【無料公開中】夏フェス出演、フジ音楽番組司会抜擢……高まる森高千里・再評価!音楽的実力を今問い直す――森高千里再評価の謎を追う【1】

――今春の番組改編で、フジテレビが21年ぶりに生放送の新音楽番組を始めることが発表された。司会のひとりは森高千里。この数年、本格的に歌手としての活動に復帰した彼女は、いま再び“旬”なアーティストとしてスポットを浴びているのだ。2010年代半ばの今、森高千里はなぜ再評価されているのか? その原因に、さまざまな角度から迫ってみた。

 森高千里再評価の熱が高まっている。

 40代後半になっても衰えの見えないルックスもさることながら、その音楽活動、アーティストとしての存在感に、あらためてスポットライトが当たりつつある。そして、当時からのファンだけでなく、デビュー当時を知らない若い世代にもその魅力が届き始めているのだ。

 きっかけは2012年。00年に第一子を出産し子育てを生活の中心としてきた彼女が、この年、デビュー25周年を記念して本格的に再始動を果たす。シングル集のリリースやライブだけでなく、YouTubeに公式チャンネルを開設し、99年までに発表したシングルやアルバムのほぼ全曲をセルフカバーしていくという「200曲セルフカバー企画」もスタートさせている(15年4月上旬段階で計165曲を公開)。

 さらに13年には、若手DJ・トラックメイカーであるtofubeatsのメジャーデビュー曲「Don't Stop The Music」にフィーチャリングで参加。翌14年には「森高千里 with tofubeats」名義でサマーソニックのステージに立ち、入場規制の盛況に。互いの曲をノンストップで披露するその内容は、コラボレーション・アルバム『森高豆腐』としてもリリースされている。

 もともと森高千里の大ファンだったというtofubeatsに、彼女のどういうところが好きだったのか、話を聞いたことがある。まず印象的だったのは「僕からしたら音楽しか残ってない」という一言。90年生まれの彼にとって、森高千里がブレイクした頃のことは当然リアルタイムではない。当時のブームを知る人はミニスカのビジュアルやアイドルとしてのキャラクターを記憶しているが、音源だけを聴いている世代にとってはそういうイメージが一切ない。だから、純粋にいい音楽として憧れる、ということだった。

 特に彼がフェイバリットとして挙げていたのが「私がオバさんになっても」(92年)。彼の中では、同じく憧れである宇多田ヒカルと森高千里が通じ合っているのだという。それは、言葉では表現できない微妙な気持ちが音楽を通じて鮮やかに形になっている、ということ。単行本『新しい音楽とことば』(スペースシャワーブックス)に収録されたインタビューでも、彼は「自分が最も好きなもの、いいと思う歌詞は?」という問いに、森高千里のこの曲を真っ先に挙げている。
「音楽をつくるには、〇・一秒くらいのことを曲をにしなくちゃいけないと思うんです。で、〇・一秒くらいの瞬間に思ったことをどんどん煮詰めていくと、最終的に人生と同じくらいの長さになる。だから売れる。『私がオバさんになっても』って、そういう曲なんです」

 こんなふうに彼は語っている。本格的な再始動前に、80年代や90年代の森高千里を知らない世代であるtofubeatsのフィルターを通すことによって、今の森高千里、新しい森高千里像が若い世代に伝わっていたという面は大きいだろう。そして森高自身が、メジャーデビュー前だったtofubeatsからのコラボのオファーを快く受け、2人でライブをすることを逆に提案するなど、新しい挑戦に柔軟に取り組む姿勢を見せてきたことも、ここ数年の再評価の波の一因になっている。さらに、冒頭で触れたYouTubeで計200曲をセルフカバーするというのも前代未聞の企画だ。

 そもそも森高千里は「挑戦」の人だった。アイドル全盛期のデビューから、自ら作詞を手がけたり、ドラムやギターなど数々の楽器をプレイしたり、先人のいない道を歩んできたキャリアの持ち主だ。

