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新メンバー加入

はじめまして。今年の9月からUSWに入学した芝本悠馬(しばもとゆうま)です。

2002年兵庫県生まれの19歳で、蹴球Cymruの中では唯一ゴリゴリ関西弁です。2021年は受験からはじめての一人暮らし&大学生活を経験したこともあってかなり濃い一年になったので、自己紹介をしつつ今年を振り返っていこうと思います。

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胃腸炎真っ只中で笑えなかった

1、選手

自分はサッカーがめちゃくちゃ下手くそです。

謙遜とかではなくて、まじで下手です。市内1回戦落ちの中学校で3年間ベンチスタート。練習の最後でミニゲームをするときはよくボールを失うことから先輩に「爆弾」なんて呼ばれてた時期もありました。

中学最後の夏の大会が終わった後にはもうすっかりサッカーをプレーすることが嫌いになっていて、辞める気満々でした。

ただ、小学校の頃からサッカーを観るのはすごく好きでした。このスポーツを始めたのも父親が昼ごはんの間にたまたまテレビでつけたユーロ2012ポルトガル対オランダがきっかけで、その頃からフルマッチを見ることが趣味でした。今でも中学時代の同級生のキャプテンとは時折DMでサッカーについて話しています。

一度サッカーが嫌いになった自分が今ウェールズでサッカーについて試行錯誤してるのも、この辺りがベースになっていると思います。


2、入学するまで

サッカーを辞めてからは日本の高校に通っていたのですが、親の仕事の都合で小学校の時に4年住んでいたアメリカに戻ることになりました。

小学生の時に会得した英語力もすっかり落ちていて、最初は友達を作ることに苦労したのを覚えています。その間家で何もすることがなかった自分はリヴァプールやリーズ、ブライトンなどを見続け、サッカーを少し深掘りすることにだんだんと興味が湧いてきました。

高校3年生の時は2ヶ月間の短いシーズンの中高校のアナリストとして活動し、試合後のプレゼンやハーフタイム中のフィードバックをしていました。運よく結果もついていき、現場で働く楽しさを垣間見れた気がしました。

進路について考える中、サッカーに関係した仕事につきたいという漠然とした希望はあったのですが、中学校での経験から何処か頭の隅でそれは諦めていて、高校をアメリカで終えたあとは日本の大学に進学するつもりでした。

そんな中コロナで自分が住んでいた州はロックダウンに陥り、まともに学校に行けない状況の中再度自分の進路を考え直した結果、University of South Wales に行くことに決めました。

最終的に決断した要因としては、自分が一番興味のあるサッカーという分野を専門的に学べることは言うまでもなく、アメリカの学校のスケジュール(5月末終業、8月末始業)に合っていたこと、自分の英語力を鍛え直し完璧なものにすることと考えています。

ですが、正直将来は不透明ですし、留学しても何にも学んでこないで帰ってくる学生も多くいることも承知の上です。その中でできることをやるしかない!


3、大学生活

渡英してからは毎日が興味深い経験だらけですごく楽しいです。

サッカー内ではもちろんのこと、多国籍で様々なバックグラウンドをもっているクラスメイト、監督、先輩、実際にプロの現場でアナリストとして働いていた人たちとディープなことまで喋れるのはすごく新鮮です。

今学期は週3で授業を受けつつ、ウェールズ女子1部のヘッドアナリスト、大学男子1軍のアナリストとして活動しました。度重なる徹夜や慣れない業務で辛い時もありましたが、今後アナリストとしてやっていく以上今のうちにできる限りの努力と失敗を重ねていくことが大事なのかな、と勝手に思ってます。

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留学の観点からも、イギリスの友達が練習から帰る途中スーパーでお得なセールを紹介してくれたり、香港から来た同級生と昼飯食いに行ったりと、みんなフレンドリーです。

元々静かなので友達ができるかが大きな不安の一つではあったのですが、意外とすぐにできました。小学2年生でアメリカに行った時から英語でもみくちゃにされてきましたが、英語って結局は座学より気合いで、根気強くいろんな人と喋って失敗を重ねていくしか上達方法はないと思っています。

アメリカに住んでいた時と決定的に違うのは、帰る家に家族がいないことです。ただ、その分喋る必要性も増えたことか、アメリカにいた時より何倍も多く英語を喋っていて、日々英語が洗練されていってる感じがします。

最後に、嫌いだったサッカーが今ではすごく楽しい。

またコロナが爆発的に増えていて、今シーズンの残りの日程が危ぶまれるところですが、なんとか続行できることを祈って。

ってな感じで今回はこんなところで。バーイ。

芝本

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