星街が言っていた『ともだち同盟』を読んだ
星街すいせいというと、先日渋谷で路上ライブをやったことが話題になり、Twitterのトレンドにも上がっていた。私の環境では、トレンドに星街の件と、「みこのあな」と「音乃瀬奏クソコラグランプリ」が並んでおり、落差というか、大変バラエティー豊かだった。
星街は歌手として有名だし、有名な曲もあるのだが、私はまともに聞いていない。直近のヒット曲だと「ビビデバ」があるものの、私は未だにどんな曲なのかよく知らない。唯一「ビビデバ」にふれたのは、尾丸ポルカが星街風の声をつくって歌っていたのを視聴した時だ。それでこんな曲なのかと思い、それきりなのだから、これではとても曲を聴いたとは言えない。
「みんなの前で生歌を披露する星街ポルカと寄せた歌い方が気に入らなくて殴りかかるねねちw」
それでも私は星街が好きだ。曲はさくらみこ経由でしか聞いてないし、チャンネル登録もアカウントのフォローもしてないし、スーパーチャットも投げていないが、ファンだ(確か今の星街にはスーパーチャットが投げられなかったはずだし、それ以前に私は誰にもスーパーチャットを送っていない)。私は、歌手としての星街を素晴らしいと思う以上に、人間としての星街も興味深いと感じている。ここでとやかくは書かないが、星街は変人で、そして愉快な人だからだ。
星街と「ともだち同盟」
そんな星街がゲーム配信で、とある小説について言及しているのを、私は切り抜き動画で視聴した。特に読書家という印象のない星街が言うには、ずっと昔に読んだ小説で、題名は忘れているが、内容がすごかったのだという。以下に、発言の内容を記す。
「颯爽と現れて一万人のモヤッとを解決して去っていくリスナーが面白い」
星街はかなり具体的なヒントを挙げているのだが、一万人もの視聴者による記憶や検索をもってしても、特定にはなかなか至らなかった。「いちご同盟」という題名の小説は確かに存在するのだが、星街によるとそれではない。視聴者は「いちご100%」「イチゴ色禁句」「ストロベリーナイト」「絶望系 閉じられた世界」「冷たい校舎の時は止まる」といった題名を挙げるが、「いちご100%」は論外として、星街はそれぞれの名前を検索して「違う」と言うばかりだった。星街は、一度はきっと「いちご」が題名についていたと強調していたが、次第に自信がなくなり、登場人物に女の子が二人いたかどうかさえ怪しくなっている。視聴者は「本当に小説なのか」「夢で見た話ではないか」「星街の姉が書いたのではないか」などと憶測をたてていた。
そこで「多分、ともだち同盟」というコメントが流れてきたのを目にした星街は、長年埋もれていた記憶が急に鮮明になり、確信の中で検索するとやはり間違いなかった。星街は感動のあまり机を叩くほどの喜びを見せた。そして、「いちご」というまったく関係ない単語を結び付けていた自分に突っ込まざるを得なかったのだった。
実は星街が記憶していた情報はかなり正確だった。「登場人物が女の子二人と男の子一人」「最終的に主人公の男の子が精神世界みたいなところに閉じ込められる」「電車のイメージ」「表紙がちょっと薄暗系」「駅みたいな精神世界」いずれも正しいと言える。一人の女の子が「ヤンデレ」というのも、合っているといえば合っている。それでもなかなか特定されなかったのは、「いちご」が障壁になっていたからだろう。ちなみに作中には、一応「イチゴ」という単語が出てはいるのだが、本当にわずかなものだ。これで題名が「いちご同盟」だったのなら、森鴎外の『雁』やサイモン&ガーファンクルの「ザ・ボクサー」なみに、題名と内容の結びつきがあっさりとしか登場しない作品になる。
いったい誰が「ともだち同盟」の名を挙げたのかと星街は気になり、どうやら「トーマス」を名乗る視聴者が「いちご同盟」というコメントを残していたことがわかった。星街が「トーマスさん。ありがとう、トーマス」と言う直前に、「トーマス」という名前を教える視聴者が二人いたため、それを鵜呑みにしたのだろう。確かにトーマス氏は27分11秒あたりで「ともだち同盟じゃない?」というコメントを残している。
