やす子の方が苦手だったな

不破が大失態を犯した。やす子が「生きていて偉い」的なことをツイートしたところ、不破が引用リツイートで「お前は偉くない」「死んでください」と全否定したのだった。不破のツイートはすぐに削除されたが後の祭り、大変なことになっている。不破の運営はかなり厳しいものとなった。

一方で私も厳しいものを感じている。私はやす子というタレントが好きではなく、「個人的テレビで見たくないタレント・ランキング」の上位に君臨しているのだ。そんなやす子が、誰にも弁護できないレベルの暴言を有名なタレントから投げかけられた。しかもツイッターという不特定多数の人が見る場所でだ。当然ながらやす子は、偉くて、生きているべきで、褒めるべき存在だとして、圧倒的「許され」感を得た。ということはやす子は当分テレビで活躍することができるのだろう。その役割は決して不破には与えられていない。私は今後もやす子を見る機会と対峙しなければならない。フワは本当に馬鹿なことを言ったものだ。

不破は私にとってどうでもいい存在だった。今回の騒動以来、「実は嫌いだった」的な意見をよく目にするが、実はも何も昔から嫌いなタレントとして有名だったのではないか。そんな中でも、私は不破のことをそれなりに認めていたと思う。不破がテレビに出てくるようになったのは2019年で、あの当時はお笑い業界でも第七世代とかなんとか言って、今までになかった(実際のところは疑問だが)お笑い芸人が続々と台頭していた時期だった。だから不破みたいな失礼な人間が出てきたところで、こんなものだろうと思っていた節がある。こういう受け入れ方をしたのは私だけではなかったはずで、だからこそスリムクラブの「誰もフワちゃんを怒れなくなっている」のネタが生まれ、今になって脚光を浴びている。ちなみにそのネタが最初に披露されたであろう番組は千鳥の「クセがすごい」とかいうお笑い番組で、私はリアルタイムで見ていたものだ。私は普通に笑っていた。

私は不破に拒否反応を感じず受け入れたが、決して好きだったわけではない。私はテレビというメディアをどうしようもないものとして見ている節があり、その念は年々強まっているため、不破がどれだけ業界を荒そうとも構わないという姿勢だったのだ。ただ不破がインターネットで登場するとなると話は別で、YouTubeの広告で不破が出てくるのを見ると目を背けてしまうのだった。要するにインターネットは私の領域であって、そこには入ってくるなよと思っていたのだ(しかし不破はYouTuberだったはずだ)。不破に限らず、テレビが活動の拠点となっているタレントの大半は、私にとってインターネットで見たくないものとなっている。

それに対して、なぜやす子が好きでなくなっているかというと、最初の印象が悪すぎたからだ。まずこの人がお笑い芸人として披露するネタは全然面白くない(SAKURAIよりは面白いが)。そして、彼女が次第にバラエティー番組に出るようになると、そのあまりにも不器用な、お笑い芸人としては素人同然の受け答えが露呈して、とにかくつまらなかった。「さんまのお笑い向上委員会」に出演していた時は特に酷いと感じていたものだ。
とはいえ、やす子には一応キャッチーな要素があり、独特の返事(私が一番苦手なもの)が多分受けていて、やたらとテレビに出るようになった。あとかまいたちの山内に酷似している。器用でない人でも場数を踏めば効果が出るようで、次第にやす子は当初の酷すぎた状態から脱却しているように思う。つまりタレントとしての能力が少し上がっているのだ。しかし私は最初にやす子を見た時の感情が忘れられず、印象を更新することができないでいる。わざわざ好きになりたい何かがないのだから、どうしようもない。

どうしようもない私は、さきほどツイッターで「やす子 嫌い」で検索した。「嫌い」という単語を選んだのは、一番わかりやすい言葉だからだ。こんなことで仲間を求めるとは良い趣味ではないだろう。果たして私と同じ感情を抱いていた人はまあまあいることがわかり、それはそうだろうなと思った。中には注目を集めているツイートもあった。そういったツイートのリプライを見ると、「わざわざそんなことを言うな」という意見が予想通りあった。いろんなことを言う場所がツイッターなのであって、見たいツイートだけが見られる場所は滅多にない。「嫌いと言っている人が嫌い」という声もあり、やはり人は誰しも不破なのだった。「何かされたわけでもないのに嫌いになる理由がわからない」という意見もあったが、それが通用する世界なら芸能界も成立しないだろう(なぜ知り合いでもない人間のことが好きになるのか)。私はどうしてもやす子を嫌う人に気持ちが近づいている。ちなみに不破を擁護したり、やす子を悪く言う人間はもれなく不破の裏アカウントらしい。私も自撮り棒を武器とする日がきたようだ。露出の高い衣装は得意ではない。

