ヴィエの舞
ふと思い出したのだが、かつての私の仲間達は何のまえぶれもなく「ヴィエヴィエ」言っていたものだ。唐突に「ヴィエ」と文字に表すと意味不明で、私自身ながらく思い出すこともなかったから何が原因でそうなったのかわからなかったのだが、冷静に記憶を辿るとやはり奇妙な経過だった。
仲間達の一人に、一言目には「いや」をつける人がいた。嫌われる人にありがちなこととして、相手を否定する癖がついているというのがあるが、まさにその典型だった。彼自身の言動があまりに変なため、毎日なにがどうおかしいのかを指摘するのだが、本人は自覚がないのか、そんなことはないと弁解するために「いや」を連発していたことを思い出す。彼に「いや」と言う癖があることに気づいたのは私で、ちょっと声を真似して「いや」と仲間の前で披露したら、全員から共感された。私は仲間達と頻繁に語録をつくっていったもので、私から発信したものは少なくなかったのだが、大抵は誰かによって誇張されてそいつのモノになってしまうのだから、それはパイオニアのつらいところだった。ある人物が「はい、では」という呼びかけをすることが多かったものだから、私は声帯模写のつもりで真似したところ、それが微妙に似ていないことで大いに面白がられたのだが、そのうちに仲間の一人が「は~~~~~~~~~いでは~~~~~~~~~」と裏声で引き延ばしたところそちらの方が大受けになってしまい、もう私の出る幕はなかった。オリジナルよりもカヴァーがヒットするという現象はこういうところでも起きるのだ。「いや」にしても同じことで、仲間達は私に触発されて何かにつけて「いや」「いや」と連発するようになった。まだ「ちいかわ」が誕生していない頃だ。独自の世界で「いや」を言い続けていると、例によって誇張が進んでいき、オリジナルよりも濁点のついた「い゛や゛」に発展するようになった。それでも成長はとまらず、「ヴェ」が基本の形となり、さらに「ヴィエ」になったというわけだ。この過程は私の関与するところではなく、すっかり任せる形にしていた。一度私が珍しく「ヴィエ」を披露(ただし文章で)すると、「ついに神(当時の私のあだ名)までヴィエに染まってしまった」と嘆かれる結果となった。その「ヴィエ」の源流は私にあったのだが。それを言ったら、真のオリジナルである「いや」が口癖の彼にこそ権利があるのだが、もはや誰も気にしなかった。
「いや」の始祖である彼を以後「イビ」と呼ぶことにして、イビは自分の知らないところで大いなるインフルエンサーとなっていた。代表作は「千円でもええか?」「~することは犯罪ですか?」「○○に家があるんだよなあ」「得意様~~~!」などで、これらの言葉を今でも容易に挙げることができる。私達はあまり関係がない場面でもこれらの言葉を使っていったものだ。そうなると思考がイビに近づくというか、正確には我々のなかで作り出したイビに染まってしまうという症状が慢性化するようになった。特にD氏は酷く、我々の中でも最大の「ヴィエ」の使い手だった。「ヴィエ」はD氏一人で成長したといってもいい。D氏はやがて顔芸とともに「ヴィエ」を駆使するようになり、目を見開きながら発作のごとく「ヴェ! ヴィ、ヴィエ!」と唸り出すのだから、我々は大いに笑ったのだが、多少の畏怖も混じっていないことはなかった。私が仲間の一人と歩きながら話している時、仲間達のイビ化がとまらなくて恐ろしいという話題になり、それは主に冗談だったのだが、D氏に関しては「あれはさすがにおかしい」という結論になった。それまでのD氏は、我々の中ではまだ温和だった。まず我々とは異なる毛色の集団の一員というのが、最初のD氏に印象であり、急激に私達と共鳴して独自の「ヴィエ」道を歩むとは予想もつかないことだったのだ。とはいえ私達はD氏の「ヴェ」芸を求めていたのであり、こちらからリクエストしてD氏にやらせることもあった。元はといえばイビの言動がおかしかったからこんなことになったのだが、我々の振る舞いを傍目から見ればどう考えても我々の方が異常だった。
彼等とは深い親交を長きにわたり保つことができた。関係はこれからも続くものと思っていたが、おわりはあっけなかった。何かがあったとも言えるし、とりたてて騒ぐほどのことでもないと言える。とにかく今となっては彼等と顔を合わせることも言葉のやりとりをすることもなく、それは寂しく残念なことだ。だからこそ私は巡り合えた知己を大事にしたいと思う。そう言いながら本当に大事にしようと励まないのもまた私なのだが。
仲間達と最後に会ったのは2022年の11月だ。同窓会に近い感覚だった。元来それぞれ違う道を歩んでいた我々だったが、集まるからこそ現れる趣がある。その一つが「ヴィエ」だ。久しぶりに全員集合した途端に例の鳴き声が飛び出すのだから、ご無沙汰でもあの時の感覚は残っているのだと、とても心強かった。メンバーによっては、普段の生活でも何か返事をする際に奇声をあげそうになると語っていて、それはさすがに異常だが、かつての我々の言動からすれば自然なことだし、未だに衰えていないことが嬉しかった。我々がこれからあと何回集まれるのか、そもそも次の機会がいつなのか、さっぱりわからない。それでもせめて次回までは、往年の感覚を保っていてほしいと思う。
それにしても私は仲間達の中でも最弱だった。彼等は集まれば始終奇声を発する団体だったが、私だけが静かなものだった。それは私が致命的にノリが悪いからではなく、自由に広い音域が出せる喉をもっていなかったからだ。あるときなど「(欄干代表が)一番まともだ」と言われることもあったが、それは不本意な結果とも言えた。私だってできることなら、彼等と同じ勢いに乗りたかった。ただ、やはり声の質の問題もあったし、何より彼等に圧倒される思いが強かったのだ。
確かに私は奇人が好きだし、そういう人物に憧れがないでもない。しかしそういう人間を下手に真似するのはかなりみっともないことだ。わざとやっているかどうかというのは一目でわかる。私は自分にとって自然な状態を維持することが大事なのだと思う。とはいえ私という人間がどこまでもまともだとは到底思えない。結局のところ私は、普通に会話はできるがふとしたところで疑問符がつく程度の人間でいれば良いのではないか。一言目の挨拶から異常な人間というのは、魅力的かもしれないが、非常に困難なスタイルだ。
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