星街はトーマス氏に、なぜ知っていたのか、読んだことがあるのかという問いかけをしたものの、トーマス氏は一切返事をしなかった。「次の駅へ向かったのさ」といったコメントを見て、面白がる星街だったが、トーマス氏はその後も現れた。メンバーシップに加入し、配信終了後に自分がコメントした時点の指定(タイムスタンプ)をする、といった動きを見せるトーマス氏だったが、結局星街への問いには一切答えなかった。
今回、配信を見て気づいたのは、「ともだち同盟」という本を最初に特定したのはトーマス氏ではなかったことだ。24分48秒頃に、yunokiという人物が先に「ともだち同盟」の名を挙げている。星街は勢いよく流れるコメントから正解を見つけることができなかったのだろう、数回におよぶyunoki氏からの声に反応せず、トーマス氏のコメントでようやく答えを発見した。トーマス氏が星街の質問に答えなかったのは、自分のコメントがyunoki氏のパクリでしかないことを知っていたからだろう。おそらくyunoki氏が「ともだち同盟」の名を挙げているのを見たトーマス氏は、自分でも本の題名で検索して確信を得たことで、コメントを送ったのだろう。すると星街が読み上げ、たちまち救世主になってしまった。ただ「ともだち同盟」は、電車や駅が重要な存在になっている小説なので、きかんしゃトーマスをアイコン画像にし、名前もまさにトーマスになっている人物が功労者に仕上がったというのは、よくできた話だと言える。
そうなると不憫なのはyunoki氏だ。ただしその後の配信のチャット欄を見ると、yunoki氏は自分に脚光が集まらなかったことを気に病む様子はなく、その後も配信を楽しんでいるから聖人としか言いようがない。私だったら発狂して荒らしにまわりかねない。yunoki氏が自分の指摘にそこまで重きを置かなかったのは、yunoki氏もまた「ともだち同盟」を読んだわけではなく、検索して得ただけの情報だから、特別自分の手柄だとは思わなかったからだろう。実際、yunoki氏は24分21秒あたりで、「同盟で検索したら出てきたw」とコメントしている。それにしても健康な心をもっているというべきだろう。
星街が「ともだち同盟」を読んでいたということはいくらか話題になり、本の作者である森田季節がTwitterにて配信の内容にふれるほどだった。
森田季節は近年「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」という作品がアニメ化するなど、売れっ子の小説家だ。「ともだち同盟」が刊行されたのは2010年のことで、初期の作品ということになる。星街は「児童書?」と半信半疑で言っていたが、実際は一般文芸書扱いで、ただ作者はライトノベル出身者なのでやはり若い読者を想定して書かれたものだ。私はまともに本を読まない人間なので、「ともだち同盟」は題名すら知らなかった。ヒット作である「スライム倒して300年~」もなんとなく題名に覚えがある気がするが、スライムがどうとかいう題名の作品など世に腐るほどあるのだから、何が何だかわからず、要するに知らないと言った方が早い。
こんな無知無関心な私だが、「ともだち同盟」という作品は気になった。星街が読んだということに価値を感じたし、何より星街が述懐した小説の内容が強烈だったため、実際どんなものなのだろうと読みたくなったのだ。さっそくAmazonで検索をかけると、果たして商品が出てきた。十年以上前の作品なので、品切れになっていることは予期していたことだ。しかし、中古含めて一切の出品がなく、入手不可能になっていることには驚いた。事態は現在もあまり変わっておらず、2024年10月4日現在、Amazonの商品ページを閲覧すると、中古の最低価格が2500円と定価以上になっている。
作者である森田季節が「部数も少ない」と言ったように、「ともだち同盟」は筋金入りの稀覯書なのか。私はKeepaという拡張機能を使っているので、Amazonでの十年間の価格変動がわかる。
