もはやLGBTの枠組みをも崩す!――三島由紀夫はゲイを見下した!? LGBTと日本近現代文学(秘)史

――近年、欧米発のLGBTという概念が日本でも急速に浸透していることを実感する読者も多いだろう。だが、その言葉が登場するはるか前から、日本で同性愛を扱った文学作品は数多く生まれ、その描かれ方も進化してきた――。近現代文学史においてLGBTの表象がどう変容したのか、考察していきたい。

谷崎潤一郎『卍』は1964年に初めて映画化された。監督は増村保造、主演は若尾文子と岸田今日子が務めた。こちらはDVD(角川書店)のジャケット。

 先頃、経済評論家の勝間和代氏が女性のパートナーと交際していると自身のブログで公表し、それに対してはおおむね祝福するムードがメディアにもSNSにも漂っていた。日本でのLGBTを取り巻く環境はまだまだ十分ではないとはいえ、少しずつその理解は深まっているといえるだろう。では、近現代の日本文学において、LGBTはどう表現されてきたのか?

「これまで“同性愛”はたくさん描かれてきました。坪内逍遥『当世書生気質』(1885~86年)、森鴎外『ヰタ・セクスアリス』(1909年)、志賀直哉『大津順吉』(12年)、夏目漱石『こころ』【1】(14年)、武者小路実篤『初恋』(14年)、谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』(17年)、川端康成『少年』(48~49年)など、文学史に名を残す多くの作家が、男性同性愛について言及しています。漱石の『こころ』では、先生は自分を慕って毎日のように家を訪ねてくる“私”に対して、『恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです』と語り、同性愛はあたかも恋の通過儀礼であるかのように描いています」

 そう語るのは、今秋、日本近代文学における同性愛表象の系譜についての著書を上梓する予定の文芸評論家・伊藤氏貴氏。歴史的に見ても“男色”“衆道”と呼ばれる男性同性愛は戦国武将たちに推奨され、タブー視されることはなかった。明治維新で西欧のキリスト教価値観が流入し、それは異端視されるようにはなったが、戦前まで文化として続いていたという。

 そうした近代において、伊藤氏が「重要な作品」と挙げるのが堀辰雄『燃ゆる頬』【2】(32年)である。高等学校の寄宿舎で“私”は、病弱で「静脈の透いて見えるような美しい皮膚の」同級生と「友情の限界を超え」る。しかし、夏休みに2人で海へ旅した海辺で、“私”は声のしゃがれた漁師の娘に心を移してしまう。

「美少年は女性的であり、漁師の娘は男性的。セックス(生物学的性差)の上では同性から異性へ移行していますが、ジェンダー(社会的性差)の上では女性的から男性的なものに惹かれるというねじれがある。このように、当時の男性同性愛は現代のようなやましさ、恥ずかしさはありません。また、同性愛的な感情や体験を一度持ったからといって、自分は“同性愛者”だと自認することもなく、その後、女性と結婚するなど、人生の中で揺らぎがあるものとして描かれていたのです」(伊藤氏)

三島由紀夫が描いた“同性愛者”という“種”

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