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『ビューティフル・デイ』(2017)    引きこもりでないノーマン・ベイツ

 『タクシー・ドライバー』『イコライザー』 『レオン』あたりがよく引き合いに出されるが、まったく違う。本作品は『サイコ』のような心理スリラーだ。
主人公ジョーの心の闇は『サイコ』のノーマン・ベイツ級である。母親がTVで『サイコ』を観ていたというシーンでは、壁に鳥の画が掛けてある。ヒッチコックへのオマージュだ。

「このシーンは偶然付け加えただけだ」という監督のインタヴューがあるのだが、これもイギリス(スコットランド)人監督リン・ラムジーのユーモアだろう。ラムジーがヒッチコックの強い影響を受けているのは間違いなく、この場面は入念に計算された演出である。

私がインタヴュアーなら壁の画の事をつっこむだろう。またヒッチコックが子供の頃、留置場に入れられたという有名な話もヒッチコック自身による創作である。このあたりはイギリス人のユーモアのセンスなのだろう。

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〈以下、結末や核心に関する記述あり〉

主人公は父親に虐待されて育ったため、同じような境遇の人間に会うと強いシンパシーを抱く。あるいは、言葉を交わさなくても相手が虐待されていたことに気が付くのかもしれない。

母親を殺し、自分を殺しに来た刑事の死に際にラディオから、I've Never Been to Me(愛はかげろうのように)が流れる。ソフトなメロディのせいで、日本ではラヴ・ソングかなにかと誤解されがちだが、親を呪い自分の不幸を嘆く者へ向けた歌である。
"I've been to crying for unborn children that might have made me complete"子供を堕胎したことを後悔している女性の歌詞を聴き、主人公は「むしろ自分は生まれてこなければよかった」と思ったのではないだろうか?
刑事は曲に合わせて口ずさむ
I took the sweet life
I never knew
I'd be bitter from the sweet
I've spent my life exploring
the subtle whoring
that costs too much to be free
悪に身も心を売ってしまった刑事が、その代償の大きさを嘆いているのだ。

イカテリーナ・サムソノフが当時15歳に満たなかったこともあるだろうが、直接的な性描写ではなく、彼女が数を数えることで表現されている。
また、誰から説明されたわけでもないが、主人公はニーナが父親から性的虐待を受けていたことを察する。また彼女もジョーが子供時代に虐待されていたことを理解する。

ニーナは主人公ジョーの幻想の産物、あるいはジョーがニーナの空想上の存在だったのだのだろうか?
それとも全てがジョーの妄想の物語なのだろうか?本当は序盤の自宅の時点で、既に母親は死んでいるのではないか?といった解釈もできるだろうが、ジョーが自宅から出ていくのを、母親は窓から見ていた。全てが夢オチだったということは無いのだ。
エンディングの、グラスが残されたダイナーのテーブルは、確かに二人が存在したことを表現している。自殺願望の強かった主人公は、ニーナによって救われたのだ。

★★★★★

2019年12月10日に日本でレビュー済み

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