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【日記/4】2015年一人大反省会

2015年も残りわずか。みなさんにとって2015年とはどんな年だったでしょうか。胸をはって「いい年だった!」といえる人も、「まあまあかな」ってかんじの人も「微妙」っていう人も、いろいろいるかと思いますが、年末くらいはアホの子のごとくボケーっとしとくのがいいんじゃないかと思います。

さて、今日の日記は私の2015年一人大反省会です。私の今年一番の反省は、ずばりいいますよずばりいっちゃいますよ、「良い文章が書けなかったこと」です。

傍から見たらブログの内容もそう変わってないし(そう思われていたい)、何より連載が始まったので、「テメエちゃんと仕事しろよ」ってかんじです。いやもちろん、1つ1つはかなり真剣に、そのとき出せる最高のものを書いてきたつもりなんですよ。だけど、来年も同じかんじで書いていきたいかというと、答えはNOだな~と。

お会いした読者の方に、「あんな一般ウケしなさそうな内容でよく人気(?)ブロガーになれましたね」ってたまにいわれることがあるんですけど、これ、いわれてすっごく嬉しい言葉なんです。

私が書くのは、ライフハックでもなければキャリア論でもなく、おもしろ系でもなければまとめ系でもなく、グルメでもなければ得するお金の話でもありません。文学と、古典映画と、美術と、海外旅行、たまに哲学、またはそこから派生した抽象的で変な話。全部インターネットとことごとく相性悪そうです。でもそれが私の好きなこと、普段考えていることなんだからしょうがない。他のこと書けないんです(たまに暴走して恋愛ネタ書いて怒られるけど)。

最近よく思うのは、「私が見ているものと他の人が見ているものはちがう」ということです。当たり前のことを今更なにいってんの、と思われるかもしれませんが、これを本当に最近よく実感します。

たとえばAという対象物があったとして、私にはAの面白さがとてもよく見えるのに、他の人にはその面白さがまったくわからない。私はAの向こうに海が見えるけど、他の人には水たまりしか見えない。もちろん、反対もあり得ます。他の人にはBの向こうに海が見えるけど、私には水たまりしか見えない。

私の2016年の目標は、この海と水たまりの差を解消することです。

なぜ他の人には、Aの向こうに海が見えないのか? 私に海の広さを伝える力がないからです。体中の血が逆流するくらい面白い世界が私には見えているのに、なんだかそれをいまいち伝えきれなかったなあ、というのが2015年。

なぜ私には、Bの向こうに海が見えないのか? 私の行動力がないからです。自分の頭の仕組みというか、方向性を変えるのってすごく難しい。だけど、離れた場所でしか見ていないから、私には海が水たまりにしか見えないのでしょう。Bに近付くには、自分の足でそこまで歩いていかなければなりません。Bに近付く努力をしなかった、というのが2015年。

Aの向こうに広がる海の広さを説明することと、Bの向こうに広がる海を見に行くことは、真逆の行動に見えて実は繋がっています。Bの海をよく見つめることでしか、Aの海の広さをよりよく説明する方法はわからない。

ちょっと言い訳をすると、Bに近付くことを怠けていたわけではなくて、Aの海を泳ぐことで私はいつも精一杯なんです。だってこの海広すぎるんだもの。だけどきっと、Aの海により深く潜るためにも、水たまりにしか見えないBをきちんと見る必要があるのでしょう。

なんでこんなこと考えたのかというと、おそらく私は頭の細胞が全部入れ替わるくらい決定的な興味の変遷、というか、まさしく「水たまりにしか見えなかったものが海だった!」という経験をしたことがあるからだと思います。これが特別珍しい経験だったとは思っていません。だけどそこには、めちゃくちゃ話の上手い人の存在があった。だから私も、もっと上手に話ができるようになって、この海の広さと海に泳ぐ魚の美しさを説明したい、と思うのでしょう。

私はまだまだ口下手で、いろいろなことが上手く伝えられないけれど、「あんな一般ウケしなさそうな内容でよく人気(?)ブロガーになれましたね」っていわれると本当に嬉しいです。面白く話さないと人には伝わらない。面白くなさそうな内容ほど、上手に面白く話さないと、伝わらないんです。

面白い話ができるようになりたい、面白い話ができるようになりたい、面白い話ができるようになりたい。私の願いはこれだけです。

来年もがんばろーっと。みなさんよいお年を。

شكرا لك!