【日記/9】タダより高いものはない
2016年に入って早々、いたるところで、コンテンツの有料化についてが話題になっているようだ。この流れがどこまで続くかわからないが、年明け早々というところが、なかなか象徴的であるようにも思える。
今回はそのあたりについての個人的な雑感を記すが、もちろん私はそういう系の専門家ではないので、あくまで個人的な雑感を記すまでである。なんといっても、これは日記なのだ。日記と銘打てばなんだって書けるぞ。
さっそくだが、私はコンテンツの有料化については大賛成だ。もちろん、すべての情報が有料化してしまうと困るのだが、そこまでの流れにはならないだろう。インターネット上の情報が、一部有料化する。異論なんてあるわけがない。繰り返すが、大賛成だ。
「なんだこいつ。自分も有料化の波に乗って、小金を稼ごうとしているのか?」
と、勘ぐった方もいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。私が大賛成するのは、情報の発信者としてではなく、受信者としてである。以下に、その理由を述べよう。
思い浮かべてみてほしい。
あの人のブログ、あのウェブメディア、あのウェブ漫画。無料だからこそ、リンクをクリックして閲覧していたのではないか? たとえたった100円だとしても、もし有料だったなら、あなたはそのリンク先を閲覧していただろうか? 5分、10分と時間をかけて、記事を読んだだろうか?
100円払ってでも読んだ、と思えるような良質な記事もなかにはあっただろう。しかし、もし100円も払わなければならなかったのなら読まなかった、という記事だってあったはずだ。無料記事は、クリックをためらわせない。しかし、有料記事は、クリックをためらわせる。それが、私が情報の受信者として、コンテンツの有料化に大賛成する理由だ。
ダラダラとインターネットをしながら、100円も払わなければならなかったのなら読まなかった、と思うような記事に費やしていた5分、10分を、他の時間にまわせるようになる。これを歓迎しない理由は、少なくとも私にはない。
素人の日記、素人の雑感、素人の書評、そんなものに金を払うやつなんていない。私の場合は、たとえ有名人だとしても、いつどこでだれとランチを食べたかなんて興味ない。それが村上春樹レベルの作家だったとしてもだ。もし本格的にコンテンツ有料化の波がやってきたとしたら、早晩、多くの人はそのことに気が付くだろう。
すると、どのようなことが起こるだろう。素人の日記なんて、たった100円でも売れないという当たり前のことに気が付けば、書き手は、それになんとか100円以上の価値を持たせようと、内容を工夫するしかない。それができない書き手は、諦めて無料の場で記事を書き続けるしかない。書き手側の二極化が起こるかもしれない。
もしくは、どんな工夫を凝らしても、やっぱり『ウェブはバカと暇人のもの』であり、コンテンツを有料化するなんて無理だった、という結論が出るかもしれない。そうなったらそうなったで、インターネットはこれまで通り、「無料」という独自の文化をどこまで磨いていくかを、考えていくことになるのだろう。
私個人としては、前者の未来を支持したい。タダより高いものはない。著者が同じ素人でも、タダの日記を読むのに10分費やすのなら、100円払ってその人渾身のコンテンツを読むのに、同じ10分を費やしたいのだ。「100円も払わなければならないのなら読まなかった」と思うような記事に費やす10分を節約できるようになる未来。情報の受信者として、こんなに嬉しいことはない。ちがうだろうか。
ちなみに、これは素人の日記であり素人の雑感なので、無料で公開しております。ここまで読むのに、1分くらいは費やしていただけたのだろうか。あなたの貴重な1分を、ありがとうございます。
شكرا لك!