ぼくのこと

一人称の話

ぼくは大学生になって性について勉強しようと決めたとき、その気持ちを忘れないように一人称を変えた。具体的には高3の10月。

すでにいわゆる不思議ちゃん的な立ち位置だったおかげか、

「今日から一人称をぼくに変えようと思ってる。」

と宣言するとみんなは「へ~」ってな感じだったし、親でさえ「場をわきまえれば別にいい。」といった具合だったのでその日から自分でも驚くほどすんなりとシフトチェンジすることができた。

そこからというものなじみ過ぎて人と話すときは不意に出てしまうという弊害が出てしまった。これを弊害というのは2つ理由がある。

・アニメか漫画かゲームオタクだと思われる

・ボクっ娘じゃんwといわれる

前者は、アニメは1シーズンに一つ見るか見ないかだし、漫画はそもそも家に10冊もないし、ゲームはほぼDSで止まっているような人間なので期待されても何も出てこないというのが正直困る。

後者は本当にぼくにとっては苦痛ですらあるという理由やこうなった経緯をつらつらと書いていこうと思う。そもそも「ボクっ娘じゃんw」には前者的なニュアンスも含みがちなことからその凶悪さがうかがえる。

冒頭に戻って、性について勉強しよう!という運びになったところから話は始まる。

高校1年生のころ、クラスはある教師で話題になった。とてつもなく中性的な顔の40代くらいの人が、男性か女性かという話だった。髪の毛はショートボブくらいで、声はどちらかというと男性っぽいが、服の加減ではややおっぱいがあるようにみえる。当時96猫やVIP店長などといった声色のイメージと性別が逆転している歌い手などが流行っていたこともあり、声さえクリアしたら女性確定では!?と思っていた矢先、女性トイレに入るところを目撃した。

後に入る3つの部活動のうち一つは、彼女が顧問をやっていた。文系にもかかわらず、1年に合宿が2回あったり、文化祭の前日から死に物狂いで準備したり、卒業生を間近で送ったり、部室でケーキたべたり、クッキークリッカーでババアをアポカリプスにしたりとやりたい放題の日常系漫画をやっていた。それはさておき上級生に顧問の謎を聞いてみた。

「元男」

とだけ返ってきた。なるほど。今は何なのだろうかと新しい疑問が浮かんだ。イベントごとがあるとOBもよく来るような部活だったので、OBにもこっそり聞いた。

「え?直接聞いてみれば?てか私が聞こうか?」

全員豪快な人なので誰に聞いてもこうなっていた気はするが、その場にいた顧問をとっ捕まえて話し込んだ。

顧問は海外で性器を取った話(めちゃくちゃ痛いし面白い)や、お子さんたちの話をしてくれた。それから政治の話や東京まで出向いて声を上げる理由も話してくれた。今思えば教員としてというより一人のMtFのレズビアンとしての言葉だったように思う。

当時周りにセクシャルマイノリティ(この言葉があまり好きではないが、便宜上使っているよ。)の人がいなかったため、本当に居るんだなと驚いた。そのころ性同一性障害という言葉をよく耳にしたので、起こっている現象としてはその通りだが、これはさすがに障害や病気のように扱うのは違うよなと思った。考えるきっかけになったのかもしれない。

そして、こんなにも顧問が声を上げてもなお世間は知らん顔しているように見えた。図書室には顧問が出した本が2冊あった。どれも文章としてのいやらしさがなく、あっけらかんとしていて顧問の言葉そのものだった。ぼくはそれからテレビやネットの記事などを少しずつ見るようになった。

セクシャルマイノリティの存在をどこか受け入れきれない社会だったり、仕組みだったり、人だったり。だんだん目が慣れてきて、それに気づけるようになっていた。【みんなちがって、みんないい。ただし、お前以外】実際そのあとには生産性がないといわれたり、戸籍上結婚できなかったり(現在)不要な枷をされ続けているように見えた。

ぼく自身はほぼシスヘテロ(異性愛者)なため、実際の生活の不満は何もない。出会いにも困らないし、好きな異性と結婚して家族になることだってできる。でもそれでは面白くないと心から思った。ひねくれものだったからかもしれないし、顧問がわざわざ東京まで出向いてイベントを開くほどに訴えが熱心だったからかもしれない。

どうにか自分も誰かの考えるきっかけになればと思い、一人称を変えた。男性だってそうだ、上司には私、友達には僕や俺使い分ける人がいるようにぼくだってそうしたいと思っただけなのだ。女の子らしくという言葉が大嫌いだったぼくにはちょうど良かった。やっぱりひねくれてるだけかもしれない。

それがぼくが、ぼくと呼ぶ理由。

なので、ボクっ娘という言葉はカテゴライズされた女性の1パターンとしてそれ以上考えが及ばない上に、「女の子らしく」の呪いスパイスがほんのり振りかかっていて気味が悪く動きを封じられているような気持になる。あとシンプルに語感がキモい。人間に対して使うなよの気持ちなので、キャラクターやぼくのように実生活で自分のことをぼくと呼ぶ人に罪はないです。

あと不思議ちゃんも「ちゃん」しかいないのでかなりそわそわするし馬鹿にされているような気がするのでやめてね。後ぼくは不思議ちゃんではない。

ボクっ娘という言葉が急に出てきたなと思った人は冒頭に戻ってね。


後日談

これは、このご時世ジェンダー観が当時よりも、明るくなったから記録用に書き記したということもあるが、理由はもう一つある。

大学に入り、ジェンダーの勉強をしていくと、社会の仕組みはちょっとやそっとでは覆らないことを感じた。自分は勉強だけで事例をわかった気になっても、当事者の気持ちや、目線までは共有できない部分があることに気が付いてしまった。KUTOO運動だって、女性にとってはあるあるのはなしだが、男性は「女性にはそういうことがある(または感じる)」ということは理解できても、問題になる前に気づくことは難しいのと同じである。

当事者でもないのに当事者みたいな顔をしてあれこれ言うのは違うとおもったので、距離を取って卒論は別のことにした。

最近になって、セクシャルマイノリティの人と仲良くなったので(後でわかった)大学の頃の話をして、経緯を説明した後に勉強してたけど独りよがりになってしまったというと、「理解者が一人でも多くいるということがうれしいから大丈夫」と優しい言葉をかけてもらったためである。

最初の自己紹介でもあるとおり、その他大勢であることが苦手だったので、どのような事柄であってもマイノリティがあることを見なかったことにしたくなかったのだ。

自分の考え方や大切にしたい気持ちは無意味じゃなかったんだと改めて思うことができたので、こうして皆様の目に触れていただいている所存である。


自分語りのコーナー

ボケっとしてて気づかんかったがぼくは細かく言うとパンセクシャルらしいので本当に性別に興味がないです。自分ではかなり共感力が高いと思っていて、人の話を聞きまくると感情と思考が同期されて、どういう風に思っているか等おおよその判断が付く能力者だと信じて疑わないんですが、特定の性別しか好きにならない人たちの気持ちだけ全くわからないので教えてね。(早口オタク)

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