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『ミスト』(2007)   社会的メタファーだと気が付くかどうか

政治的にリベラルで知られるスティーヴン・キングだけに「アローヘッド計画」は原子力(あるいは化学/生物兵器)事故のメタファーという解釈もできるだろう。最近もHBOのドラマ『チェルノブイリ』についてツイートしていたくらいだ。
また、原作は1980年出版であるが、2007年公開の本作品は9.11の影響を受けているという見方もできる。若い兵士を生贄として外に放り出す集団心理は、テロとの戦いと称してアフガニスタンへ兵士たちを送りこんだアメリカのアレゴリーのようにも見える。

ところで、霧の意味であるmistとfogの違いはなんだろうか?日本語でも、適切な判断ができないという意味で「目が曇る」と言うが、mistには、目を曇らせるもの、判断力を鈍らせるものというような意味もある。

【以下、核心や結末に関する記述あり】

スーパーに閉じ込められた人々は、いわばアメリカ社会の縮図である。大卒で画家である主人公側に付く人たちは教師など中流層のリベラル派と中道派といったところだ。
宗教的狂信者のカーモディは一見するとキリスト教原理主義を象徴しているように見える。しかし、このカーモディ、原語ではダーティーな言葉を度々使っていることから、本当に信心深いキリスト教徒とは思えない。神の名や旧約聖書を都合よく利用しているだけなのだ。脚本家の意図としては社会の除け者や狂人、変人の象徴だろう。また、リベラル派からは、当時のブッシュ大統領のメタファーという意見もあるようだ。
カーモディは、インテリで良識派の象徴である若い女性教師を目の敵にしている。カーモディに同調する者達も無学なワーキング・クラス達だ。彼らは地元から出たことが無いような田舎者として描かれており、保守層の描き方がいかにもスティーヴン・キングらしい。ちなみに老教師役のフランシス・スターンハーゲンはスティーヴン・キングが原作の映画やTVドラマの常連である。この老教師こそがキリスト教保守を象徴しているのだろう。
原語では、カーモディを、ジム・ジョーンズという実在したカルト教団ピープルズ・テンプルの教祖になぞらえており、みんながクール・エイドを飲みだす前に逃げたほうがいいと言っている。drinking the Kool-Aidという慣用句は、粉末ジュースにシアン化合物を混ぜてピープルズ・テンプルの信者が飲んだことから来ており、「盲信する」、「無批判に従う」という意味で使われる。
このあたりの英語が分からないと、主人公たちがスーパーを出るという判断をせざるえなかった理由が希薄に感じられるかもしれない。日本でいうと「麻原に従うオウム信者みたいになって、ポアしろとか言い出す前に」といったところだろう。
おびえる連中は彼女に従う、すぐ数が倍になる、そして誰かを生贄にと言い出す、という主人公たちの予想は、すぐ現実になる。若い兵士は刺されたときには意識があった。彼はカーモディに殺されたのだ。
ついに彼女は「息子を生贄に差し出せ」「皆殺しにしろ!」と扇動する。銃が無ければ、主人公グループはスーパーで皆殺しにされていたただろう。
また、主人公グループのスーパー脱出計画があろうとなかろうと、カーモディの生贄リスト上位に、女性教師が入れられていたことは容易に想像がつく。

実は映画公開直後から Was Mrs. Carmody right?(カーモディが正しかった?)という意見もあるのだが、カーモディは悪魔憑きであり、彼女の考えの方が霧の中の怪物より恐ろしいというのが、アメリカでは一般的なようだ。芸術家や教師など知識や教養のある者を目の敵にし、大衆を扇動して殺戮しようとする様は、文化大革命やクメール・ルージュの大量虐殺と文化浄化そのものだ。

映画ではエンディングを変更したため、軍が怪物を退治して事態は収束に向かっている様子であり、良識派の主人公グループの最後の決断が結果的に裏目に出るという悲劇になってる。これは『ロミオとジュリエット』の影響もあるかもしれない。
また主人公グループが、(脱出の予行も兼ねてはいたが)瀕死の重傷者のために危険を冒して薬品を取りに行くほどの人道主義であったことも、結末の不条理感を一層強調している。
主人公たちが間違っていたとは誰も言えないだろう。劇中の言葉を借りるならばNobody can say thatだ。
また自殺という選択は映画では昔から珍しくなく、インディアンの襲撃や植民地での現地人の反乱などの場面で、ほのめかして描かれてきている。主人公は一番つらい役目を引き受けるし、大人たちは子供が寝ている間に終わらせようと、静かに受け入れる。最後の最後まで良識派なのだ。
主人公の最後の判断は間違っていない。この映画の最大の悲劇は、直前に息子が目を覚ましてしまったことだ…。

原作者も納得の上での変更と言われているが、テーマが分かりづらくなってしまい、バッド・エンディングの結末ありきの映画だと批判される理由でもあろう。また、キングも絶賛の結末というのは映画の宣伝であり、『シャイニング』の経験から映画に関しては監督と脚本家に任せて口を出さないことにしているだけ、という説もある。これはあくまで個人的な推測なのだが、原作の終盤が1978年の映画『ゾンビ』の結末とよく似ており、批判を避けるためではないだろうか。そもそも設定はエドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』に似ているようにも思える。
いずれにしてもスティーヴン・キング作品の映画化としては成功しており、スティーヴン・キングの小説は大作映画に仕立てるより、B級やTV作品との相性が良いように思う。B級なアーロン・エッカートと言われるトーマス・ジェーンも、今回は会心の演技をみせている。

さて、エンディングで兵士たちがガスマスクを着用していることから、やはり「ミスト」は放射性物質あるいは化学/生物兵器のメタファーであることを裏付けているようにも見えるのだが、別の解釈も成り立つ。
メタファーというより化学兵器そのもので、リアルな幻覚が現れ妄想を引き起こし、人々が殺しあったり自殺に至る、恐ろしい毒ガスだったのではないか…


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2019年12月9日に日本でレビュー済み

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