【無料公開中】著書とインタビューから徹底分析!テレビからはわからない“マツコ・デラックス”の正体――マツコ・デラックスが生まれた背景と精神

――マツコ・デラックスが、一体どんな道のりを経て今のポジションにいたったのか、テレビを見ているだけではあまりわからない。女装家・コラムニストとして世にデビューした直後から現在までのインタビューや執筆原稿から、彼女の人物像を分析し、今後の展開を予想する。

■「Badi」編集部に出たり入ったり
ドラァグクイーン時代

もともと80年代のアイドル好きで「女性歌手になりたい」という強い願望を持っていたマツコは、「豪華な衣装を着てバーティーを盛り上げるドラァグクイーンを見た時、“これだ!”と思った」そう。「Badi」退社後はしばらくドラァグクイーンとしての活動がメインだったそうだが、その低収入(月10万円ほど)が原因で、「消費者金融がなかったら餓死していた」とさまざまなインタビューで語っている。

「サービスって、アタシの永遠のテーマなんです」
『アタシがマツコ・デラックス!』(ソニー・マガジンズ/02年)
「サービスは自虐的なもの」というのが、マツコの持論。この頃は「人に悪口を言われることがサービス」と持論通りに語っているが、マツコは奇抜なビジュアルをしていてもモラリスト。ステージに上がればばサービスしてしまう性分だそうで、テレビ露出が増えてからは、自分のポリシーとのズレを感じても、求められている方向性に「サービスしちゃってる」部分が正直あると、後に語っている。

「やせれば、仕事も恋愛もうまくいくって信じてた」
(本誌03年12月号)
本格的にドラァグクイーンになる数年前には、“食べ吐き”ダイエットで体重を半分にしたこともあった。不安定な精神をもてあました若き頃である。その話は、かつて本誌に初めて登場したときにも語ってくれた。

■魂の双子の邂逅からすべては始まった――
中村うさぎとの出会い、そしてテレビへ

ひきこもり生活から脱しようともがいていた頃、手を差し伸べてくれた中村うさぎ。価値観や悪いところ、偏屈なところなど、非常によく似ているとお互いに認め合っている。なお、マツコが『5時に夢中!』のコメンテーターをやり始めた頃に中村が『笑っていいとも!』(フジ)のテレフォンショッキングでマツコを友だち紹介候補に出したところ、無名すぎてスルーされたそう。

「ホントに羽を伸ばして生きていけるなって思えるのは、親が死んだときだと思う」
『週刊女装リターンズ』(主婦と生活社/05年)
過去の書籍やインタビューを読むと、自身を「極度のマザコン」と言い、母親への愛を語ることが多い。ただし同時に、正面きって話もできなければ、連絡をとってもそっけなくしてしまう、とも述べる。唯一無二、世界で最も愛していると思いながら、その対象と向き合うことができない自分という存在に引き裂かれているのは、マツコの抱える最大の深部なのかもしれない。

「こう見えてもタチなんですよ」
『人生張ってます』(中村うさぎ・小学館/01年)
中村うさぎの対談集に、女装ライターとして登場。自身の恋愛遍歴も赤裸々に語っている。これが初の中村うさぎとの対談で、以来、ふたりは交友を深め、お互いにお互いのことを“魂の双子”と言い切るほど。だが、つまらない人間だと思われたくなかったようで、虚勢を張ってかなり話を盛っている感が強い。結果、あとで「嘘をついた」と深く後悔するハメになった。

■毒舌という名の正論で
深夜から全国区のオカマに

マイノリティ意識を持った人間がテレビの世界には要るということを悟ったマツコは、そこで本当の居場所を見つけたと語っている。一方で、『マツコの部屋』の頃から今まで一貫して「番組はディレクターの作品」「アタシにやりたいことなんてない」とも言い続ける。自らを“電波芸者”と称したこともある彼女なりの、テレビにおける仕事との向き合い方なのだろう。

