見出し画像

【日記/20】「石の上にも3年」はけっこう正しい

「石の上にも3年」ということわざがあって、今これがよく使われるのは新卒で入社したサラリーマンに対してとかだろうか。「どんな仕事も、3年はやってみないと面白さはわかんないよ」とか。しかし、今の社会は変化が早いので、「3年は辞めずに頑張ってみなさい」というのはあまり的を得たアドバイスではない。お父さんとかお母さんが子供にいいたくなるのはわかるが、それ以上ではないしそれ以下でもないってかんじだ。

ただ、「3年」という数値は人間が事を成す上である基準になる、ということは現代でもあまり変わっていないように思う。新卒社員にいう言葉としては確かにあまり的を得た言葉ではないが、その人がそれをどれくらい継続しているかとか、評価される土俵に上れているかとか、そういうのを考える上で「3年」という数字は1つの目安になる気はする。

クウネルという雑誌がリニューアルして、昔からの読者が雑誌の変貌っぷりを嘆いているというニュースを目にしたが、「石の上にも3年」は、おそらくこういったシーンで使うとなかなかいいカンジのことわざとして機能するのではないだろうか。人間はどうしたって間違いを起こしたり、図に乗ったり、調子が良かったり悪かったりする生き物である。1発や2発で勝敗を決めるというのは、それがサッカーや野球の試合でもない限り、なかなか難しいことである。

私は過去にクウネルを1度も購入したことがないし、紙媒体の雑誌については何の見識も持っていないのでそんな質問は来るわけがないのだが、もしだれかに「クウネルのリニューアルについてどう思いますか?」と聞かれたら、「ノーコメント」としか答えられない。今後どんな仕掛けがあるのかわからないし、1発目で失敗しても2発目で巻き返してくるかもしれないし、どうなるかわからないからだ。

何事も、「3年」経ったら、初めて判定ができそうな気がする。「このリニューアルは失敗だったね」とか、「意外といいリニューアルだったね」とか。1度や2度のミスはだれでもやらかすが、3年ずっと失敗こくやつは失敗とかミスとかじゃなくてただの無能だし、3年ずっとまぐれで成功するということもあり得ない。スポーツの試合やゲーム以外は、「点」での評価はあまり意味を為さなくて、「線」での評価しか意味を持たないのではないだろうか。

……と、あまりカドが立たないよう私の読者とはあまり重ならそうなクウネルを話題に上げたが、私はブログを書く人なので、こういうことを実はよくブロガー界を見ていて思うのであった。一時的に、天下をとったかのように綺羅星のごとく注目を独り占めする人が現れるのは珍しくないが、その段階だと私はまだ何もいえないしいいたくない。「3年」経ったら、初めてその人に対して、好きとか嫌いとか間違ってるとか間違ってないとかってことが、いえるようになる気がする。

ただし、「3年」というのは本当に万能な基準なので、「3年」経たないうちに淘汰されていくような人だったら、そもそもこちらが評価を下すまでもない人だった、というケースが多いのだ。つまり、「3年」をこえて同じ活動をしている人であれば、価値観のちがいこそあれど、何らかの「正しさ」を持っている人なのだろうと私は考える。

で、ここでキリよく話を終わりにしようと思ったのだが、そういえば私はよく小説や美術に対しても「100年待ってればどうでもいい作品は自然と消える」とかなんとか一時期よくいっていた。わりと何にでもこういう考え方をしてしまう人間なのだなあと我ながら思った。

しかし、作品に関していうのであれば、消える/残すという判断を途中途中でだれかがしなくてはいけないという課題があるのだが、人に対しての評価はもうちょっとラクだ。時の流れってやつは万能だ。

شكرا لك!