家族一緒に過ごさないGWで何を思う。
久しぶりに note の筆を取った。今思っていることを書いてみようと思う。
今年のゴールデンウィークは、3度目の緊急事態宣言が発令され、家族全員で何処にも出かけることなく終わりそうだ。この3日間は、嫁と息子で近所へキャンプに行き、娘は中学校の中間テストがやばいと勉強し、自分はというと、、高円寺の小杉湯にクラフトコーラのイベントを手伝っている最中。
この4月で、息子は学童を退去して小学4年生となり、娘も中学に進学し部活で陸上に励むようになった。思えば、この6年間は、子供たちと過ごす時間も長く、どこかに行くとき出かけるときは、いつも一緒だった。
ただ、今年は違った。
子どもたちは、ボーイスカウト連盟に所属して それぞれカブスカウトとボーイスカウトで鍛錬に励んでいるものの、なかなか このご時世、思うような活動ができていない。親からしても、果たして何が正しいのか、見えてくるものは常に不安でしかない。
いつ終わるかも分からないコロナウィルスは、インドの変異株が猛威を振るい始め、若い世代への影響が計り知れないという。このままだと、学校生活や私生活にまで範囲が広がりそうで、うかうかしていられそうもない。
自分は、職場の計らいもあり、リモートワークも出来る環境で、PCR検査も全社的に実施できる環境にいるものの、果たして今の現状が続くことに満足できているかというとクエスチョンしか思いつかない。どこの誰だって今の状況に不平不満を言う人は少ないかもしれないけれど、自分は少なからず、色々と思うところがある。ただ、最低限のことをやるだけだ。
自分だけにしか分からない気持ちの変容は、ある一定のラインを越えた時、プチっとはじけて飛んでしまう。そうならない為にも、常に平静を装う自分に時々嫌になることがある。『やっぱり、嘘をつくのが苦手だね。』と、もう一人の自分が遠い彼方から見下ろしているのに、ふと気づく時がある。
色んな点と点が結ばれて、今の線がある。この線に乗ることが、本当に自分の未来に向かって進むべき一本の道なのだろうか
仕事は我慢をするものではなく、自分を試す場所だと常日頃思ってきた。毎月入る給与は、その対価として支払われるもので、決して耐えた暁の代物ではないと。稼ぐ意味を失っては、社会全体に良い影響は与えないし、誰ひとり幸せにはならないと思う。
自分はどこへ向かうべきなんだろうか。縦社会という組織の中で埋もれるつもりは毛頭なく、自分が最も活きる場所を探すことが、生きていくうえでのモチベーションに繋がることを誰よりも知っているつもりだ。
今、取り組んでいることは主に3つ。
TABIPPO主催の 旅をつくるカードゲーム「#いったび」のクラファンと、小杉湯のクラフトコーラフェストの試飲販売、WEIN SDGsプロジェクトの告知。これらは 個人的なとても重要な活動の一環でしかなく、どれも大事なのは、人と人との繋がりから広がっていくものばかり。
これからも 多分、そうやって人と関わっていくだろうし、ずっと変わることのない不変なんだろうと思う。SDGsは、特に検定試験が6月も間近に控えていて、ゴールデンウィークも開けてそこそこに、参考文献を読み漁って没頭している気がする。後、今年の後半からは ドローンの操縦士を狙ってみようと思っている。
何が大切で、何が自分にとって一番重要なのか、今一度胸に手を当てて考えるゴールデンウィークに出来たらと思う。
考えることよりも先に行動すべき。
この言葉を忘れないように肝に銘じておきたい。
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