赤い雄牛(レッドブル)

なぜワークス仕様のエンジンをカスタマーチームである、レッドブルが獲得できたのか。
話を少し戻すと、ルノーが08年のシーズンに起こしたシンガポールGPのクラッシュゲートに端を発したと言っても過言ではない、この事件以降09年のルノーに対する信用問題は低下の一途を辿っていた。それに伴い大幅なスポンサー企業の撤退も相まってチームの存続も危うくなっていた又、リーマンショック等景気後退の煽りを受け、09年頃からルノーは自身のワークスチームを維持する事すら困難に陥りロータス・ルノーとして参戦していたがもはや虫の息のルノーに残された選択肢は多くなかったのだ。また当時からルノーエンジンの供給を受けていた他のチーム(レッドブル)もルノーの去就を注視していた。

2012年シーズンからロータスとして参加することが決まり、2011年いっぱいでルノーのワークスとしての参加がここで一旦打ち切られたのだった。

ロータスとして参戦することが決まったのでワークスのエンジンの供給先が不透明になった、その問題を解決に白羽の矢を立てられたのがレッドブルだったのだ。かくしてレッドブルはルノーのワークスエンジンを手に入れる事が出来たし実際、「我々のエンジンはワークス待遇を受けている」と発言している事もあって2010年から2013年の4年間連続ワールドチャンピオンを獲得している。


実際当時のルノーエンジンはとても強かったと記憶している。カスタマーチームからの評価も非常に高かったが他のカスタマーはドライバーの力量不足もあって本領発揮に至らない事がままあったと思う。


しかしながらもしクラッシュゲートなんかしていなければルノーのワークス活動は変わっていたと思われる。

ちなみにルノーのF1チームとしての変遷は複雑なので私が記載できる範囲で説明すると、トールマン→ベネトン→ルノー→ロータス→ルノー。←イマココ

トールマンと言うチームからデビューしたF1ドライバーに「アイルトン・セナ」がいるし歴史もそれなりにあるチームだったが今も昔もチームは財政難によく陥りやすかったそこにファッションブランドのベネトンが参入する形でトールマンを買収。ファッションブランドのベネトンがF1に入って来たことにより大きな注目度を集めた。アイルトン・セナの盟友、ゲルハルト・ベルガーや七度のワールドチャンピオンのミハエル・シューマッハもこのベネトンに在籍していた。

しかしベネトンのチーム運営の状況は年々徐々に悪化していった事も相まって1997年頃からチーム売却の話が出て来て噂話にしては妙に現実味を持ったような話がまことしやかに囁かれていた。そこで当時エンジン供給で絡みのあったルノーがワークスとしてベネトンを買収して再度F1に復帰する方向で動いている事が明るみに出た。その件もありベネトンは2001年末まで活動し、2002年から2011年までルノーのワークス活動が本格始動することになるのでした。で、冒頭のクラッシュゲートなどの問題が尾を弾いて保険会社のINGがシーズン途中でスポンサーを降りることになった。ちなみにこの時の騒動でペペジーンズロンドンはレッドブル・レーシングにスポンサードを移した。それほど大きな信用問題に発展してしまったのは言うまでもない。

その後ルノーはロータス・ルノーとして名前を変えて続いて行くのだがもはやワークスとして活動するのも限界だったと言う事も踏まえてロータスと言うチームに変更したんだと思われる。

次回、レッドブルとルノー大喧嘩の末に・・・・

乞うご期待!

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