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Don't say the words-ゆうなの花に寄せて

「ゆうな」という花があります。和名はオオハマボウ、芙蓉の仲間。

沖縄のことばで、植物が自生する海岸沿いの土砂の堆積地をユウナというらしく、そこに咲く花として、いつしか、ゆうなと呼ばれ愛されるようになったようです。

私の職場には、たくさんの郷土に関する資料があります。ある日、ゆうなの花の表紙写真が美しい文庫本を見かけました。それはもうすでに亡くなられた沖縄の学者の著作でした。有名な方なので幾度もお名前をお聞きしたことはありましたが、写真に吸い寄せられるように本を手にとりました。南の島の人々の詠んだ抒情歌について解説したその本を、私はとても気に入りました。

図らずもその学者さんの本が目に留まることが増え、ある日などは、たまたま探し物の途中に、その方の新聞記事が見つかるなど、偶然が重なっただけとはいえ徐々に親近感が湧いてきました。

その方が大事な郷土資料を守っているような気までして、いつしか私は、職場の2階にある書庫に行くと、心の中で話しかけるようになりました。問い合わせを受けて何から探してよいか見当がつかないときにも「○○さん、おしえてください」と頭に思い浮かべると、ちょうどよい資料が見つかったりします。こうなってくると、書庫の中は自分だけのこぢんまりとした特別な場所。知恵の木に囲まれ、魂の化身とされる蝶たちがひらひらと飛び交う、沖縄の御嶽(ウタキ=拝所)に居るような心地です。

あるとき私は、”口は災いの元”ということわざを地でゆくような失敗をしてしまい、深く落ち込んだのですが、日にちを重ねるうちに少しずつ平静を取り戻してきました。ぺしゃんこになっていた間、先人たちの遺した本を読みました。現世には居ない人たちと、本の中の言葉を通して対話をしているような感覚でした。自分のいまの仕事について、配置されている間、与えられた役割を全うしたいと思うようになりました。

ゆうな、という花の名から、言うな=Don’t say the words という連想をすることがあります。琉球弧の夏の海岸を彩る、清々しい黄色の花。「楽しい思い出」という花言葉もあるという、ゆうな。

花自身は何も言わなくとも、その健気な佇まいに私の心は慰められるのです。私がなぜ、その学者さんにここまで心惹かれるのか自分では分かりませんが、心の中に小さな聖域をつくり、彼をそっと神様のように信頼することは、いまの私にとって支えでもあります。言葉にはならないメッセージを受け取っているような気がします。

現世と彼岸との間(あわい)の、私のほかに誰も知らない小さな対話。

そこに、理路整然とした言葉はいらないのかもしれません。

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