磯部涼が前髪重い系バンドをメッタ斬り! ゲス極はPVで不倫を予告!? 自意識を“演出”するJロックの本質

――そのルックスから、前髪重い系バンドは自意識過剰で中二病的にも見えるかもしれない。しかし実際のところ、自意識をロックにどう落とし込んでいるのか──。ここでは、音楽ライターの磯部涼氏に彼らの本質をえぐってもらいます!

KANA-BOON「ないものねだり」(上)とindigo la End「雫に恋して」(下)のPV。

 “前髪重い系”という定義を編集部は“自意識過剰系”と似た意味で使っているようですが、他ページで言及される前髪重い系バンドの音楽に、僕はあまり自意識の発露を感じません。むしろ、自意識過剰系というと、銀杏BOYZのような少し前にはやったバンドを連想します。例えば、銀杏の場合、歌詞ではボーカルの峯田和伸の鬱屈とした内面がそのまま表現されているし、音楽性も彼が思春期から自室にため込んできた音盤のコラージュのようでした。

 一方、前髪重い系バンドの音楽は、機能美を追求しているように思えます。あるいは、そこには音楽市場の変化が関係しているのかもしれません。CDが売れた時代は、バンドにとってアルバムを作ることが音楽活動のメインだったので、自意識を表現することに興味が向きやすかったのでしょう。でも、主戦場がライブハウスやフェスに移ってからは、そこで観客が盛り上がるための楽曲を量産しなければいけなくなりました。彼らのMVになっているような楽曲に顕著な、キックの4つ打ちを基調としたアレンジはまさにそうした機能を果たすもので、それが、2000年代後半頃から“Jロック”のテンプレになった。いわゆるガラパゴス化の象徴として取り上げられることも多いですよね。

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