夜景2

【日記/70】ビールとフィッツジェラルド

聞いた話だけど、ひどい酒飲みの中には、週に何度か「休肝日」というのを設けている人がいるらしい。毎日毎日アルコールを摂取していると肝臓に悪いので、意図的にアルコールを摂取しない日を設け、肝臓を休ませてやろうという画期的なアイディアである。

一方の私は、できることなら一滴たりとも酒を飲みたくないほどアルコールを受け付けない体質で、ワインを小さなコップで一杯飲んだだけで吐き気がしてトイレから出られなくなってしまう。この体質は父譲りで、遺伝だからもうどうしようもない。うっかりコップ一杯半飲んでしまった後、目眩と吐き気と頭痛で恵比寿から自宅のある横浜まで4時間かけて帰ったことがあるが、あのときは本気で死ぬかと思った。

だけどあまりにも酒を飲まないでいることを自分に許すと、年齢と共にアルコールの許容量は下がる一方で、逆に体に悪いのではないかという気がしてくる。そこで、「休肝日」の逆転の発想で、週に一度「肝トレ日」というのを設けることにしたのである。週に一日、意図的にアルコールを摂取することによって肝臓を鍛え、アルコールの許容量が下がり過ぎないように頑張るのである。(※1)

「肝トレ」は、極力自宅で一人で行なうことが望ましい。なぜなら人と外にいるときに飲むと、私はどうも(相手が誰であっても)緊張してしまうらしく、アルコールが変なまわり方をしてしまう。一方、自宅で一人で飲んでいるときは、ここで吐こうが泥酔しようが誰にも迷惑をかけないで済むという安心感からか、外で飲むときよりはアルコールのまわり方が少しだけ穏やかだ。幾度かの「肝トレ」を経て、「コップ一杯」というのは外で飲む量としては殺人的だが、家で一人で飲むときは頑張れば何とか飲み干せる量であることも判明した。

さて、そんな私が「肝トレ日」に好んで飲んでいるのは、ビールである。なぜビールなのかというと、種類がいっぱいあるからである。というと、「ワインも日本酒も種類いっぱいあるだろうが!」と思う人がいるかもしれないが、私のバカ舌はアルコール類をすべて「まずい」と認識する仕様なので、なんつーか、辛口とか甘口とかいわれてもよくわからないのだ。その点、ビールは優れている。ワインのボトルは全部同じに見えるが、さすがの私もアサヒスーパードライの缶とエビスビールの缶のちがいはわかる。ちがう缶のものを飲んでいると、「ちがう酒を飲んでいるのだなあ」と実感できる。缶の種類がいっぱいあるので、ビールが好きだ。あと、ビールの液体は頑張ればアップルサイダーに見えなくもないところも評価が高い。

飲んでいる場所が外であったり、誰かと一緒であったりすると、アルコールを口に含んだ私はとにかく「吐かない」ことが最大にして最重要のミッションになってしまうから、のんびりと酒に酔っている暇はない。だけど前述したように、自宅一人の「肝トレ」では、吐こうがどうしようが誰にも迷惑をかけずに済む。そのため、ちょっとだけのんびりと酔うことができる。

で、酔った私は何をするかというと、いつもだいたいフィッツジェラルドの小説を読んでいる。この前は人生で5回目くらいの『氷の宮殿』を読んだ。アメリカ南部に住むサリー・キャロル・ハッパーが、北部の男に嫁ぐ物語だ。

話の筋としては単純で、最終的にサリー・キャロルの結婚は破綻する。自分を精神的に成長させたいと思い出身地を離れた彼女だったが、太陽の光が降り注ぐ暖かい南部で育ったサリーには、すべてを凍り付かせる北部の冬が理解できなかった。特に胸が詰まるのは、訪れたウィンター・カーニバルでサリーが夫とはぐれてしまうところだろう。氷でできた地下迷路で、「ここから出して! 家に帰りたい!」とサリーは一人で泣き叫ぶ。サリーはサリーなりに、夫を愛していたのだけど、染み付いた自身の価値観を変えられなかった。南部の暖かい描写と、北部の寒々しい描写のコントラストが美しく、それ故に物語は悲劇性を増す。

ビールを飲みながらこうして、『氷の宮殿』だの『グレート・ギャツビー』だの『冬の夢』だの、『マイ・ロスト・シティー』だの『夜はやさし』だのを読んで、「ああ〜〜悲しいな〜〜」と思う。それが、私の好きな酔っ払い方のようだ。『マイ・ロスト・シティー』の、フィッツジェラルドがエンパイア・ステート・ビルからマンハッタンを見下ろして愕然とするところが大好きで、そこだけを繰り返しずっと読んでいたりする。

ああ、一度でいいから、フィッツジェラルドが生きた時代のニューヨークを見てみたかったなあ。私が生きているうちにタイムマシンが発明(&実用化)されればいいのだけど、それはきっと叶わない夢だろう。私にできそうなのはせいぜい、いつかメリーランド州ロックヴィルを訪れて、彼の墓参りをすることくらいだ。「30歳を過ぎたら、人は生きているべきじゃないね」と言ったくせに、結局44歳まで生きてしまったフィッツジェラルドのお墓。はからずもその葬儀は、彼が自身の小説に描いた主人公ジェイ・ギャツビーのものに似て、知人が数人集うだけのとても質素なものであったという。

ビールを飲みながらフィッツジェラルドの小説を読んでいると、私は本当に、この人の描く物語を深く愛しているのだなあと思う。「肝トレ日」は「フィッツジェラルドの日」で、週に一度、私は小説のページをめくる。本当に同じところばっかり何回も読んでいるので、よく飽きないなーと我ながら思う。

ところで聞いた話だけど、お酒が好きな人の中には、みんなと一緒にいるときは飲むけど自宅で一人でなんてまず飲まない、という人もいるらしい。そうなってくると、「あなたにとって酒とは何か」みたいな問いが、けっこうその人の本質を表してしまいそうである。アルコールの効果は体と連動しているだけに、これはなかなか考えがいがありそうな問いじゃありませんか?

(※1)これが医学的にどうなのかは知りません

شكرا لك!