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【日記/41】ヒッピーとバックパッカー

ヒッピーとバックパッカー。それは私にとって、「よく聞くけど実は意味があんまりわかっていない」二大単語である。

まずはヒッピーだが、Wikipedia様を参照してみると、1960年代後半にアメリカのサンフランシスコもしくはロサンゼルス郊外の若者の間で起きたムーブメント、とある。活動の内訳は、自然と愛と平和と自由とセックスを愛すのだそうだ。頭にはよくSuperflyみたいなやつを付けている。

だけど、なぜそれが1960年代後半のアメリカで起きたのか、どういった経緯で自然と愛と平和と自由とセックスを愛することになったのか、そういった背景がいまいちよくわからない。謎だ。ベトナム戦争への反対とか、ビートルズとか、LSDとか、マリファナとか、中島らもとか、東洋思想とか、ヨガとか、アレン・ギンズバーグとか、ウィリアム・バロウズとか、J・D・サリンジャーとか、ジャック・ケルアックとか、はたまたスティーブ・ジョブズとか。文化面の話にまで及ぶと私自身「何がわからないのかわからない」という一番アホな状態になってしまい、そしてわからないまま佇むしかないのだった。なんというか、「ヒッピーのバイブル」と呼ばれているものがありすぎて、結局のところ本物の聖典はどれなんだよおおおおみたいなかんじになる。「あれもヒッピーの思想から来ているんだよね」みたいにいわれると、「ヒッピーの思想ってなんだよおおおおお」と思う。

そして、ヒッピー文化とともに語られる機会が多いのがバックパッカーだが、なぜヒッピーの思想がバックパッカーに繋がるのかもあんまりよくわからない。自由な旅のスタイルを追求していたらバックパッカーになりました的な? とはいえバックパッカーは、現在では思想的な意味合いはなくただ単に「低予算の旅行者」を指すケースが多いように思うから、あまり関連させて考えなくてもいいのかもしれない。バックパッカーの聖地として有名なのは、カトマンズ(ネパール)、カオサン通り(タイ)、マラケシュ(モロッコ)などがあるようだが、これも「諸説ある」状態らしくいまいち判然としない。

より一歩踏み込んだ話をすると、よしもとばななの『彼女について』という小説がある。いや、ちがうかもしれない。だいぶ前に読んだので何か別の小説とごちゃまぜになっている可能性があるが、しかしとりあえずよしもとばななであることはまちがいない。よしもとばななの小説は、架空(たぶん架空)のカルト宗教の団体が出てくるのが好きで、一時期よく読んでいたのだ。

『彼女について』か(たぶん)『なんくるない』かの小説の主人公は、親がヒッピー思想を中心に据えたカルト的な宗教団体に入っている。集団で自給自足の生活をし、肉食は行わず、真の自由を探求するみたいなかんじだった気がする。だけど主人公はその宗教団体が嫌で、脱出をはかり、そして自分1人の人生を始めるみたいな話だったと思う(すごい曖昧だ)。

私がこの手の団体を見て(まあ、架空なんだけど)いつも思うのは、真の自由なんてものがもしあるとしたら、それは自分1人でしか探求できないのではないかということだ。集団で生活し、ルールに縛られて排他的な傾向を帯びるならば、その時点でもう全然自由じゃない。私がヒッピー文化に対して抱く違和感もちょっとこのあたりの感情に似ていて、本当に自然と愛と平和と自由とセックスを愛すならば、それは1人でやらなければいけないし、1人でしかできないと思う。それなのに、みんなで集まってマリファナでラリってるのはなんか変だ。

ただ誤解のなきよういっておくと、私はヒッピーに源流があるとされているもの、いわゆるカウンターカルチャーみたいなやつは、だいたい「好き」なのだ。ビートルズもサリンジャーも、すごく好きだ。だから、余計変に思うのかもしれない。しかし、本体の実態がよくわかならないので、どこまでも空回りである。


ああ、ヒッピーって結局なんなんだ。バックパッカーってなんなんだ。世の中には謎が多すぎる。

شكرا لك!