アキレス腱を断裂して〜手術・退院まで
僕がアキレス腱を断裂したのは2020年11月28日(土)14時前後。
フットサル中の出来事でした。
その日は、1dayの大会日で、運動は1ヶ月ぶり。
1ヶ月の間はかなりぐうたらな生活をしていて、宅配ピザを頼んではゴロゴロしながら仕事している(在宅ワーカー)ような日々。
65kgほどだった体重が69kgまで一時的に増加したこともあり、今日はいっぱい動くぞー、なんて、今思えば能天気なことを考えていたりもしました。
11分1本形式の試合が4本で、リザーブは1名。
自分は一番交代してもらって、休み休み参加していたと記憶しています。
試合は4本目まで進み、残り3分を切った頃でしょうか。
怪我はいつだって突然なものです。
ドン!
突然後ろから蹴られたような衝撃。
ファウルされたかと思いましたが、振り返ると誰もいません。
あれ?そう考えているのも束の間、そのまま立っていることができずに倒れ込んでしまいました。
「ああ、やったな、これ」
いわゆるアキレス腱断裂だ。
すぐに対戦相手を含めたチームのみなさんにピッチ外へと運んでもらい、そのまま施設スタッフの方が呼んでくれた救急車を待つこととなりました。
運ばれた先の救急病院で、エコー診断などをした結果は予想どおりのアキレス腱断裂。
「今日のところは添え木をするので(木とはいっても変形するプラスチック?のような材質のもの)、週明けに近くの病院で診てもらってください。できれば大きめな病院で、手術か保存療法かを選べるようにしたほうがいいです。小さいところだと手術できないので、結果、保存療法というケースもありえるので」とのこと。
もちろん体重はかけちゃダメと言われたため、その日から松葉杖になり、その日はタクシーを呼んでもらって自宅まで帰りました。
週明け、ちょくちょく看板を目にしていた近くの病院に行くことにしました。(行ってみるとこれがびっくりで、徒歩1分圏内 笑)
病院は、ちょうどコロナ禍のため、入り口で手の消毒をし、受付で熱をはかりました。
診察室に呼ばれると、ハナから二択の質問がとんできました。
保存療法にしますか?手術にしますか?
聞くと、今ではどちらの手法を選んでも最終的にはかわらないと言われているそうです。
保存のほうが固定期間が長く、手術の方が合併症などの危険性が高い。
担当医のかたは、かなりじっくりこちらの決断を待ってくれましたが、最終的には「手術にしましょうか?」と提案してくれたため、結局いわれるままに手術にすることにしました。
保存療法のほうが逃げに感じてしまったという理由が割と大きく、今でもこの選択が正しかったのかはわからないです。
手術は金曜日に。できるだけ在宅したい旨を伝えると、入院は前日の木曜日となりました。
入院前の血液検査にPCR検査(鼻むずむずされて結構痛い)、エイズ検査などを受けてその日は帰宅しました。
帰宅後、入院までの間は、保険関連の確認をしました。
生命保険や共済などである程度のお金がおりるケースがあるためです。
保険によって制約あったりするので、これは最初に確認した方が良いと思いました。(割と後回しにしがち)
入院までは、特にものすごく痛いなどもなく(アキレス腱断裂は痛みはかなり少ないようです)、PCR検査の結果(マイナス・陰性)などを電話で聞いたりしながら入院当日を待ちました。
そして、入院当日です。
基本的に足が負傷している以外は元気なので、仕事用のMacBook、暇つぶし用のNintendo Switchなどを持って意気揚々と病院に向かいました。
さすがに松葉杖では荷物が持てないので家族に付き添ってもらいましたが、家族もコロナ禍のため、あまり長くは入院病棟にいられない状態でした。
入院の6人部屋にはいり、その日はわりと悠々自適に過ごしました。
まあ、手術のことなんて考えても仕方ないですしね。
翌日、11時、手術開始です。
下半身麻酔(脊椎麻酔)になるので、背中に気持ちの悪い注射を打たれるはずです。
