望みの


 他者から信頼・信用されるのは嬉しいな。でも俺を助けてくれるのはじゃあ誰なんだろうな。しかしその手を拒んでいるのは自分自身なんだよな。ア〜〜。アッ アララララッ アッ アァ。

 しとしとと泣き潰れそうになりながら帰宅したら誰かが美味しい卵粥とか作ってくれていて、疲れてたら食べないで寝てもいいよと言ってほしい。でも誰も自分の城に入ってきてほしくない。誰も自分のオフ状態を見てほしくない。さながらシャイ・ガイ。
 なんか他者に影響を及ぼしがちな存在ことワイであることは理解しているので、常にまあまあ戯けられるくらいは元気だョといった態度を出す必要があるし、出さねば隙間から他者に侵略されるし、社会に屈さぬ存在が皆様の身近にあって然るべきで、おそらくワイにその適性がめちゃくちゃあって、という暮らしをしています。

 人間性を信頼されて、能力を信用されて、ゲ様より確実に人身掌握ニキなはずなのに、他に何が欲しいのか、よく考えるととんと分からない。多分それは必ず自分でなければならない何かへの評価で、それが得られない限り「それって僕じゃなくてもいいですよね?」とひろゆきってしまう(動詞)のだろうね。
 結局ワイは誰かの代わりなんやろうなと思いながら日々暮らしているンゴねえ。めちゃくちゃ自己肯定感高いとしても、美で優しくてカリスマ性が凄くて順応性が高くて断らない性格で、ちょっと個性的だったらワイじゃなくてもいいじゃん。君たち。ねえ。俺のラッキーって結局皆持ち合わせている程度だよね亜久津。結局俺の虎砲なんて誰も見ていないし、よしんば見ていたとしても上位互換なんていくらでもいるんだよね亜久津。ねえ。返事してよ亜久津。

 他人に求められた「ワイ」をリロードできなくなった時点で、その場への存在意義って多分ないと思っている。社会の皆さんがどうという話ではなく、ワイがワイ自身のみに対して、個人的にそう思っているという話です。皆様におかれましては、みんな違ってみんなwinだと思っとりますんで。
 近頃は精神の不安定も不安定になっており(かなり読めないペースで予測できない範囲の揺れ動きがあるということ)、何らかの記録として書いている次第です。確かに恒常的な思考の根としてこれはあるんですけど、この言葉の攻撃性を自らで強く認識できるようになったら後に自己検閲します。終わっているときに攻撃性を持ちうる文章を書くべきではないんですけど、ふと「ワイと全ての意思疎通ができなくなった場合」に必ず要るであろう記述になるとは思っているので。
 結局(世の全ての人類がそうかもしれないが)、ワイは誰かの代わりで、お前じゃなきゃ駄目だということはついぞなかったように感じている。無償の愛にしろ生まれてきた子なら誰でもワイの親は与えただろうし、愛嬌があれば誰でも可愛がるし、殴って吹っ飛べば誰だってストレス発散装置にできるし、面白いことを言えば誰だって人気になるし、話が上手ければ誰だって記憶に棲みつけるし、優しければ誰だって誰かの穴を埋めるパテになれる。器用貧乏。それだけ。本物の天才みたいな、絶対的需要なんてない。相対的にお手頃だったから野菜炒めの嵩増しに選ばれただけ。挽肉足りなかったけど冷蔵庫に豆腐あったからいいや、混ぜちゃえ。今度は「本物の挽肉」を全部入れれば良いんだから。それだけ。居酒屋のお通し。膝の穴のつぎはぎ。逃げ延びるまでの仮住まい。引越し直後のみかん箱テーブル。ばーか。ばかばか。需要なんて嫌いだ。ばーか。アホタレちゃんがョ。

 ニコラ・テスラとて更に神童とされる兄を失くして努力したろうに、トーマス・アルバ・エジソンとて99%の努力に血を滲ませたろうに。聖徳太子も0(諸説ある)から10,000にされるほどのカリスマだったのに、マリー・アントワネットも1から1,000にされるほどの名言を残したのに。俺はョ。
 幼くして驚異的と言われなかった時点で天才ではない(たとえ天賦の才の欠片はあっても、それは天才とは別だと思っている)ことに絶望している。皆さん、何者かになろうとしてなれずもがいていることと思いますが、ワイもです。皆さんの中では小規模な一番になれる方もいるでしょう(つまり存在そのものを無条件に一番と言ってくれる恋人ないし親戚などがいる場合もあるということ)。多分それがいいと思います。なぜならそれはおそらく「替えのきかない存在」だから。「誰かの代わり」でないからですね。
 思い返せば「××が嫌だと思っていたときに〇〇だった(面白い存在だった/気が効く存在だった/痛快な存在だった 等)」「××に関して意気消沈していたときに〇〇だった(優しかった/気を紛らわした/失った対象の代わりをした 等)」と言われた事象が多い。おそらくこれはいわゆる条件付きの愛(愛とは何?)というやつで、このために「じゃあワイじゃなくても良いですよね(ひろゆき)」になるのだろうと思うのだが。

 しかし無論相手や社会を否定しては良くないね。反省を、します。きっと自分の受け取り方がネガティヴだっただけで、適切な治療プログラムを受けたら大丈夫になると思うので。
 哀れなことに("I'm sorry.")、マジで思い出せない過去の中で他者からの意思改変を受け付けられない人間になってしまったけれど。ワイさえ変わればこの煩悶もすぐ(あるいは一定の時間をかけて)和解し、現在から見た過去のように無かったことにできるのだろうね。

 爪先立つその足の指が一つずつひび折れてゆくのを、遠くの足音みたいに感じている。到着する前に痛む足を、あるいは求める眼を捥ぎ去ってしまわねばね。




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