何が表示されているのかわからないかもしれないが、グラフの底を這う線は見えるだろう。「ともだち同盟」は2016年までは新品で手に入ったようだ。一方で中古は常に千円以下で、百円以下(送料別)で入手できるのも珍しくなかったようだ。つまり、全然レアではないということだ。
事態が変わったのは2022年11月17日の午前中で、販売価格1074円の商品が売れたのを最後にぱったりと出品がなくなり、何か月もの間その状態が続いたのだ。
2022年11月17日の午前中というと、先述の星街の配信が行われていた時間だ。星街は深夜に配信を行い、昔読んだ小説のことを思い出し、それを見ていた視聴者がこぞって古本を買ったということだ。つまり星街のせいで「ともだち同盟」は入手困難になったのだ。
星街があんなことさえ言わなければ、「ともだち同盟」は今も楽に手に入っただろう。しかし星街があんなことを言わなかったら、私は「ともだち同盟」を知ることはなかったに違いない。とにかく読めないのが問題だ。私は時折Amazonで本のタイトルを検索しては、いつまでも入手が困難になっている事態を目の当たりにした。時には星街と同じく題名を忘れて、その度にYouTubeで「星街 小説」などと検索することもあった。そうして時間はいたずらに過ぎてゆくのだった。
国会図書館の「ともだち同盟」
先月、私は国立国会図書館に行く用事ができた。昼頃からずっと資料を取り寄せては閲覧したりコピーをお願いしたりを繰り返しているうちに、夕方になってきた。18時には人と会う約束をしており、図書館にいられるのも残り一時間ほどになった。この時間をどうしたものかと思っていたら、ふと「ともだち同盟」が頭をよぎった。普通に流通していた「ともだち同盟」がこの広い図書館にないはずがない。検索すると当然ながらあり、誰も利用していないので迷わず申し込んだ。ほどなくして図書カウンターで現物を受け取った。カバーが外されており味気なかったが、自分のものではないし読むには関係ないので、そのまま付近にある椅子に坐って急いで読み進めた。
読み始めて笑えたのは、星街との関連性だった。まず主人公の少年は、非常に中性的な外見をしており、本人も自分が一向に男らしくならないことを自覚している。星街は無類の少年キャラ(ショタキャラとは違う)好きというのはファンの間ではよく知られたことだ。星街が「ともだち同盟」を読んだ頃というと、ざっくり言って十年前とかになるだろう。その頃から星街の中性的なキャラクターが好きだという嗜好は変わらなかったのではないか。だとすると、星街は昔から星街だったのであり、ゆるぎない趣味を感じる。
この主人公の名前は、「大神弥刀」という。「弥刀」は「みと」と読む。星街が所属するホロライブには「大神ミオ」がおり、私はすぐに連想してしまった。まるで星街の未来を予知しているかのような、ちょっとした偶然だ。
笑えるのはこのあたりだけで、「ともだち同盟」は決して愉快軽快な話ではない。煩悶だらけと言った方が正しい。
主要な登場人物は三人で、もはやこの三人くらいしか登場しない。唯一の男性である大神弥刀と、女性二人は千里と朝日だ。弥刀は自分の曖昧な性に戸惑っているし、千里は発言の多くが残虐で、ことあるごとに「死にたいですね」と言うし、朝日は明らかに千里に戸惑っている。題名にもなっている「ともだち同盟」とは千里が言い出したことで、はじめは朝日とともに結ばれたものだったが、途中で弥刀も巻き込まれた。同盟の内容は、互いの秘密をばらしてはいけない、嘘をついてはいけないというものだ。これを守らないと、大変なことになるという。
千里の暴言といい「死にたいですね」という口癖といい魔女を自称するところといい、私はどうしても厨二病めいた痛々しいものを感じてならないのだが、ぎりぎりのところで浅薄なものから逃れているといったところだ。というのは、千里はこんなことを言いつつも楽しげであり、ほがらかだからだ。千里の天性の気質がなかったら、私はこの本を途中で投げ飛ばしていただろう。なんだかんだいって、千里は物語の最後まで自分の調子を崩していない。
