邪眼

【旅の製図法/19】日本との時差、0時間。

2016.3.16

海外旅行をしていると、日本との時差を自然と気にするようになる。今回の旅は移動が多かったから、途中でわけがわからなくなってきて「もういいや、知らない」というかんじにもなった時期もあったけど、安定してきた最後のほうはやはり「こちらが朝の7時ということは、日本は今14時か」とか考えていた。こちらで20時くらいになると日本ではもう基本的にだれも起きていないため、Twitterのタイムラインは静かだった。

そうやってきちんと時差を気にしているあたり、まあ当たり前だが、私はちゃんと帰ってくるつもりがあったんだなあと思う。日記に何回も登場させているのでいい加減しつこいと思われるかもしれないが、異郷モロッコを描いたポール・ボウルズの小説の主題は「帰らない旅行者」だ。旅の途中でマラリアにかかり、強烈な渇きのなか絶命する。現地民族の隊商の性奴隷になる。意識がおかしくなったところを舌を抜かれ、見世物芸者の一団に加えられる。砂漠の砂に頭だけ出した状態で埋められ、そのまま獣に喰われる。みなさんは、どれがいいですか? 私はマラリアかな。

まあ実際はもちろんどれもご勘弁願いたいわけだが、私はやはりボウルズの描く世界にひどく魅了される。二度と帰ることのない旅行者。だけど、私はきちんと帰って来れたから、旅行者ではない。観光客だ。お気楽なツーリストである。

で、海外旅行からもどったはいいものの、数日間はまだ意識が日本に帰って来ないのが私の常である。体は日本にあるけれど、意識はまだ遠い異国の地を彷徨っている。

具体的にいうと、まず東洋人の大群にびっくりしてしまう。顔平べったい族の人がなんでこんなに大量にいるんだろう、おかしいな、と思う。電車に乗ったりすると圧巻である。この人たちみんな日本人なのかな、すごいなあと思う。地元の駅に着いたとき、偶然1人だけヒジャーブを被った女性が街中を歩いていたのだけど、そうですよねえ、なんでこの人たち頭丸出しなんでしょうねえ、変ですよねえ、と思った。なぜみなさんは頭丸出しなんですか?

そして、いちいち日本との時差を気にしてしまう。今こちらは15時だから、日本は15時か。数秒後に、ああそうか、帰って来たからもう時差はないんだ、と気付く。でもつい時差を計算してしまう。時計の表示がそのまま日本時間であるという感覚にどうも慣れず、みんなが時計の時間どおりに起きたり仕事を終えたり飲みに行ったり寝たりしている様子を察すると「なんで」と思う。

私の意識も一緒に、本当に帰って来るためには、おそらくもう少し時間がかかる。日本と私の時差はなくなったわけではなく、0時間の時差がそこには存在している。0時間だから計算する必要はないのだけど、そこに確実に時差は「ある」のだ。存在とは意識を基盤としている。

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