「こうなったら、アタシ自ら、引っ掛かる存在になってやるわ」
『世迷いごと』(双葉社/12年)
広末涼子や福原愛、滝川クリステルなど、総勢20組の女性有名人の本性をマツコ独自の目線で分析した、語りおこしエッセイにて。AKB48や西野カナが売れる時代に自分の言うことは何もない、と憤りながら、いっそそれなら自分から出ていってやる、という気概を顕にした。

「自分の考えとは関係なく祀り上げられていった」
『マツ☆キヨ』(新潮社/11年)
「閉塞感がある今のテレビの中で、積もり積もったものを自分にぶつけられている感じがする」「マスメディアの中で自分がどうなろうという意志は特にない」といった後の発言。同時に、「去年(※10年)の秋頃に、もう自分の個人の力ではどうすることもできない、恐ろしい壁のような何かが目の前に迫っていると感じ」た時期があった、と述べる。神輿に乗せられたことへの戸惑いを滲ませながら、彼女は、そこに飛び込むことを自ら選択した、と続けた。

■マツコ、未来へ――!
いつか神輿から降ろされるのか?

テレビにひっぱりだこである今の状況が一過性のものであり、最後にはこの神輿から引きずり降ろされる覚悟ができているというマツコ。だが、最近では、発言に説教臭さが先行したり、テレビでのちょっとした発言がすぐにネットのニュースになるなど、除々に大衆の“ご意見番”化してきている気配がある。このまま神輿から落とされることなく、10年後20年後、もしかしたら和田アキ子のようなポジションに座っていたりして?

「出版とかテレビみたいな旧時代のメディアと一緒に没落していくのね」
『デラックスじゃない』(双葉社/14年)
久しぶりのエッセイ集にて。テレビ出演を重ねて、活動の内容がどんどんと変化していく自身を顧みての発言。「言いたいことだけ言っていても、自分の居場所は作れないと思ったの。だから、魂を売ったと思われてもいいの。『マイノリティの意識さえ失っていなければいい』と分かったの」とも述べている。

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 ある人は「新世代のバラエティスター」と呼び、ある人は「毒舌オカマ」と呼ぶ。「再び芸能人批評をやってほしい」と願う人あれば、「テレビに魂を売った」と言う人あり――。

 マツコ・デラックス。42歳、千葉県生まれ。数年前のプロフィールによれば、B180・W180・H180の体重140キロの巨漢、そして女装家である。現在、テレビのレギュラー番組は9本、雑誌連載は2本、CMは9本。押しも押されもしない、人気タレントだ。

 しかし、彼女がどのような道のりを経て現在のポジションにたどりついたのかは、テレビだけではあまりわからない。本人の口から断片的に語られることはあるが、毎回すべて観ている人でもない限り、それをつなぎあわせるのは至難の業だ。そこで今回、マツコ・デラックスを解体する本特集冒頭の本稿では、これまでのインタビューや著書など、紙媒体における発言をくまなく見ていくことで、その経歴と内面を探ってみようと思う。

 詳細な年表は下部に置いたものを参照してほしいが、彼女が自身のセクシャリティに気づいたのは、小学生の時だと語られている。母親の口紅をこっそり塗ったり、学芸会で女装してワンマンショーを披露したりする中で、当時は「女性歌手になりたい」と思っていたという。だがむろんなれるわけもなく、そうした存在に憧れながら、高校3年生で初めての完全女装を経験した。

 彼女がメディアに関する仕事についたのは22歳の時だ。エロだけでなくカルチャーや社会的側面にも重きを置いたゲイ雑誌「Badi」(テラ出版)の編集者として働き出したのがきっかけになっている。ここで本名と男の姿を脱ぎ捨てて、マツコ・デラックスとしての自分を形成し始めた。最初は1年間も続かずに退社したが、ブランクを経て再び編集部に舞い戻る。「Badi」を黄金期の「週刊プレイボーイ」(集英社)のようにしたいという理想のもと、しゃかりきに働く日々が続いた。だが29歳の頃、自身の仕事に行き詰まりを感じ始め、同時に職場の人間関係に疲弊し、編集部を去る。ひとり暮らし先で半年引きこもった後、千葉の実家に出戻り。3年間、実家暮らしを続けた。だがこの期間に、現在に至るきっかけが生まれている。それが、作家・中村うさぎとの出会いだ。

