3月 21 | 一年で聖書を: ヨシュア記7-9 ; ルカ1:21-38

ヨシュア記7:聖絶
     8:伏兵
     9:策略
ルカ1:21-38:恵み


ヨシュア記7章で強調されていることは、犯人探しをして見出された一人の人物を処罰したことで問題が一件落着したことではなく、聖絶すべきものを盗んだという事の大きさを問題にしています。ところで、聖絶すべきものとはいったい何なのでしょうか。アカンが盗んだ物の中に「シヌアルの美しい外套一枚」と「金銀」がありました。シヌアルとは「バビロン」のことてす。「バビロン」の名の起源は創世記11章にある「バベル」です。バベルの塔の本質は人間的な方法と手段によって天にまで達する塔を築こうとすることで、神の力ではなく、人間の力を代表しています。「バビロンの外套」に象徴される本質は偽善の世界です。人のものと神のものを混合して人からの栄光を受けることです。これはまさに堕落したキリスト教の姿です。終わりの日には「バビロンの外套」は最大限にまではびこり、そのあとに神によって一瞬のうちにさばかれます(黙示録18章)。今回のアカンの事件は、人からの栄誉を得ようとするバビロン的な考えや思いが神によって打ち砕かれることを示しています。単に「盗むことはいけない」という倫理道徳的な事柄を教えている出来事ではないということです。美しい「バビロンの外套」は、その一枚でさえも、キリストの花嫁である教会にとって誘惑となり、堕落となり得るのです。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?神のものを盗むという不信の罪%28アカンの教訓%29

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