ソレとコレは別

  2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃され亡くなるという事件が発生した。背景については様々な情報があるがいずれにせよ銃殺という行為は許されるべきではないし、本稿で擁護するつもりもない。合わせて、背景についても触れないものとする。この場での発言は特定の政治イデオロギーや宗教観に基づくものではない。恐らく、今回の事件が自作銃によって引き起こされたものなら誰が撃たれててもこの記事を書いているだろう。
  本稿で問題にしたいのは犯行に使われた銃とその後の処遇である。はっきり言う。頼むから"設備的に作れないように法規制する"のはやめていただきたい。
  各種報道等を見た限りでは同等のものを製作するのにこれといって特殊な工作機械は必要無さそうであるし、まあ暴発しても構わないのであればその辺のちょっと知識がある中高生でも作れるであろう。使われている材料もホームセンターと模型店程度で調達できるレベルだ。
  これを作れないようにしようとすると大変だ。鋸すら使えないから、日本国内で生産できる工業製品は小学生が夏休みにやる工作かそれ以下のレベルに落ちる。知識を制限すると化学の授業で触れられる範囲は非常に狭くなるし、そうなると塩素系と酸素系の漂白剤を混ぜる人間が急増する可能性すらある。僕の認識では日本を先進国と呼ばれるだけの国にしたのは自動車や家電を始めとした工業力および科学力であったと思うが、それがこの有り様でいいのだろうか。クメール・ルージュの再現でもしたいのだろうか。それとも僕の歴史認識が間違っているのか。
  繰り返すが、今回の銃撃事件は許されるべきではないし、二度と同じ事態を起こしてはならない。しかし、犯行の道具となった自作銃について、既に述べたような犠牲を払ってまで現状以上の規制が果たして必要なのだろうか。例えば刺殺事件が多く発生しているからと言って包丁の流通を禁止しろ、とはならない。それによって引き起こされるデメリットが大きいからだ。

  それにそういった知識を衆目に触れないようにするのならば、犯行現場での犯人の行動を仔細に報じるのも大概問題のある行動ではなかろうか。
  僕が通う大学では機械系学部のカリキュラムに倫理面の教育が盛り込まれており、身に付けた知識や技術で人を傷つける事がないよう叩き込まれる。恐らく他の学校でも同様の科目は存在するだろう。要するにその技術で犯罪に走るかは個々人の倫理観の問題という側面が多く、であれば技術を持つ者としての責任の重さは念頭に置かなければならないにしても、極論、首を絞めるのにしたって行き着く先は同じなのだ。
  それよりも、犯人の供述内容から犯行を引き起こした"原因"を洗いだしそこに社会的な問題があるなら容赦なくメスを入れるとか、事件との関連は無さそうだが性懲りもなくエビデンスのないトンデモ医療を広めている人間を先に取り締まるとかをすべきではなかろうか。

  願わくは、正しい科学技術が誰でも容易にアクセスでき、悪用する者のない世界にならんことを。