星街が題名を間違えて言った「いちご同盟」だが、「いちご」という単語は第一章で少しだけ出てくる。それは千里と弥刀が食事をしている場面で、弥刀は千里についてこう捉えている。「薄い甘いクレープの生地の奥にはけばけばしいイチゴの原色がひかえている」。星街がこの部分を憶えていて、「いちご同盟」という記憶上の題名が生まれたという可能性は、高いとは言えないだろう。
三人は変な関係を築いているわけだが、弥刀はそれを拠り所としている。あるとき朝日から告白を受けて、恋愛感情もないのに承諾したのも、関係を壊したくなかったからだ。とはいえ男らしくない弥刀にとって朝日との恋愛関係はうまくいかない。そのことを知っている千里は、自作の惚れ薬を弥刀に渡している。弥刀と朝日は惚れ薬を本当に飲むことになった。それで、弥刀と千里が二人だけで会ってほしくないと朝日が言ったり、それでも千里は弥刀と二人で会うことを仕向けたり、奇妙に展開がずっと続いていると思ったら千里は突然死んだ。駅のホームから転落したのだという。これが第一章のおわりだ。後にわかることだが、線路に突っ込んだのではなく、逆側の崖に身を投じたのだ。
私は面倒くさがってあらすじを丁寧に書く気がないので、あまり情感が伝わっていないかもしれないが、実際に読んでいるとなかなかに引き込まれるものがあった。それは東京の大きな図書館で、待ち合わせの時間が迫っている中を急いで読んでいたことの特別感、緊張感のせいでもあるだろう。それにしても「ともだち同盟」の第一章は、かなり異様な雰囲気に包まれており、それでいて爽やかなものもなくはない。だからこそ千里の突然の死は、ただの読者にとっても衝撃だった。
残念ながらここで時間切れとなり、私は大急ぎで本を返却して駅へと向かった。夕食を食べ、その夜も東京で泊まったわけだが、私の頭は「ともだち同盟」でいっぱいだった。
こんなところに「ともだち同盟」
国会図書館は本を借りて持ち帰るということができないので、私はまたしても「ともだち同盟」が読めない状態に戻った。第一章を読み終えたはいいが、それは本のようやく半分に差し掛かったところだった。続きはいったいどうなるのか、どうしたら読めるのか。私は念のため、自分の家に最も近い図書館の蔵書をスマートフォンで調べた。すると「ともだち同盟」はあっさりと見つかった。なんだ、あるのかよと私は今までの努力が水泡に帰した感覚になった。国会図書館まで行って読んだのはなんだったのか。
作者もこう言っていた。
東京から帰った私はさっそく近くの図書館に入った。どういう采配なのか知らないが、「ともだち同盟」は移動図書館で各地をさまよっているようで、私は館内のパソコンで仕留めることにした。利用カードが家のどこを探しても見つからないので、仮カードまで作る破目になった。
予約をしてから一日で本が取り寄せられたことの電話を受けたため、その日のうちに図書館へ駆け込んだ。こうして私は心置きなく物語の続きを読むことができた。今度はちゃんと表紙がついている。以前もAmazonで書影を見たことはあるが、現物を見ると違った印象を受ける。ネットの画像だけでは見落としてしまう情報があることは、これまでも経験したことだ。
第二章は短く、まず千里の葬式がはじまった。友達代表として朝日が、別れの言葉を読みあげるのだった。弥刀は見るからに千里の死を乗り越えることができていない。そんな中で、死んだはずの千里からの電話に応じてしまう。その翌日に、弥刀と朝日とでデートする予定があり電車で移動していると二人して途中で眠ってしまい、目が覚めると全然違う光景に囲まれることになり、降りた駅も変なところなのだった。本当はもっと詳細なことが書かれているのだが、電車とか駅とかいうものに興味がなさすぎるので、とにかく尋常ならざる所と言うしかない。星街が言った「精神世界」というのはここから始まる。