やす子の「生きていて偉い」という発言が軽薄だという批判もあった。私はこれについては何も思わない。やす子に限らず、軽薄な発言はたくさんある。きれいごとを全部受け止めて、嫌いだ嫌いだと言うようではとても体力がもたない。

以下は私の直感なのだが、不破とやす子は本質的に同じものを抱えていると思う。身にまとっている表層が違う(例:不破は迷彩服を着ない)から、いじめっ子といじめられっ子の構図が綺麗におさまっているに過ぎないと思う(今回の騒動については、もちろんやす子は被害者でしかないのだが)。育ちのことなど、環境が全然違うらしいから別の歩みを辿っているにしても、どちらもまっとうに社会を生きてゆけるタイプではないという点では共通している。だから芸能界というやくざな商売をしているのだ。
私が不破を嫌いではないのは、不破は自分が社会不適合であることを理解して、その要素を120%にしているからだと思う。自分がどうしようもないことを知っているから開き直っているのであり、それが清々しく見える。私にとっての不破のイメージはそれだ。
一方でやす子は、最近は見ていられるタレントになっているかもしれないが、最初は芸能界としても不適合すれすれな振る舞いを見せていた。不破は最初から芸能人を圧倒する姿勢でいたから、戦略としては良い部類だった。「行列のできる法律相談所」で、松本人志に迫ることができたのだから、私も圧倒されたものだ。

今回の不破の失言に対する、やす子の「とても悲しい」というツイートも、いかにもという具合だ。人間としては当然の感情であり、コメントでもある。ただしタレント、しかもお笑い芸人としてはどうなのかという問題がある。お笑いというのは、時にウィル・スミスがビンタしたり、上島竜兵が自殺したり(これの理由は一つだけではないだろうが)するくらいの暴力性を抱えている。日本のお笑いもまた、暴力性とともに成長してきたのだ。そういう世界に生きることを選んだやす子の素質は、今回の第一コメントを見ても優れたものではないと感じる。
やす子の対応を見て、「同情を集めてよしよしされようとしている」として「不破への攻撃を推奨している」とか「実は意地汚いのはこっちの方だ」とか言われていて、それらの意見はかなり非難されている。私からすると、今回に関してはやす子の性格が実は悪いとかではなく、単純に下手なのだと思う。ツイッターだって今や芸能人にとっての立派な活動場所だ。やす子のタレントとしての能力は上がりつつあると思うが、やはり今一つなのではないか。

多分、不破はやす子を見て、自分と同じものを感じていたのだと思う。不破が自分のどうしようもない面を全開にすることで芸能界という荒海を渡っているのに対して、やす子ははるかにテクニックが劣るのにまわりからチヤホヤされている。イロモノ枠にもターン制があるようで、微妙に自分の旬が過ぎている感じが漂う不破にとって、やす子は自分を脅かす存在に見えたのではないか。どうやらやす子に対する不破の発言は以前から悪意がこもっていたようで、そこが不破のイジメ体質なのだと言われている。そうなのかもしれないし、多分不破なりのジョークだったとも思うのだが、内に秘めていたのはやす子への不安だったのではないかと思う。不破がやす子を狙ったのは偶然でも無差別でもない。私がやす子と不破どちらに対しても微妙な感情を抱いているのも、ただの直感ではないと思う。

私は不破とやす子の本質が同じだと書いた。ということで、やす子もまたいつ何をやらかすかわからないと私は思っている。まさか不破と同じ失敗をやるとは思わないが、別の形で悪い印象を多くの人に与えるのではないか。テレビに出演するやす子から放たれる危うさを見ると、どうも悪い予感を感じてならない。とりあえず今は同情を集めることができるだろう。それにしてもやす子は今後どういう態度をとってゆくのだろう。気の利いた受け答えが上手い人とは思えない。
もし将来やす子がやらかせば、不破の再評価路線がくることだってあり得る(これは芸能界へのカムバックの可能性を意味しない)。不破はあんなことを言っていたが一理あったのだと。今叩ける人はいくら叩いてもいいし、持ち上げたければどんな形でも持ち上げる。インターネッツとはいつだって悪意に満ちているのだ。

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