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人間の「憎悪」を描いてみたかった【創作メルティングポッド#04】

誰かが誰かに、「復讐」をする物語が好きだ。

……などというと、「こいつ、趣味悪! フォロー外そ(ポチ)」と思われてしまうことはわかっている。だけど、復讐の物語はやっぱり、いつだって私の心をどきどきさせる。なぜだろうか。たぶんだけどそれは、復讐はいつも、弱い立場の者から強い立場の者へ行なわれるからだ。私は、弱者から強者に対して行なわれる何かに、どうも心惹かれてしまうらしい。

『ハウスメイド』という、2012年の韓国映画がある。韓国映画史上最高傑作といわれている、故キム・ギヨン監督の『下女』のリメイク作品だ。オリジナルの『下女』のほうはちょっと入手しづらくて観れていないのだけど、とにかく、『ハウスメイド』は私の好きな映画だ。

あらすじは、昼ドラだと思ってもらえればいい。教養のない主人公の女が、とある金持ちの家に、メイドとして雇われる。奥様は双子を妊娠中だが、旦那のほうはこの主人公のメイドに手を出し、あろうことか妊娠させてしまう。金はいらないから子供を産みたいと望む主人公と、のちのち財産相続のトラブルになると考えて堕胎を勧める金持ち一族。毒を飲ませられた主人公は苦しみながら流産し、そしてこの一族に復讐する決意を固めるのである。

このあらすじを読んだところで改めて、「こいつ、趣味悪! フォロー外そ(ポチ)」という声がまた聞こえてきそうだが、『ハウスメイド』や『下女』がシネフィルたちを中心に国際的に高く評価されている理由は、覆せずに庶民に重くのしかかる、韓国の階級社会を描いているからだといわれている。

メイドの主人公は作品中、「私は人間扱いされなかった」と泣き叫ぶ。でも、妊娠中の奥様はちょっと嫌味だがまあまあ礼儀正しく主人公に接しているし、手を出した旦那は悪いが主人公を無理やり襲ったわけではない、合意の上でエロいことをしたまでである。「私は人間扱いされなかった」は大げさなんじゃないの、被害妄想なんじゃないの、という気もする。実際、主人公は主人公で、「バカな女だなあ」という気が拭えない。

低賃金で強制労働させられたわけでも、強姦されたわけでもない。だけど、「私は人間扱いされなかった」。私とあなたは、同じ地平に立たせてもらえなかった。理由は自分でもよくわからないのだけど、この主人公の叫びは、初めてこの映画を観たときからずっと、私の中でしこりとなって残っている。

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2018年が終わろうとしている。なんとなく、昨年の今頃から今年にかけて、私がいちばん興味があったのが、人々の「怒り」や「憎悪」といった感情だった。SNSでは常に誰かが誰かを怒っていて、日本社会のそこかしこで憎悪が吹き荒れていた。少なくとも、私にはそう見えた。

「怒り」も「憎悪」も決して美しいものではないし、気分がいいものではないから、嫌なら蓋をして見えないようにしてしまえばいい。簡単にいえば、いつも何かに怒っている人はフォローを外しちゃえばいいし、それが人間関係の都合上難しいならミュートしちゃえばいい。私も、フィクションとしての「復讐」や「憎悪」は大好物だが、現実社会で吹き荒れる憎悪の応酬を見ていると、ちょっと辟易する。皮肉とブラックユーモアと憎悪と悪夢が大好きな私だけど、基本的には、さまざまなことをポジティブにやっていきたいのだ。自分を不快にさせるものは見なきゃいいんだよ、で全然いいのだ。

「ネガティブ耐性」みたいなものは、個人差があると思う。他人のネガティブに触れるとすぐにシューンとなっちゃって元気がなくなる人は、無理しないで、あまりそういうものには触れずにいればいいと思う。でも私は幸か不幸か、この「ネガティブ耐性」がけっこうある。他人のネガティブを受けてもそこまでシューンとならないし(まあ度がすぎると辟易するが)、むしろ「なんで? なんで? なんで?」と石をひっくり返してダンゴ虫をつつきたくなってしまう。

日頃かかえている、正体のわからないどうしようもない怒り。
殺してやりたいと思うほどの憎悪と衝動。
復讐心、暴力、蔑視、自分は絶対に正しくて世の中が間違っていると思う気持ち。

そういうものを考えるのに、私が普段書いている「ブログ」という手段は、あまり適切でないような気がした。そういうものをブログに書くと、たぶん私は肝心なところで嘘をついてしまう気がした。なぜかというと、私は「チェコ好き」である前に、社会生活を送っている一般人だからである。復讐や暴力なんてと〜んでもございません、いつも笑顔でいる、明るく朗らかで優しい人間だと、周囲には思われたいのである。

というわけで、私の憎悪と復讐心とブラックユーモアを思う存分遊ばせてやるには、「フィクション」という形態をとるのがもっとも望ましいような気がした。全部、作り話ってことにしちゃえばいいのだ。まあ実際、本当に全部作り話なんだけど……。

でも、私は創作に関してはズブズブのド素人である。正直に告白すると、「フィクションだったら思う存分遊べる」という読みは、残念ながら外れてしまった。なぜかというと、フィクションで思う存分遊ぶには、コラムやエッセイとはまたちがう種類の「技術」が必要だからだ。私は実際に小説を書いてみて、自分にはその「技術」が、圧倒的に不足していることを思い知った。もっと上手く遊べると思ったんだけど、意外と、難しかった……。

でも今回、このメンバーで「文学フリマ」を目指す一年を送れて、本当に楽しかった。書けない書けないともがくのも、「編集者とかライターってのはね、み〜んな小説家になれなかったヤツがなるんだよ!」と暴言を吐いた執筆合宿も、本当に楽しかった。私は文章を書くのが下手くそだ。でも、下手くそでも書き続けよう、と思った一年だった。

で、そんな、いつも笑顔で明るく朗らかで優しい人間である私は何を書いたかというと、「憎悪」と「復讐」をテーマに、デスゲームものを書いてしまいました。私が高校生のとき熱心に書いていた『バトル・ロワイヤル』の2次創作を、15年越しに完成させたいと思ったのです。実際は、「文フリって2次創作はNGなのでは?」という壁にぶつかり、デスゲームという部分だけを生き残らせて設定はバトロワとはまるまる変えたのですが、とにかく人間がいっぱい死ぬやつを書きました〜〜〜!

ちなみに、この小説にはカルト宗教が登場するのですが、ちょっといろいろ盛り込みすぎましたね。デスゲームに集中すればよかった、テーマを壮大にしすぎてしまった……と、今は若干反省しています。でも私さー、デカイ話が好きなんだよね。国家と宗教! みたいなのをやりたかったんです。

以下は、本文を一部チラ見せ。

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