 中村うさぎといえば、買い物依存にホスト通い、整形にデリヘル体験と、自身の欲望をグロテスクなまでに見つめて実行し、そのさまをつづる女性作家だ。その彼女が、ゲイである夫が読んでいた「Badi」で「面白い文章を書く人がいる」と目に留めて、新宿二丁目でマツコと邂逅。数日後、自身の対談本に出演してくれるようにオファーを出す。そこから“マツコ・デラックス”としてのメディアでの活動はスタートした。その後「週刊女性」に、芸能人批評を行うコメンテーターとして露出を重ねるようになり、コラムニストとしての風格が備わってゆく。

 この時期、彼女の人生に再び転機が訪れる。実家を追い出されたのだ。

「2週間後に引っ越す。悪いけど、次の家にアンタの部屋はないからね」

 母親は頑として譲らなかった、と彼女は語る(『週刊女装リターンズ』主婦と生活社)。これもまた著書やインタビューを紐解くとわかるが、彼女にとって母親は絶対的な存在だ。「アタシにとって母親の存在は、何が起きようと、誰が現れようと、全く別格の存在として君臨し続ける」(『うさぎとマツコの往復書簡』毎日新聞社)ということを彼女はたびたび言い切っている。では距離の近い親子なのかというと、「かれこれ3年は実家に帰っていない」「3年前だって4時間の滞在で逃げるように帰ってきた」「たまの電話でも話が核心に迫ることを勝手に恐れたアタシが、いつも逆ギレするみたいになってお仕舞い」(同)であり、これだけテレビに出ていれば、もう両親もわかっているとは知りながら「どんなことをして糧を得ているのかも、どんな風体で生きているのかも、男の人しか愛せないってことも何もかも、親と面と向かって話せない」(同)のだという。

 彼女はいつもテレビの中で、社会のさまざまな現象や人に文句を言う。聞く人によっては、それが「毒舌」と呼ばれるのだろう。その矛先は、ほかならぬ彼女自身にも平等に向けられるのだ。

 ことほどさように、テレビで見せる以上の複雑さを持つ彼女。その彼女が今これだけ各メディアで引っ張りだこになっているのは、人々がそれを求めているからだろう。何がそんなに人を惹きつけているのか? 本特集では、彼女の存在と日本社会を照らし合わせて眺めてみたい。

(文/小石川光希+編集部)
(絵/我喜屋位瑳務)
(参考文献:各著書、「AERA」09年8月31日号ほか各雑誌記事)

