもですが、、

普通に生きていくのがツライ状況です。 少しでも作った作品を、評価して頂ければ 嬉しいです。