現代長歌を出しているということは、嘲笑の道具にされているが、それは、何とも戦っていない人の嘲笑だ。
結局、安全地帯にいたいだけなのだ。

日輪の沈黙で何をやりたいか分かってもらうしかない。

長歌の純化。短歌の超克。詩の復権なのだ。

そして、ドラマツルギーを重ねて、戯曲にする。

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