エルサレムホステル

【旅の製図法/15】ちぐはぐエルサレム

2016.3.9

エルサレムという都市を歩いていると、私はそこがとてもおかしな場所であるようにかんじる。

まずは、私が宿泊しているホステルがある新市街だ。自慢だけど、私が今泊まっている宿はけっこうオッシャレーなところである。後日、具体的な場所や内装の写真を載せようと思っているのだけど、ニューヨークでいうならブルックリンに、こんな場所がありそうだなと思う。建物自体は郵便局が入っている古いところでボロボロなのだけど、中はリノベーションされていて、部屋に入る前のロビーには座り心地のいいソファーや作業に適した机がある。家具のセレクトとかとてもセンスがいいと思う。

(※こんなかんじのところでした)

ロビーはカフェスペースになっていて、宿泊者はカウンターでコーヒーを注文し、ここでMacBookをカタタタターン!と操っていたりする。毎週火曜日の夜にはカフェスペースの一部がライブ会場になり、気持ちのいいジャズの生演奏を聴くことができる。

(※このスペースでジャズを演奏してくれる)

このホステルや、そのまわりの新市街を見ていると、エルサレムという都市は西欧文化圏の場所なのだと勘違いしてしまいそうである。MacBookが似合うカフェなんて、ヨルダンにもモロッコにもなかった。MacBookが似合うカフェがあるということは、つまりは東京やニューヨークにあるような文化と多くの共通言語を、ここにいる人たちは有しているということである。

しかし、テロが頻発する門をくぐり旧市街へ入ると、我々が見知っているような西欧文化圏は姿を消す。旧市街はまず第一に聖地なので、街のいたるところに銃を持った兵士がおり、雰囲気がとてもピリピリしている。厳戒態勢である。現地人や巡礼者のユダヤ教徒やムスリムやキリスト教徒が厳粛な雰囲気で祈りを捧げるなか、MacBookでカタタタターン!とやる気分には、あんまりここではならない。そんなことをしたら、MacBookはたちまち聖墳墓教会に灯る神秘的なろうそくの光と一緒に消えてしまうだろう。何せここは2000年前に数々の信じがたい奇跡が起きた場所なのだから、MacBookが消えるくらいのことがあってもまったく不思議ではない。そういう現世的なものは、新市街に置いてこよう。

旧市街で目につくのは、モロッコのマラケシュにあるようなスークである。狭い通りに次々と店が並び、そこには見慣れない焼き菓子や観光客のためのあまり洗練されていないお土産、香辛料なんかが売られている。アラブ人のおじちゃんたちがとても熱心に(しつこく)営業してくる。

つまり、私は何がいいたいのかというと、エルサレムという場所は文化がちぐはぐなのだ。西欧文化圏とアラブ文化圏が隣接しており、両者はグラデーションのように馴染んで溶け合っているのではなく、パッチワークのように境目が突然変わる。そして、新市街といえども気候は砂漠地帯のそれであり、空気がとてつもなく乾燥していて、日が当たる場所は冬でも汗ばむくらい暑く、しかし日陰はダウンを羽織っていても寒い。アラブ人たちが住む、本来なら砂だらけでロバやラクダが闊歩しているような場所に、西欧の文化をなかば無理矢理移植したのだな、ということがはっきりわかる。

前述したように、アラブ人たちがイスラエル兵に向かってナイフをむき出しにし、あるいは爆発物を所持してテロの犯行に及ぶのは、いつも新市街から旧市街へ入る「門」付近である。エルサレムという都市を訪れる前、ニュースを聞きながら、なぜいつも犯行は「門」で起こるのだろう?と私は不思議に思っていたのだが、訪れてみればはっきりわかる。つまり、ここはパッチワークの境目なのだ。西欧に住んでいたお金持ちのユダヤ人たちが持ち込んだ文化と、もといたアラブ人たちが持っていた砂漠の文化が、ここでぶつかる。だから、アラブ人たちはここでイスラエルの兵士たちに襲いかかる。そして、兵士はその場でテロの実行犯を射殺するのである。

(※ダマスカス門。テロ事件が頻発する)

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