20年ほどまえに今回の足とは逆の足を骨折したときに、この麻酔をしているのですが、そのときはものすごく痛くて、何より気持ち悪かったのを覚えています。
ある程度の痛みは耐えられる方ですが、あの気持ちの悪さはちょっといやだなあとおもっていました。
今回は、痛み止めの注射を先に打つことで、全く痛みなどを感じることはなく、下半身麻酔の処置は終わってしまいました。
と、同時に眠気のくる点滴も打たれたことで、ちょっとお昼寝している間に手術は終わっていました。
ぼけーっとした意識の中で、手術の写真を見るのは平気かと問われ、大丈夫ですと答えて、術中の縫合の写真を確認したのは覚えています。
ガッツリ切れて、、というか、いくつもの筋みたいなものがずたずたになっていた感じでした。
その日は、さすがに大変でしたよ、ええ。
戻ってきた段階では、まだへそより下の感覚がないんですが、少しずつ戻るわけです。
すると、徐々に、自分の局部に管が入れられている状況だったり、肺塞栓症(いわゆるエコノミー症候群)対策に左足に巻かれている状況だったり、右足が切って縫って固定されてな状況だったりを再認識するわけです。
何が一番大変だったかっていうと、やっぱりこの尿道に入れらた管ですね。
違和感すごいし、ちょっと動かされるとなんとも言えない痛みがある。
この日の看護師が、大陸系の方っぽく、細かいことを気にしないいい性格をしていらっしゃったのもかなり辛かったです(泣)
もちろん、傷口は痛いです。
痛み止めの座薬をしてもらいましたが、それも効いたのか効いていないのかわからないくらい、ずっと痛くて、結局一睡もできませんでした。
まあ、痛い時は、「痛くなくなってそれが過去になることを想像しながらすごす」これに限ります。。
翌朝、とにかく尿道の管をとってほしいので、それを一番主張しました。
あ、このとき掃除のおばさんが、執拗に管にモップをアタックしてくることが一番辛かったです 笑
先生の回診のあとでと大陸系の看護師の方は主張していたのですが、交代引き継ぎの新しい看護師がくると、すぐにとろうという話になりました。
結局、とるのは大陸系の看護師の方になったのですが、その瞬間、火花が散ったみたいな痛みがありました。看護師、笑ってましたが。。(一連の対応がわりとトラウマ)
そのあとは、点滴の針をつけっぱなしにして、抗生剤の点滴を続けたり、リハビリで足の状態をみつつ、松葉杖の歩行の訓練をしたり、古傷の左足の状態を診てもらったりして入院6日目(術後5日目)の昼に退院となりました。
入院生活は、個室に入らない限り集団生活なので、やはりちょっとしたストレスが多いですね。
将来病気になった時、病院とどう付き合うか、あらためて考える機会になりました。
ちなみに、ですが、病院の名誉のためにいっておくと、ほかの看護師の方々はみんな細かいところまで気を配っていただけるいい方々でした。一番辛い日がじご、、
ざっと、怪我をしてから入院、退院までの出来事をまとめてみました。
ここまでのところは特に何がどうということもなく、割と順調です。
とにかく手術当日の夜がいろいろと辛かったというとことですが、まあ過ぎてしまえば過去のことです。
あと、今は20年前に怪我した時とは違い、入院しててもSNSがあるので、色んな人に勇気づけてもらうことができます。
精神的にはこれが大きい!僕の周りの友人には大変感謝しています。
ということで、ここから治療とリハビリが長く険しく続いていくということらしいので、その経過とその時に役に立ったもの、辛かったこと、などを引き続き書き記していこうと思います。
最後に、フットサルチームのメンバーの方々、この場を借りて御礼申し上げます。いろいろと助かりました。ありがとうございます!
もっと体力をつけて動き回れるようになって復帰します!
それでは、今日のところはこの辺で。
んばば!
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