第三章で、とうとう弥刀と朝日は精神世界みたいなところに閉じ込められ、千里と再会する。千里が言うには、朝日は嘘をついた=ともだち同盟を破ったのだそうだ。朝日は自分のついた嘘を特定して千里に言わなければならない。もし正解していれば、千里は帰り道を教えてくれる。つまり電車ののぼり・くだりのどちらかだ。明後日の夕方まで正解しないと二度と戻れないそうだ。
筋をなぞると依然として異様なのだが、読み進めているとだんだん不思議な話という感じがしなくなった。「あれ? 案外現実的なんじゃないの?」という具合だ。具体的には、朝日が自分の過去の過ちを弥刀に語るところからだ。
朝日と千里とは幼稚園からの同級生なのだが、小学生の頃に朝日は千里をいじめる側に立っていたそうだ。理由らしい理由もなく、ただ異様な感じがするからだという。それで朝日は、千里は気持ちが悪いという風潮をつくり、いじめの参謀役を務めていたのだった。朝日は千里について喜怒哀楽が感じられず、いくらいじめられても分かりやすい感情を引き出すことができなかったのだという。
朝日の述懐で、私は千里のことがかなりわかるようになった。単純に他の人と比べていくらか特殊な人だったのだ。無論そのことに罪などない。しかし世の中とは、特に子供というのは異様なものを目にすると乱暴に扱いたくなって仕方がなくなる。それは分別のない野蛮な振る舞いといえば簡単だ。それ以外にも、そういう異様な人間に対する恐怖も含まれていると私は感じる。
私が常々考えていることとして、我々は同じ言語を話しているからといってコミュニケーションが揃うとは限らないという持論がある。人によっては乱暴な言い回ししかできない人間というのがいる。傍目には暴言にしか聞こえない言葉でも、当人にとっては「こんにちは」程度の挨拶でしかないこともありうる。普通の感覚として、誰かに「こんにちは」とだけ言ったのに相手がドン引きする様子を見せてきたら、どう思うだろうか。それは混乱するだろうし、自分の何がいけないのかと思うに違いない。世に蔓延るいじめにも色々あるが、一つの傾向として同じ言葉が使えなかったという齟齬が原因になっている場合はかなりあるだろう。朝日が千里との過去にふれて、喜怒哀楽がないとか違和感があるとか言ったのも、まさにその典型だろう。結局のところ、朝日たちのような人間には千里に宿る感情の陰影など少しもわからないし、わかろうともしないのだ。千里は朝日に「自分は魔女だからいじめられるのも仕方がない」と言ったそうだが、これは千里なりの諦観というか、開き直りというか。千里もまた朝日のような人間たちに困惑していたから、喜怒哀楽も表し難かったのだと思う。特に何かしたわけでもないのに、こんな仕打ちを受けるのはなぜかと、理解不能になるだろう。作中でも千里が「魔女というのは自称でしかない」といったことを言っている通り、とにかく魔女という言葉を額面通り受け取るわけにはいかないと思う。
千里が駅に凝っているという設定にも意図があるのではないかと思えてくる。インターネットで電車オタクといえば、迷惑系撮り鉄を連想するのは早いだろう。これは極端な例としても、普通ではない人間としてのサンプルとして、電車マニアとしての千里(こういうと語弊があるが)を提示しているのではないか。
かくいう私も、千里側の人間なのだと思う。それはもう、何もしてないはずなのに変なことを言ってくる人間を何人も見てきた。なぜこんな人間が絶えず現れるのかと、ずっと疑問だったのだが、次第に特に意味はないことに気づいた。彼らは荒いコミュニケーションしか知らない。こちらも同じように雑に当たり返さないと、向こうは混乱するし、逆にこちらが加害者ということにさえなる。なぜなら、相手はただ挨拶をしているだけで、私は挨拶に無視をしたことになるのだから。「ひどいことを言うな」と思う人間が現れたのなら、こちらも同じくらい酷いことを言えばよい。実際、失礼な奴に「死ね」と言ったこともあったが、結果としてそいつとは仲良くなった。そいつは私のことを「同じ言葉が使える人間」だと認識したのに違いない。私はずいぶん馬鹿らしいと思ったものだ。
