真っ黒い




日記です、これ。

先日も書いたんですけど、死への衝動は薬物投与によって形をひそめ「そうだ、死ぬにはまだ、〇〇をしなけりゃならないじゃないか」と(これは矛盾する言動だけど)本能的に計画を進めていってしまっています。

自分が死んだら、──まあ、どの状況で何らかの衝動に負けてしまうか分からないけれど──親族か管理会社の人か誰かが、居室を片付けなければならない。
賞味期限・消費期限切れのものを、とりあえず食べ尽くしている。残念なことに胃は特に丈夫なもので、死ぬどころか体調不良さえ起こさない。賞味期限が年単位で切れていても、びくともしない。乳製品やカフェインには弱いのに。馬鹿みてえな体だなおい。賞味期限が数年切れたサルサソースを食べ尽くしても、パン的なものの白カビを試しに食べ尽くしてみても、本当にびくともしない。ばっかじゃねえの。
レシートや領収書の山も片付け、家計簿ソフトにデータを移している。同じものばかり食べている。そしてそれとは別件で、シュレッダーハサミの硬さで手にマメができてしまっている。擦り剥けると思っていたら、どうやら爆速で強化作業に入ってしまったらしい。運営はサ終したがっているのに、現場はアプデに次ぐアプデをやめない。スポンサーさん、どうなってるんですか。
何となくとっておいた「他人から見たらゴミだが、当人はもったいなくて捨てられないもの」もいくつか捨てた。記憶力が悪いせいか、なんかもう、どうでもよくなったから。執着がなくなった。色々なものに対して。逆に、失くしたと思って酷く落ち込んでいたものを見つけて、それはそれで良かった事案もあったけれど。

このどうでもよさは、多分、処方薬が正しく機能しているためだと思う(が、いかがでしょうか)。
本当に、何とも比喩しがたいが、本当にどうしようもなく、もう、どうでもいい。ぼうっとしている。何もないところをじっと見て座り、腰が疲れたなあ、まあ、どうでもいいけど。それが丸一日。それくらいの「どうでもよさ」が、常にある。
正直に言って仕事に身なんて当然入らないし、趣味に熱中は到底できない。ただ、これが心などない──喜びなどない代わりに深い悲しみもない、安心安全で凪いだ──世界なのかもしれないとも思う。
通っている精神科・心療内科の医師は、こちらの勝手な印象だと「必要ない薬は出したくない、心理療法と合わせて根本から治さなければ結果的に治らない」という思想があるように感じる。その医師がここまで急に処方を強めたのだから、相当「これは死ぬだろうな」と思わせたのだろうか。事実、そうですけどね(笑)
おそらくストレス的な何かで(本来それなりに強いはずの)胃腸の調子を崩し、多弁傾向にあるものの感情的・衝動的になることを極端に嫌う人物が「正直ちょっとダメですね、働いて死ぬか、働けずに首括るかかもッス(笑)」と言っていたら、いよいよ来たかと、自分が医者でも思う。それ以前に色々社内の忙しさについても話しているので「とりあえず働けないと職場の人々まで犠牲になるし、そうすると自責の念でいよいよ耐え切れなくなります。何でもいいんで、朝出勤できるようにしてください、あとは気合いで何とかします」というお願いを尊重してくれたのかもしれない。
つまり、今の自分は「とりあえず生活を営んで働けるマシーン」になったような感じだ。いいね。いい感じに、ディストピアを感じる。全部を行うのが、本当は自分じゃなくてもいいと常に理解している感じ。大量生産された歯車の代わりっていくらでも作れる。いいね。このまま、誰も自分を必要としないでいてほしい。自分の好き勝手な自我をどうせ評価外にしちまうんなら、お前はありきたりすぎて要らないよと、かつて望んだ「普通」の枠に当然のように入れてほしい。平均点。世界中の点数のちょうど全部真ん中。お前には個性がない。ありふれたつまらない奴なんて要らないよ。せめてそう言って、あ、やっと自分は普通になれたんだって安堵して、ゆっくり眠りたい。安心して眠りたい。安心して眠りたい。大きな温かい湖にゆっくり背中から沈むように。安心と、安堵と、ぼうっとしてそのまま眠るような終わりを。

昔買って残っていたパックを顔に貼ってみた。何だか頬がつるつるしたような気がする。残っている分は使い切らなければ、誰かに捨てさせることになってしまう。そういう麻の着物みたいな理由で、また、馬鹿みてえに、存えてしまうんだろうね。疲れた。

そういうことを医師に、上手に伝えられたら良いんですけどね。そう上手くは話せないんですね。なんだろう、お守りのように強めの頓服を持たせてくれてありがとうと言いたいです。『完全自殺マニュアル』と同じく、本当に、本心から嫌になれば、これを全部呑めば終わらせられるかもしれないという、お守りになっています。
親類に実際それをやった者がおり、当然入院などに関して保険も効かなかったし、こちらも迷惑を被ったと言ってよかろうという感じだったので──最後まで自分に残るのは理性だと信じたままになるなら──実際に自分はやらないという、覚悟の準備はできているんですけどね。
でもまあ、なんだかんだ言って他人の前では限度いっぱいまで元気そうでご機嫌そうな感じに振る舞うことが自分の理性とも言えるので、今後とも気合い入れて頑張っていかなきゃなと思っています。ブレーカーが途端に落ちるその日までは。



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