ギターという楽器の再発明 〜     Kent Nishimura : GuitarFidelity

このところ今の日本でしか生まれ得ない最新の音楽ではないか、と考えているそのことについて少しだけ書いてみたいと思う。
彼の名前は"Kent Nishimura"。
まだ10代の若いギタリストである。ジャンルはいわゆる"フィンガースタイル"と呼ばれるアコースティックギターのインストゥルメンタル。
今、彼の主な活動拠点はYouTubeであるが、フィンガースタイル界の大物アーティストが来日すると、ゲストのご指名がかかるなど、既にその実力は折り紙つきである。

さて、彼の魅力はざっくりとこんなところだろうか:

1. 楽曲のセレクション
2. そのギター(ソロ)アレンジ
3. その演奏テクニック
4. 上記の全てが不可分に一体化していて円熟の域に達してしまっていること

今YouTubeの彼のチャンネルに上がっている楽曲はスティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、トト、カーペンターズ、プリンスといった往年の名曲ポップス/ロックのカバー、さらには「Fly Me To The Moon」、「雨にぬれても」などのスタンダードが中心である(でも実際の楽曲セレクションとそれを再構築したアレンジは相当ワイドレンジだ)。
元々がギターソロ用に書かれてはいないこれらの楽曲たちは、多くの人がそのオリジナルを知っており、彼の繊細なアレンジと卓越した演奏からどうしてもそのオリジナルそのもの(場合によってはそれ以上の何か)が聞こえてきてしまう、というのがミソである。

彼の演奏を聴くとなぜか頭に浮かんでくるのが、モノマネの細かすぎてわかりずらい、というジャンル?というか“アレ”である。
(それを“再現”してしまおうとする、なんというかその姿勢というか心意気がね、、)
アレはオリジナルの特徴をいかにデフォルメして、オリジナルを彷彿とさせるが、そのデフォルメのポイントが玄人向けというか、細かいのでわかる人のツボにはまると、その破壊力がすごく、“そこかっ”という芸だと思うが、彼の場合は、“えー、(ソロで)これやるの?なのに繊細すぎるアレンジでわかりすぎるオリジナルのニュアンス”の破壊力。

ほぼギター1本でオリジナル楽曲を再構築しているのだが、スティービー・ワンダーが、カレン・カーペンターが、プリンスが、そこで歌っているのが聞こえてきてしまうんである。

先ほど"フィンガースタイル"といったが、基本ピックは使わない、指(爪)弾きという意味であり、その“スタイル”は誰にも似ていない。あるコメント曰く「彼の演奏はギターという楽器を再発明してしまった」と。

アコースティックギターにおける“フィンガースタイル”が一種の発明であったと言えなくもない、とは思うが、それは1人のギタリストが作り上げたというよりは、そこに至るまで結構な時間の積み重ねがあったように思われる(まあ、YouTubeもなかったしね)。

しかし、彼の奏法は、ギターソロでこういう風に弾くというのは世界中の(特に実際にギターを弾くギタリスト、プロアマ問わず)人々から「聴いたことがない」、「想像さえしなかった」、「開いた口が戻ってこない」という、進化スピードが速い1世代スタイルなのである(この辺りのスピード感は最近の囲碁・将棋界を賑わかしている10代の棋士達の動きと呼応しているように思う)。

んー、21世紀において、これだけ短期間に奏法が進化する楽器が他にあるだろうか?
彼の若い頃(小学生?中学生1年?)の映像を見ると、ちょっと前までは普通のギタリストが大学時代にやるようなことをすでに済ませていて驚く。(あまりにも同じやつを見るのでYouTubeがそのビデオをこっそり教えてくれたのだ。)

幼少の頃から(今の“オヤジキラー”ぶりからすると、恐らく口年寄りの音楽オヤジ軍が周りにいたのではないか、と想像しているのだがどんなギタリストやアーティストから影響を受けたのか聞いてみたいところだ)音楽とギターに慣れ親しんできたのだろう、その演奏テクニックは一体どうなっているのか「おい、今何やった?」と一聴・一見わけがわからない感じの油断ならないイベントの連続で、コメントには「head-shakingly fabulous」、「ridiculously crazy」、「baddest ever」、「eargasm」、「Human Instrumentality」といった、これまたわけがわからない形容詞が続くことになり、外出自粛が続こうものなら世界中で動画のスロー再生リピートによる“Kent Nishimura研究”が捗ることとなり(彼の動画は手元を複数アングルで撮っていることが多い)結果、思い余った者達はYouTubeのサムダウンをクリックすることになり、ある者は「Sex with a guitar!」と叫び、またある者は「Do You Like Kent Nishimura?」で始まる解説動画をアップすることになったりする。

