『荒地』を愛でる「火の説教」 3

And their friends, the loitering heirs of city directors;
Departed, have left no addresses.
By the waters of Leman I sat down and wept...
Sweet Thames, run softly till I end my song,
Sweet Thames, run softly, for I speak not loud or long.
But at my back in a cold blast I hear
The rattle of the bones, and chuckle spread from ear to ear.

火の説教1:T.S.エリオット「荒地」 (hix05.com)

またその男の友達の商業区の重役の息子達ののらくらものの連中も去ってしまった。
宛名も置かずに。
われレーマン湖の水辺に坐り涙を流しぬ……
美しいテムズよ、静かに流れよ、わが歌の尽くるまで
美しいテムズよ、静かに流れよ、われ声高くも長くも語らざれば。
だが僕のうしろで
寒い風につれて骸骨がすれ合う音や
耳から耳へひろがってくすくす笑う声がする。

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そしてその友人たち、シティーの重役連中のどら息子どもも。
去っていった、アドレスも残していない。
レマン湖の畔で私は腰をおろして泣いた…
愛おしいテムズ、静かに流れよ、私が歌を終えるまで、
愛おしいテムズ、静かに流れよ、大声で長く話しはしないから。
でも背後の冷たい突風の中に聞えるのは
骨のカタカタ鳴る音、そして耳から耳へと広がるクスクス笑う声。

荒地 | 春風社 Shumpusha Publishing

 (私のブログに求められるのは、私情ではなく、詩情なのかもしれない)

 西脇順三郎訳と滝沢博訳。
 前者が、意訳的だとすれば、後者が、直訳的だ。
 私は、聖書の民なので、できれば、直訳の方がいいと思う者である。
 しかし、詩文に関しては、そうもいかない。
 彼らの訳した詩文を見て、やはり、西脇順三郎訳の方がいいとも思ってしまう。
 私たちは、矛盾する人間だ。
 特に、「Sweet Thames」を「美しいテムズ」と訳するのと「愛おしいテムズ」と訳するのでは大きな違いだ。
 私は、語感から「愛おしいテムズ」の方が、私は好きだ。
 しかし、「Sweet」は、辞書で調べるレベルでも「愛おしい」の意味を持っている。
 なのに、西脇順三郎、一流の翻訳では「美しい」とするのは、英語本来のイメージがあるのではないかと思ってしまう。
 西脇順三郎とは、英語から詩作を始めた異端児であるから、「Sweet」を「美しい」と読める文化的な背景があるのではないかと勘繰ってしまう。
 しかし、やはり、ここでは「愛おしい」の方が私はいいと思う。
 理由は、特にない。
 それは、母国語の「ニュアンス」の違いだから
 「湖」を「みずうみ」と読ませるのか
 「湖」を「うみ」と読ませるのかの
 詩文としての美意識の違いでしかないからだ。
 (私はちなみに「湖」を「うみ」と読みたい派である)

 労力が続く限り、この解釈ブログを続けていこうと思う。

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