スペインの八百屋

【旅の製図法/30】『ONE PIECE』62〜68巻(魚人島編)感想文

この『ONE PIECE』感想文、いつまで続くのかというと、前にも書いたかもしれないけど既巻である81巻を読み終わるまで続く予定である。4月から始まって、24巻から一気読みしているから、なんだか思っていたより大がかりなかんじになってしまった。私が『ONE PIECE』を読まなくなったのは高校に入って(2002年頃)からだから、つまり私は約15年分の漫画を今一気に読んでいるわけで、よく考えてみればそりゃあ大がかりにもなる。15年のブランクを埋めるのは、むちゃくちゃ楽しいけどけっこう大変でした。ということをここに共有しようと思います。あと、感想文を読んでくれている人から「この人、暇だな」と思われていないかどうか若干心配である。漫喫の人にもそろそろ顔を覚えられそうで心配である。

というわけで、今回は62〜68巻、俗にいう「魚人島編」の感想だ。私が『ONE PIECE』を再読し始めたのは、24〜32巻の「空島編」と、この「魚人島編」を読むためだったといっても過言ではない。前者はパレスチナ問題を彷彿とさせる物語であり、後者はより普遍的な、歴史と民族の問題に言及している(と、考えることができると私に助言してくれた友人がいた)。

2年間の修行をそれぞれ終え、新世界に突入するため再びシャボンディ諸島に集結した麦わらの一味。コーティングを終えたサウザンドサニー号に乗り込み、深海に存在するという海底の「魚人島」を目指す。深海の旅というのは、ジュール・ヴェルヌの『海底2万マイル』を思わせるようで何とも楽しい。「魚人島」にたどり着くまでは、巨大ダコや珍妙な深海魚たちが麦わらの一味を迎え撃つことになる。紆余曲折あってたどり着いた魚人島では、人魚のケイミーやリュウグウ王国国王のネプチューンらが、ルフィたちを歓迎してくれる。

ネプチューンに招かれルフィたちはリュウグウ王国の城を訪ねるが、ルフィは城のなかで仲間たちとはぐれ、1人ネプチューンの娘である人魚の「しらほし姫」と遭遇する。しらほし姫は美しい代わりにとてつもなく巨大な人魚なのだが、このしらほし姫の上で飛び跳ねるルフィの様子はスウィフトの『ガリバー旅行記』のようだ。そして、ペドロ・アルモドバルの映画『トーク・トゥー・ハー』の作中作である無声映画を思わせるようで少々エロティックでもある。『トーク・トゥー・ハー』に出てくる無声映画では、手の指サイズに縮んでしまった男性が恋人の女性器のなかに潜り込み、彼女に快感を与えるという意味不明なシーンがあるのである。まあ、ここではその話は置いておく。

ここ魚人島編で描かれるのは、最初にもいったように人種差別の問題、そして歴史の継承の問題である。魚人は人の何倍もの力を持っているけれど、人に比べるといかんせん数が少ない。そのため、歴史上いつも差別の対象となってきたことを、魚人島を訪れたルフィたちは初めて知るのである。シャボンディ諸島で魚人や人魚のオークション、人身売買があったように、魚人たちは地上ではその存在をおびやかされる。彼らは、海底にそびえるこの魚人島に追いやられて生活しているというわけだ。

ところで魚人といえば、8〜11巻に登場したナミの故郷、アーロンパーク編を読んだ人はけっこういるだろう。アーロンパーク編でココヤシ村を支配していた魚人アーロンはもちろんこの魚人島出身である。8〜11巻ではまがうことなき悪党だったアーロンだが、ここでナミは、「差別を受けてきた魚人」というその幸福とはいいがたい生い立ちを知る。尾田栄一郎がどれくらい先まで後の展開を考えて物語を作っているのか知らないが、8〜11巻の時点でこの魚人島の話を少しでも思い付いていたのなら、すげーなと思う。もちろん思い付いていなかったとしても、あのアーロンパーク編で登場した「魚人」というモチーフをここで再登場させるアイディアはなかなかのものだと思う。ルフィは海賊王になるため、「ひとつなぎの大秘宝」を探す旅をしているが、世界を巡り、さまざまな人に出会い、かけるメガネを都度変えて世界を見ることで、やはり世界の様相はそれまでとは異なるものになってくるのである。ココヤシ村の悪党であり加害者は、ここ魚人島では差別の被害者だ。

ネプチューン国王の娘であるしらほし姫は、バンダー・デッケン九世というマトマトの実の能力者に求婚されているが、その申し入れを受ける気はない。バンダー・デッケン九世の能力は触れたものすべてを的(しらほし姫)に命中させてしまうというものだが、その能力を利用して、彼はしらほし姫にストーカー行為をはたらいている。バンダー・デッケン九世を恐れて城からの外出が困難になってしまっていたしらほし姫だったが、迷いこんできたルフィに、実は母の墓があるという「海の森」に行ってみたいのだと打ち明ける。ルフィはそれを承諾し、彼女をバンダー・デッケン九世の目から離し「海の森」へ連れて行くと約束する。

「海の森」に墓があるしらほし姫の母「オトヒメ」は、生前、差別されてきた魚人と差別してきた人間の間で和解を進めようと、署名運動などを行なっていた英雄的人物であった。彼女は武力による闘争は何も解決しないと訴え、ひたすらに平和的和解をしようと考えてきた人物だったが、志半ばで何者かに射殺され「海の森」に眠っている。

オトヒメに対して、世界政府の本拠地であるマリージョアを襲撃し奴隷解放を行なった、これも今は亡きフィッシャー・タイガーという人物がいたこともここで明らかになる。目的は同じ〈魚人の差別解消〉であるが、穏健派のオトヒメと、過激派のフィッシャー・タイガーがいたと考えるとわかりやすい。目的が同じであるならば敵対しないように思われるが、この穏健派と過激派の間にも、しばしば争いが起こる。その様子は、現実にある国際問題とまったく同じだ。

このエピソードから私が思い付くのは、1993年、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で結ばれた「オスロ合意」である。イスラエル・ラビン首相とPLO・アラファト議長が握手を交わしている写真が有名だが、このオスロ合意によって、イスラエルとパレスチナの間の和解は進むかに見えた。

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