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【日記/16】男性を褒めるときに使う言葉

今日は、口下手な私が男性を褒めるときに使う言葉を紹介しよう。男性を褒めるとき、相手に最上級のリスペクトを込めていう、私が使う最高の褒め言葉がこれだ。

「シティボーイですね」

解説しよう。

まずはこの言葉を使うシーンだが、これは、相手方の男性がスマートな振る舞いやこなれた物言いをしたときに使う。相手が都市部の出身でなくてもまったく関係ない。埼玉出身だろうと千葉出身だろうと神奈川の県西地区出身だろうと、スマートな男はみんなシティボーイである。

私が「シティボーイ」という言葉が大好きなのは、どことなくニューヨークっぽい雰囲気があるからでもある。ニューヨークといえば、スコット・フィッツジェラルドであり、ウッディ・アレンであり、ジム・ジャームッシュであり、アンディ・ウォーホルであり、ジャクソン・ポロックであり、J・D・サリンジャーであり、ポール・オースターだ。全員かっこいい。

かっこいいけれど、みんなどこか軽薄でもある。何かを諦めていて、ちょっと虚無的でもある。意味がないと知りながら、それでもなおスマートに振る舞おうとする。そういう態度は実にかっこいい。アンディ・ウォーホルは、「僕が死んだら、墓碑には『全部嘘だった』って書いてほしいな」みたいなことをいっていた。中身がなくてペラッペラだ。でも、それがかっこいい。怠惰、厭世、倦怠、退廃、狂騒。私はそういうのが大好きだ。文学的だし、芸術的だ。

だから、私は最大限の敬意を込めて、この言葉を彼らに贈る。しかし、十中八九どころか十中十で、男性からはキョトンとされてしまう。みな一様に、あまり嬉しそうな顔をしない。私が男だったら、「シティボーイ」なんて形容をされたら、嬉しくて眩暈がしてしまうのに。

「自分がして嬉しいことを相手にしてあげましょう」「自分がされて嫌なことは相手にもしてはいけません」は、正論に聞こえるがしばしば誤りでもある。自分がいわれて嬉しい言葉を相手にいっても、たいして喜ばれないことはけっこうある。こういうのを、「想像力の欠如」ともいう。私は想像力が欠如している。それは認める。

それでも私はなお、男性を褒めたいときに「シティボーイですね」と言い続ける気がする。だって、他にこのカンジを言い表す言葉がないのだ。他の言葉に換えたら嘘になってしまう。私は想像力が欠如しているが、嘘はいわない。ポリシーだ。

それでも、自己を曲げない私のせめてもの償いで、キョトンとしている男性に、「これを私は褒め言葉のつもりでいっている」と伝えるようにしている。すると、相手はますますキョトンとして、わかったようなわからないような顔をする。でも慣れてくると、「まァね」とか返してくるようになる。怠惰、厭世、倦怠、退廃、狂騒。私は軽薄を愛している。

※とても楽しんで書きました。明日は「女性を褒めるときに使う言葉」をお送りします。

شكرا لك!