彼の若い頃の映像を見てわかるのは、主に北米でアコースティックギターの上に積み上げられたもの、恐らくマイケル・ヘッジスあたりからの具体化され始めた“モダンな”着想も、小学生が宿題を片付けるように普通に消化してしまっていることである。
彼の“わけのわからなさ”の蓋を開けて少しだけ覗いてみると、北米のギタリスト達の死屍累々が転がっている、テクニックの背景に見え隠れするほんの一部だが、そんなものも一応、感じられる。

さらに、時に名うてのベーシストもかくやというベースラインをウネウネ(ある時はウォーキング、またある時はチョッパーで)グルーブさせながら、同時にバッキングとメロディーライン(時にユニゾン)にさらにパーカッシブなリズムが渾然一体となっていながらも、各パートが独立にセパレーションコントロールされた演奏は、音数が多く、かなり“きつい”ことをやっているはずなのに、どこか優雅な感じを漂わせていて、同時に行われるハーモニクスの早弾きに至るまで1音1音が非常にクリアでクリスプで、その上で音のダイナミクスやミュートなどの弦コントロールが非常に細かいところまで行き届いていて「指の動きが昆虫のようだね」、「おそらく脳みそが4つ別々に動いてるね」などというコメントが付いてしまう、そのテクニックと完全に一体化してしまっている、原曲を再現する繊細なアレンジがこれまた本当に、わけがわからない(たとえタブ譜があったとしてもほぼ、彼のようには弾けないし、というか譜面の表現力を少し超えているかも)。

そして、彼のギターはタップ・スラップのリズムとグルーブをバックによく歌う。“ギターが歌っている”、“声が聞こえる”とよくコメントがつく所以でもある。
それは英語で「musicality」と言われるもの(日本語で単に“音楽性”、“表現力”としてしまうと何か“Soul”のようなものが抜けて落ちてしまう感じ)の円熟感と関係があり、その円熟感は「13歳のルックスで700歳の(仙人のような)musicality」と言われてしまうくらいのものである。
決してこれ見よがしでない卓越したテクニックと繊細なアレンジに加えて、このmusicalityによって、この道うん十年のギタリスト達が、海を越えた音楽オヤジ達が、「おじさん、参りました」、「おじさんは、今泣いています」、「ストリートだったら彼のギターケースに俺の車のキーを入れてる」(これらは彼のオヤジキラーサイド)、「25年ほどギター弾きをやってきたが、明日から編み物を始めることにするぜ」(これは破壊力が強すぎるダークサイド?)などを連発してしまうのである。


YouTubeから出てきた才能といえば、今やあの若さでグラミーの常連になってしまったイギリスのジェイコブ・コリアーがいるが、日本という風土はKent Nishimuraを生み出した。
このような才能が出てくるには、ある一定以上の“豊かな”社会環境が絶対的に必要で(10代の若者が自分が生まれる20年以上前のポップスやロックの楽曲を、当時リアルタイムで聴いていた世界中の人々を相手に“今”ギター1本で唸らせ続けるのに必要となるものは何か?と考えると頭がぐるぐるする)、日本は高度成長期の“余韻”とYouTubeの合わせ技でなんとか、Kent Nishimuraを生み出すのに間に合ったのだろう。
さらにその上で“魔改造”の系譜に連なる日本人のDNAに刻まれた何か、既に存在しているものの枠組みやエッセンス、方向性だけをアリバイ的に残して、好みの形にリ・クリエイションしながら積み上げていく性癖のようなものも関係しているのではと、ダイナミックだが彼に比べたらだいぶ大味で繊細感が物足りない海外のフィンガースタイルギタリストを見るにつけ、そう思われて仕方がない。


YouTubeに彼の新作が上がり、そこに付くコメントのほとんどが海外からの賞賛の嵐で埋め尽くされるのを見るたびに、こんなことを考えながら、今日もYouTubeを見るのである。

[ギター好き、音楽好きはぜひ]
Kent Nishimura YouTube Channel


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