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マクラーレン F1と美竹蘭の比較文化論

序論


  元々、"課金ゲーでe-MotorSportsは可能なのか"というタイトルで記事を書いていた。ざっくり言ってしまえば課金偏重主義とも思える方針に転換したうえ前作のセールスポイントであったFIA(国際自動車連盟)とのパートナーシップすら終了させたグランツーリスモ7(GT7)の考察だ。しかし書いている途中で議論が不十分な点が発生した。

ここで「課金アイテムはより純粋に、強くなるために存在し」という節がある。そしてこの後で「レースゲームのクルマには"(えてして実際には所有できない)憧れのクルマを仮想世界で所有し愉しむ"という側面がある」と述べようとしたのだが、レースゲーム以外のジャンルでもそれに近い側面を持つ場合があることに気づいた。「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」(以下、ガルパ)である。


本論


  一般化した名称が思い浮かばなかったのでいきなり具体的にタイトルを挙げてしまったが、同タイトルを引いた理由を簡潔に述べると「レースゲーム以外でも"勝つこと"以外の目的でアイテムを入手することがあり、尚且つそのアイテムに課金する場合がある事を示す為」である。
  以下に示すのはガルパにおいて課金(ガチャ)入手対象となる「メンバー」の詳細画面である。

右側に表示されている総合力とその各パラメータ、及びその下にあるスキルはゲームプレイ上のスコアに影響するものであり、「強さ」に影響すると言うことができる。しかし最下段の「エピソード」及び「メモリアルエピソード」では当該キャラクターに関するストーリー(ダイアログ)を閲覧することができる。勿論ガチャなどで使用する資材も入手できるが、アニメやマンガ等とのメディアミックスもありキャラクター同士のストーリーや関係性を一つの"ウリ"とし、プレイヤーによる二次創作でもその点にフォーカスした作品が多数を占めるコンテンツにおいてはキャラクターの新たな一面を供給することもプレイヤーに提供される価値のひとつと言えるだろう。

  では何故、松原花音は許されてブガッティ ヴェイロンは許されないのか。
  元々、小説やマンガ、アニメといったストーリーを展開する媒体は有償で提供される物である。

画像はAmazonのスクリーンショット


一方、レースゲーム内の車両(を操ることで得られる価値)はゲーム内通貨を消費する場合こそあれどソフトウェアとそれを実行するハードウェア以外に実費が発生しないのが常であった。

グランツーリスモ(1作目)


  即ちガルパの場合は課金によって提供される価値が元々ゲームでなくとも存在可能であったのに対しレースゲームではレースゲームであることが前提となっている要素をリアルマネーの対価とした点が反発を招いた原因のひとつと考えられる。



結論


  以上より、ソフトウェアを購入した段階でリアルマネーに関しては無償提供される筈だったエクスペリエンスをに対してソフトウェア代を上回る金額(か非現実的なプレイ時間)を課すことも辞さない姿勢を採ったことがGT7に対するネット上での批判の一因であると思われる。元来、据え置き機のレースゲーム界隈においては有料DLCすら乱発すると不評を買う傾向があった。

画像はSteamのスクリーンショット


レースゲームの場合、最初に買ってきた段階でそれ以上の支払いが発生しないことが好まれる。だから市ヶ谷有咲に金を払うのは許され、シュコダ ファビアに払うのはいい顔をされず、パガーニ ウアイラに払わせようとすると批判の的になる。ライブコンテンツを重視して課金に頼った収益システムを採用するのは構わないが、そのジャンルがそれに適した生態系なのか熟慮の上で行うべきではなかろうか。