朝日は普通の人間と言ってよいのだろう。屈折していたり偏っていたりする人のことが理解できない。だから弥刀と二人でいる間は、千里のことをなかなか悪く言っている。結局のところ朝日は千里のことを最後まで理解できなかったし、気持ち悪いとも思っていたということだ。実際、千里は朝日に対して不気味なことをやっていたから、気味悪がられるのも無理はない。朝日は千里を恐れて、何も言い返せない日々が続いていた。弥刀に告白したのも、千里に命令されてのことだったのだ。
弥刀と朝日は死んだはずの千里の世界に入らされて、もしかすると二度と帰れなくなるかもしれない危機に直面している。その割にあまり緊張感がないのが面白い。それもやはり千里のマジックというものだろう。この期に及んで三人で海水浴をやっているし、朝日は気分転換のためかヤケになってか泳いではしゃいでいる。もちろんこれは一つの側面に過ぎないのであり、不安が襲ってくることもあるのだが、敵側に立っているはずの千里が妙にのんびりしているのだから、張り合いがないのだ。
二泊目に差し掛かろうと言うとき、弥刀と朝日はついに体の関係に及ぼうとするのだが、弥刀が女体化していることが発覚し失敗。星街が言っていた「図書館とか図書室においていいやつ?」という感想は、ここに当てはまるものだろう。ここが最も直球な描写なのだが、それ以前から千里の発言にはいかがわしいものがあり、臆面もなく言う様子にも怪しい魅力があった。
○○しないと出られない部屋という言い回しはよくあるが、それはこの世界においてはあまり関係がないし、女体化したなら百合で押し切ろうという度胸も弥刀たちにはなかった。
翌日は最終日で、朝日ではなく弥刀が答えを理解して、しかも千里が死んだ理由もわかった気になる。ついに弥刀が千里に回答をつきつけると、果たしてそれが正解で、帰りの電車を知るところとなる。朝日の嘘というのは、葬式の別れの言葉で、千里との関係を友達と言ったことだった。千里にはそれが嘘だとわかったようで、実際朝日はずっと千里をヤバい人間だと思っていたわけだ。友達の定義はともかく、この辺の登場人物の察し方というのは直感一辺倒という感じがあり、この小説、ひいては人間関係の不確かさが表れている。
晴れて二人は元の世界へ帰るのかというと、弥刀は千里の世界に留まることに決めた。朝日を欺いての決断だった。このくだりは読んでいてかなり興奮した。多分、弥刀は電車には乗らないのだろうなと察するところがあって、実際にそのシーンまでを読むのは手に汗握る瞬間だった。
弥刀が千里とともに生きることを選んだ理由は、なんとなくでしかない。千里はずっと独りでいるしかなく、憐れむところがあったのだろう。「あっ、千里の相手ができるのは僕しかいない」なんてことも言っている。正解を突き付けられたときの千里の様子が少し寂しそうだったし、朝日は最後の最後で千里を非難するしで、弥刀は余計に同情したわけだ。
そういうところも含めて千里の技巧だった。これは千里なりの賭けであって、かなりの瀬戸際で弥刀を自分のものにすることができた。では千里は弥刀と恋愛関係でいたかったのかというとこれが複雑で、まず千里を女性にさせてしまっている。性的関係に陥ると純度が落ちるとかそういう理由での女体化だった。
弥刀は大した選択をしたものだと感心しないでもない。千里に振り回された結果ではあるが、弥刀は自分で選んだことだと言う。二人だけの世界で生きるというは、いわゆるセカイ系の真正面といったところだろうか。そこに感動がないではなかった。
ただ「ともだち同盟」はここでは終わらない。最後は、現実に帰った朝日視点で物語が進む。朝日は割と冷静に物事を見ており、二人の行為は弱者による逃避でしかないじゃないかと看破する。とはいえやはり心が乱れてもいるので、千里の墓の前で罵倒したり蹴り上げたりしている。そうするうちに千里の声が聞こえてきたので、朝日は冷淡を意識して応える。千里の声の隣では誰かが泣きそうになっているとあるが、これは明らかに弥刀だろう。この部分を描いたことで、「ともだち同盟」は軽薄な小説から脱することができている。現実的な視点で見たら、弥刀が選んだのは地獄に近い場所でしかない。「千里とともにいる年数が少ないからわからないだろうけど」といったことを朝日が弥刀に諭していたのは、一度だけはなかったはずだ。読者である私から見ても、千里とずっと一緒にいるのはしんどいと思う。
