『荒地』を愛でる「火の説教」 7
これはうろ覚えだから気になったら調べて欲しいが、
性行為の音を表現されているらしい。
西脇訳と滝沢訳は、ここでも違ってくる。
音の違いこそ本性に訴えてくるものが変わると思う。
性行為を念頭にするとトウィッよりも
チョッの方が生々しい。
強いらぅたは、より直訳にしようとする努力だ。
西脇訳は、意訳中の意訳だ。
きっと性描写のスラングがあるのかもしれない。
辞書以上の経験を下敷きにしているのだろう。
ここに来て、ソーダ水や少年唱歌隊のイメージが、変わってきてしまう。
ちなみに、エリオットは、スウィーニーという人物を性的に用いることがある。
とも読んだことがある。
また、別の文脈でスウィーニーは、喜劇の代名詞という情報もある。
ポーター夫人のイメージはすっかり変わってしまった。
ならば、火の説教は、喜劇で終わらなければならない。
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