普通の懺悔

気持ち悪い自己紹介をします。


あまり普通という言葉が好きではなく、普通ってなんなんだよっていつも不貞腐れていた私も、無神経に「普通」という言葉を使い出しました。心底ガッカリしています。

 普通がなぜこんなにも憎たらしく見えるのか。私の場合はマジョリティを指す言葉だったからで、言い換えるなら「その他多勢」だったからです。

 学生の年頃は天才で独特で唯一無二のユニークな人間だと信じ、普通である事を拒みました。流行は自分からは見向きもせず、周りは誰も知らないだろうなと思うコンテンツを見つけては、ニヤニヤしながら陶酔しました。

 もちろん自分は天性の独特さを持ち合わせていると信じ切っていますので、自分の望む姿でいる事に重きをおきました。なので、わざと「変」を演じる様なことはしませんでした。

 ただ、誰かの発言を皮切りに脳で言葉と場面がつながって
例えばりんごの話をしていて、(青森県のりんご略して青リンゴ品種変わっちゃったなあ、でも青森県ってパンクロージャーみたいな形してるよね。私の好きなパンランキング第一位は…デン!焼きそばパン!!)

 みたいな脳会議が行われて、完全に話を聞いていなかったり、最悪青リンゴという単語だけ発していたりもします。客観的にちょっとキモい人間だという事を自覚するのに、かなり時間を要しました。

 めんどくさいことに普通でありたくない反面、初対面で本当にやばい奴として扱われたくもなくコミュニティに新しく属する時、会話ができなくなってしまいます。

 普通を履修してこなかったせいで、普通のフリさえ出来なくなっていました。自分が好きなものは延々と喋り続けはできるものの、人の話を受けて話すことが苦手で、会話のキャッチボールが死ぬほど下手くそでした。結果どこにいっても馴染めず、クローズドであればあるほど私に救いはありませんでした。

 理解してくれる人はたまに居て私はその人の方がよっぽど変だな。と思っていますが、内心とてもありがたい存在です。それでも変人の類いの注文は受けるのですが、内心ちょっと喜んでいる自分がいます。それはそれでめんどくさい人間ですね。

 私の様に永遠にいわゆる中二病を拗らせている人に立ちはだかった就職活動という壁。今まで持っていたもののほとんどを禁止されて、見ぐるみを剥がされた状態で「普通」を強要される場所。その時に、「普通」すら持っていなかったことに気づきます。

 付け焼き刃の経験の読み上げ、発言内容を練っていたら終わるディスカッションにあたふたするだけの回答。ヘラヘラすることしかできないだけの木偶でしかない。

 私は何回も「普通」を恨みました。
普通はこんなことしないよ。
普通に考えて…みんなはこうだよ。
普通にやるだけだよ。

 私にとって呪いみたいな言葉でした。
普通だよね。と言われることも、
普通じゃない。と言われることも、
どちらも受け入れ難い言葉になってしまいました。

 それが発言者の主観でしかないのに、ぬらりひょんのような顔のない何か異常な化物になってしまったかのように思うことがあります。

そしてそんなに忌み嫌っていた言葉を、今度は自分が。口を突いて出たあと、耳でようやく自分に失望します。

これは懺悔です。


でも、今これを見ているあなたがいることで、裁きを受けている気持ちになります。許されなくても良いので、見守ってください。

よろしくお願いします。

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