千葉の少年からメディアスターへ
マツコのデラックスな年表

1972 10月26日 千葉県千葉市で誕生。
1977 5歳 初めて男を意識する。
1982 10歳 小学校4年生の学芸会で初めて女装。「リンゴの唄」(並木路子)を熱唱。学校では歌を披露するなどして、それなりにクラスメイトの人気を得ていた。ひとりリサイタルの後は、大映ドラマごっこにハマる。水泳をやっている同級生Kくんへの感情から、同性愛者としての目覚めはこの歳だったと回想。
1983 11歳 学校の教師が、まずいことをした女子生徒を泣きながら殴るのを見て、ドライな性格が変化。熱く人に接するようになる。が、その反動で疲弊してしまい、不登校の時期を過ごす。高学年まで夜尿症が治らず。
1985 13歳 階段の踊り場で「1986年のマリリン」(本田美奈子)を歌い踊る中学1年時を過ごす。なお、チンコを初めて「食した」のもこの年。この頃、本気で女性歌手になりたいと思っていたとのこと。学校には、自己表現をするために行っていた。
1987 15歳 千葉県立犢橋高校入学。周囲の生徒に嫌がらせをされる時期を経て、「人は好かれるか嫌われるかはっきりしたほうが生きやすい」と気づき始める。
1989 17歳 高校3年生で完全な女装を経験。資生堂の企業文化誌「花椿」を見て、服飾やメイクへの興味をはっきり持つようになる。
1990 18歳 高校卒業、コンビニなどで1年間アルバイト生活を送る。
1991 19歳 美容専門学校に入学。この時期、モード系の洋服に憧れ“食べ吐き”でダイエット。1年かけて体重は半分になったものの、脱力感と貧血で無気力になる。その後はまた食べまくり、食べても食べても満足できず。
1994 22歳 美容師インターンを経て、ふらりとゲイ雑誌「Badi」編集部入社。「マツコ・デラックス」を名乗ってドラァグクイーンとしての活動も始める。年内に「Badi」を退社し、パン工場(1週間でギブアップ)、建設現場での肉体労働などのバイト生活を送る。ラブホテルのバイトの面接に落ちる。
1996 24歳 「Badi」再入社。
2000 28歳 バラエティ番組『エブナイ』(フジ)出演。大晦日、仕事終わりに訪れた当時の彼氏の家でフラれる。寝糞・寝小便・寝ゲロの「トリプルセット」を1年で経験する。この頃、自分が突出したデブだと初めて自覚。
2001 29歳 同僚と衝突し、「Badi」退社。千葉の実家でひきこもる。約半年間、一日の大半をベッドの上で過ごし、その後3年間、実家で暮らすことに。この年、中村うさぎ対談集『人生張ってます』に女装ライターとして登場。実質的なメディア出演のきっかけとして扱われる。

2002 30歳 単著『アタシがマツコ・デラックス!』(ソニー・マガジンズ)刊行。テレビ出演依頼が相次ぎ、『サンデー・ジャポン』に出演。うまくいかなかったと感じ、しばらくメディア出演を控える。

2004 32歳 両親が転居をするにあたり、「新しい家にお前の部屋はない」と母親に実家をたたき出される。ひとり暮らし再開。
2005 33歳 『週刊女装リターンズ』(主婦と生活社)刊行。『5時に夢中!』(TOKYO MX)レギュラーコメンテーターに。
2007 35歳 大晦日、女装紅白歌合戦にて北島三郎に扮して『まつり』を熱唱し、トリを務める。
2008 36歳 『悪魔の契約にサイン』(TBS)レギュラー出演(09年終了)。
2009 37歳 初の冠番組『マツコの部屋』(フジ)スタート。現在の所属事務所・ナチュラルエイトと契約。『ピンポン!』(TBS)レギュラー出演。
2010 38歳 『世迷いごと』(双葉社)、共著『うさぎとマツコの往復書簡』(毎日新聞社)刊行。『有田とマツコと男と女』(TBS/13年終了)開始。各種CMにもこの頃から出演し始める。

2011 39歳 『あまから人生相談』(ぶんか社)、『マツ☆キヨ』(新潮社)、共著『うさぎとマツコの往復書簡2』(毎日新聞社)刊行。『マツコ&有吉の怒り新党』(テレ朝)、『マツコの知らない世界』(TBS)、『スター☆ドラフト会議』(日テレ/13年終了)開始。

2012 40歳 『続・世迷いごと』(双葉社)、『うさぎとマツコの往復書簡3』(毎日新聞社)刊行。『月曜から夜ふかし』(日テレ)開始。
2013 41歳 『アウト×デラックス』(フジ)開始。『マツコの日本ボカシ話』(TBS)始まるも、放映1回での打ち切りが話題に。雑誌「オリ☆スタ」の「読者1000人が選ぶタレント好感度ランキング」で3位に。
2014 42歳 『デラックスじゃない』(双葉社)、『うさぎとマツコの往復書簡4』刊行。

2015 43歳 『夜の巷を徘徊する』(テレ朝)、『マツコとマツコ』(日テレ)、『全力!脱力タイムズ』(フジ)開始。上半期、テレビ出演本数ランキング(ニホンモニター調べ)で昨年圏外から女性部門6位(163本)に。

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