もう翻訳は、文芸だなと思う。
例のように滝沢訳は、語順も単語もそのまま置き換えている。
しかし、西脇訳は、語順も単語の解釈も違う。
それは、たぶん関係代名詞の捉え方の違いなのだろう。
すみれ色の時刻。
という幻想的な世界観を提示している。
「人間の発動機」という西脇訳は不可思議だ。
「男と女の二つの世界の間に生きている」とはどういうことだろう。
確かに、男性のような老婆を見かけるが、きっとそれを
契機にした幻想だろう。
I Tiresias から can see
が、なんか技法的なものを感じる。
母国語で分かりたかった。