嘆きの壁4

【日記/39】私は宗教が大好き

私は、特定の宗教を信仰していない。しいていうなら、日本人の多くが信仰している「無宗教」という宗教を信仰している。ここで、「宗教とは何か?」みたいな話を始めると長くなるので、今日は置いておこう。

みなさん周知のとおり、宗教にもいろいろある。私が最初に興味を持ったのは、たぶんキリスト教だったと思う。

きっかけは、大学で西洋美術の勉強をしていたことだった。西洋美術の世界では、特に中世〜ルネサンスの作品について学ぶ場合、聖書のエピソードやモチーフを知っていないと話にならない。そのため、聖書を読んだりそのエピソードについて学んだりすることは、私にとってとても自然なことだった。むしろ途中から、美術そのものよりもキリスト教の勉強のほうが楽しくなってきてメインになっていた部分もある。しかも、西洋美術とキリスト教を大枠だけでも理解しておくと、ヨーロッパ圏の旅行の楽しさが2倍になるというオマケ付きである。

次に興味を持ったのは、オウム真理教を始めとするカルト宗教だったと思う。きっかけはたぶん、村上春樹の『アンダーグラウンド』とかを読んだからだろう。地下鉄にサリンを撒くなどという常軌を逸した行動がなぜ可能になってしまったのか、その集団心理みたいなものに興味を持った。森達也の『A』や『A3』なども、ちょっと時期を空けて読んだ。あとさらに時期は飛んで、ベトナムのカルトであるカオダイ教や統一教会や人民寺院や密教について調べたりもした。カルト宗教の個人研究は、今もなお続いている。

そして昨年、改めて興味を持ったのが、ユダヤ教である。『タルムード』は難しそうなのでそのうちそのうちといいながらズルズルと読んでいないけど、ユダヤ人とは何か、ナチスとは何だったのか、ユダヤ人とユダヤ教をめぐる本をけっこうたくさん読んだ。そして、イスラエルに行って、エルサレムでユダヤ教の聖地である『嘆きの壁』を見てきた。

イスラエルから帰って来たあとは、短期間のうちに、いろんな宗教を改めてつまみ食いしながら調べた。キリスト教、カルト宗教、ユダヤ教、仏教、ゾロアスター教、ブードゥー教、しかし個人的にいちばん面白かったのは宗教というには微妙だけど黒魔術である。パプアニューギニアの黒魔術と、アフリカの黒魔術についての記述がある本を読んだ。黒魔術はめちゃ面白いので、もし大学生にもどれたら私は黒魔術をテーマに卒論が書きたい。西アフリカ・トーゴ共和国の黒魔術市場に、いつか行ってみたいと思っている。サルの頭部や乾燥したネズミ、薬草やミイラが、所狭しと並べられて売られているという。そんなの見たことない。見たことないものは素晴らしい。ワンダーランドだ。

だけどだけど、私が2016年下半期を突っ込もうと思っているのは、ここまで名前が出ていない、そう、イスラム教である。

私はなぜ宗教が好きなのだろう。最初に書いたように、「宗教とは何か」なんて定義を始めたらキリがないけれど、私的にいえばそれは「思考の枠組み」だ。「世界観の土台」とかいってもいいかもしれない。それでいうと、特定の宗教は信仰していないけれど、私は日本人なので、「思考の枠組み」「世界観の土台」となっているのはやはり仏教とか神道なのだと思う。

「思考の枠組み」「世界観の土台」という言葉がしっくり来なければ、「めがね」といってもいいのかもしれない。人は、特定の宗教や社会規範や生育環境によって、それぞれが「めがね」をかけている。厳密にいうと、「めがね」の種類は1人1人ちがう。だけど、日本人同士、キリスト教同士、ユダヤ教同士の「めがね」は、少し型が似ていたりする。

私がいろいろな宗教のことを調べて遊んだり旅行に出かけたりするのは、いろいろな「めがね」をとっかえひっかえしてみたいからである。黄色い色が入った「めがね」で世界を見ると、世界は黄色く見える。青い色が入った「めがね」で世界を見ると、世界は青く見える。もとの「めがね」にもどすと、世界は透明になる。だけど幸か不幸か、人は「めがね」を外すことはできないのだ。「めがね」を外してしまうと、おそらくだけど、人は狂う。

私は下半期、イスラム教という「めがね」をかけて、世界を見てみたい。そうすることによって、世界はまた少し、カラフルになるだろう。


(まあ、それはいいんだけど、「世界のカルト宗教全集」みたいな本はないのだろうか。ネットの情報だと浅くて断片的なものしかないので不満が残る)

شكرا لك!