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1月 6 | 一年で聖書を: 創世記16-17 ; マタイ5:27-48

創世記16:逆らう
   17:契約、割礼
マタイ5:27-48:誓ってはいけません


3. 「あなたがたの義」と「律法学者やパリサイ人の義」との違いは何か

イェシュアの時代においては、「義」(「ツェダーカー」צְדָקָה)が「解放」「救い」という本来的な意味と、より限定された意味としての善行としての「施し」(=貧しい者への金銭的援助)を意味していました。特に、パリサイ人の目には、「施し」「祈り」「断食」が義しい生活をするための最も重要な三要素でした。ですから、マタイの福音書6章でイェシュアは「善行」について注意を促しています。つまり、「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。」(6:1)というものです。
マタイ6章では、「善行」(「ディカイオスネー」δικαιοσύνη=「ツェダーカー」צְדָקָה)として三つの事柄が挙げられています。その三つの「善行」(義)とは、①「施し」(6:2~4)、②「祈り」(6:5~15)、③「断食」(6:16~18)のことです。なぜなら、この三つが当時の律法学者やパリサイ人の「義」についての理解だったからです。特に、三つの善行の最初に来る「施し」は最も重要なことで、「義」と同義語であるとさえ考えられていたのです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?イェシュアの律法の解釈%20%28続・序%29

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