とはいえ千里の声も、隣の寂しそうな声も朝日の幻聴でしかないとも言える。朝日はそのことを自覚している。実際、千里と弥刀がどうなっているのかはわからないし、そもそもそんな世界があるのかどうかすら怪しい。最後に、朝日はこれからも千里の世界と隣り合わせになっていることが示される。それでも朝日は千里たちから背を向けて、今いる世界に留まろうと決心するところで物語は閉じられる。
興覚めなことを言うと、千里はさんざん人に粗末に扱われて、自暴自棄に近い状態で死んだ人間だ。弥刀は男らしくなれないという曖昧な境界で悩んでいたが、本当ならそのうち時間が解決していたことだろう。まだまだ浮かんでいられただろうに、面倒な人たちに巻き込まれて二度と引き返せない選択をしたのはあまりに重すぎる。千里を可哀想だと思って一手に引き受けようとしたのは、なかなか男らしいしぐさにも見えるが、時すでに遅し弥刀は女になっている。十代も後半に差し掛かろうというのに女性的な容貌をしていたことについては、正直うらやましい気がした(男らしくあることにさほど良さを感じないため)。こういう読者からの願望や羨望、あるいは星街のような人の嗜好といったものが弥刀をこんな結末に至らしめたとも言えるのではないか。もっともこれは随分とメタフィクションな見方になるが。
唯一の生還者である朝日に関しても、本稿では書けなかったが実はかなりの罪を犯しており、そのことが千里に支配される原因になっていたのだ。千里が関係することがなくとも罪の意識を知らずにはいられなかっただろうし、生涯付きまとう問題になるのは必定だ。なんとも救いがないようだが、人間というのは程度の差こそあれこんなものではないだろうか。常に安定していられる人間などいるものではない。我々にできることは、ちょっとバランスを崩して危うい状態になったときに元の路に帰るための勘を得ることだけだ。それを得ていなかったり忘れたりすると、魔境に取り囲まれるかもしれない。
いつか手許に「ともだち同盟」
無事に「ともだち同盟」を読了することができたわけで、本は図書館に返却した。こうしてまた私は「ともだち同盟」から離れた。とはいえできることなら手許に置いておきたい気がする。もう読んだのだから、まともにページを開かないかもしれないが、そこは私の収集癖なのだから仕方がない。図らずも星街に関係する本になったのだし、私にとっては東京での思い出もある。物質というものは思い入れと絡んで意味をなすものだ。そこまで積極的な気持ちではないにしても、買えるものなら「ともだち同盟」を借り物ではなく正式に所有したい。
長年、コレクションをやっていてわかったのは、長い目で見るべきということだ。今手に入らないとしても、そのうち手に入る。少なくとも本に関しては、よほどの珍しいものでもない限り、いつかは求めやすい金額で手に入るだろう。今は星街効果で高騰している「ともだち同盟」だが、いつかは鎮火することだろう。それがいつのことになるのかは分からない。
追記(2024年10月10日)
https://x.com/kimpeace/status/1843988529564774614
作者である森田季節先生に記事をとりあげてくださいました。編集者の平和様もご覧になっていただきました。心より感謝申し上げます。
ここまでの反応がもらえるとは思っておらず、恐縮しています。もっと詳細に書けることがあったんじゃないのか、何が「面倒くさがってあらすじを丁寧に書く気がない」だ!? といろいろと反省したくなっています。
復刊ドットコムでも復刊のリクエストができるようになっています。興味がある方はぜひ投票しましょう。私は投票しました。
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