『荒地』を愛でる「火の説教」 5
兄の王は、ジョイスとすれば
父の王とは、パウンドかもしれない。
あくまで私の場合は超読だから話し半分にして欲しいが
同年に「ユリシリーズ」は出ているしエリオットはそれを称賛している。
「ユリシリーズ」は「オデュセイア」が下敷きになっている。
また、パウンドも「キャントーズ」もあるから、超読をしてしまう。
骨なんかは、エゼキエル書の預言もある。
つまり、彼らは死んだかもしれないが、復活するのだ。
鼠は土手(bank)でヌルッとしていたが、
屋根裏部屋(garret)では、カラカラとしている。
戦争は、国益で勃発する。
それは勝てると踏んで仕掛けるのみでなく、負けるかもしれないが参戦するということがある。
(Bank)の要請だったのかは、分からないが、(garret)→政治家たちの枯れた骨がある。
そこには、鼠がいる。(何を指すかは分からない)
昨日と今日は数行の違いだからイメージ引力が強い。
鼠の動きのイメージの対比である。
つまり、異なる同じイメージが用いられている。
だから、私は、皮肉ではないかと読む。
超読だから話し半分で読んで欲しい。
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