朝顔


 夏休みに実家に帰った時の話。

 居間の出窓に朝顔が咲いていた。よくある紫色で、馬鹿らしかった。羨ましかったが、それでも少し心のどこかで蔑んだ。

 母は昔、庭いじりが趣味だった。実家の庭にはコニファーが数本立ち並び、時には紫陽花が咲き、マリーゴールドが規則正しく繁り、母が死んだ時棺桶に入れてほしいと言っていたかすみ草も種の散らばるままに点在していた。夏になると、母は芝生に生えた名前も知らない背の高い花を抜くのに休日を費やしていた。
 明確な時期は思い出せないが、10年ほど前のある時から母は忙しくなった。仕事を始め、ずっとつけていた家計簿が途絶えた。日記に空白の日ができた。姉は自分に当たることが多くなったし、姉も自分も学校を休みがちになった。自分の不登校生活は1週間で終わったが、結局庭のコニファーは枯れた。

 植木鉢に朝顔を植えたら、思いのほか蔓が伸びたのだと言う。支柱をT字に立てて、それに洒落たように蔓を巻き付けさせていた。馬鹿らしい。
 なぜそうしたのか? 答えは簡単である。「支柱を立てなければ朝顔は蔓を何にでも伸ばしてしまうから」。馬鹿らしい。馬鹿らしい。

 朝顔の蔓が他所に及ぶのを防ぐために支柱を立てる、これは一般的な考えなのに、朝顔の蔓が自分の手になるだけで、自分の心になるだけでどうしてこれが異常な扱いなのだろうか。大人になったら他人に頼ってはいられない、依存された相手の気持ちにもなってみろ、こういうことを世間は言っておいて自分で自分の支柱を立ててそれに依ることを他人は「頑固」「意地っ張り」「狂信者」だと言う。馬鹿らしい。

 あの時はきっと誰も悪くはなかったけれど、それでも母は、自分より花に優しく触れる。




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