 デビューは87年。ポカリスエットのイメージガール・コンテストで優勝し、CM出演を経てのレコードデビューだった。1stアルバム『NEW SEASON』の頃は本人も周囲もまだ方向性をつかめていないようだったが、続く『ミーハー』(88年)の表題曲「ミーハー」で作詞を手がけたことがひとつのきっかけになる。アイドルが歌詞を書くなんて珍しかった時代に、自己表現としてのシンプルでストレートな言葉を書いて歌うようになる。

 過重なスケジュールや、アイドル路線とアーティスト路線の葛藤からストレスで急性腸炎になり入院するようなこともあったが、その時のことも「ストレス」として曲になっている。見たことや感じたことがそのまま歌詞の言葉になるスタイルは、アルバム『見て』(88年)から顕在化。負けず嫌いで出たがりな本人の性格も、歌詞に反映されるようになる。

 そして89年には南沙織のカバー「17才」がスマッシュヒットし、続く4thアルバム『非実力派宣言』で一躍ブレイク。89年にはベスト盤『森高ランド』もリリースされ、社会現象的な人気を巻き起こす。その様子は、未公開ライブ映像を収録した5月リリース予定の映像作品『1990年の森高千里』にも記録されている。

 こうして一躍スターになり超過密スケジュールをこなす中でも、アルバム『ROCK ALIVE』(92年)ではギター演奏にてレコーディングに参加、『ペパーランド』(同)ではすべての楽器演奏に携わっている。さらにシングル曲「渡良瀬橋」(93年)でも楽器演奏を披露、後に歌碑も建てられる代表曲となった。

 幼少時からギターやピアノに触れ、高校の頃はバンドを組んでドラムをプレイしていた彼女だけあって楽器の素養ももともとあったのだが、特にドラムの腕前は錚々たるミュージシャンが絶賛し、吉田拓郎がアルバムにドラマーとして起用するほど。マルチプレイヤーとして着実な歩みを経てきたことが、再始動後の活動の充実にもつながっているわけだ。

 4月からはフジテレビ系の音楽番組『水曜歌謡祭』の司会を務めることも決定した。再び日本のポップシーンの前線に立つようになった森高千里。この特集では、彼女の唯一無二な魅力をあらためて紐解いていこう。

(文/柴 那典)


アイドルからアーティストへ――森高千里早見表

1969年 …大阪府茨木市に生まれる。生後しばらくで熊本県熊本市に転居。
1985年 …高校在学中に同級生とバンド結成。担当はドラム。
1986年 …大塚製薬「ポカリスエット」イメージガール・コンテストでグランプリ獲得、CMデビュー。同年、上京。
1987年 …映画『あいつに恋して』ヒロイン役出演。同作の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー。この年から女優より歌手の仕事に比重を寄せる。
1988年 …アルバム『ミーハー』発売。リード曲「ザ・ミーハー」で初めて作詞担当。
1989年 …南沙織の「17才」リメイクがヒット。超ミニの衣装も、おなじみのものに。
1992年 …「私がオバさんになっても」ヒット。
1994年 …顎関節症のため、コンサートを2年休業する。
1999年 …俳優・江口洋介と入籍。妊娠がわかり、産休へ。
2000年 …長女出産。
2002年 …長男出産。
2008年 …シャ乱Q結成20周年記念ライブにて、9年ぶりに公の場でのパフォーマンスを行う。
2009年 …『僕らの音楽』(フジ)、『ミュージックステーション』(テレ朝)等で、10年ぶりのテレビ出演。
2012年 …5月25日のデビュー25周年を機に、本格的に歌手活動を再開。オリジナル曲200曲のセルフカバーがスタート。
2013年 …tofubeatsと「Don’t Stop The Music feat. 森高千里」を発表。
2014年 …サマーソニック2014にて、tofubeatsと共演。秋には本人初のライブハウスツアーを敢行。
2015年 …新番組『水曜歌謡祭』(フジ)メインMCを務めることに。

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