27クラブに入れませんでした。【2023年ボツ記事】

せっかく途中まで書いたのに可哀想だと思って、書いたところまでを公開して、最後に少し補足する。



おかげさまで先日、28歳を迎えることができた。27クラブに入れなかったことは残念ではあるけど、生きられる喜びとは比べようがないはずだ。

とはいえ、年齢はただの数字だと思っている。体に多少の変化はあれど、老いるのは諦めた時というのがなんとなくわかってきた。目標も気持ちも歳を取らない。「いつまでも若々しく」というわけではないが、「もう歳だな」とは思えない。自分の現状を把握したり、今後に向けて修正をはかる機会としてはいいと思う。

27歳を総括すると、「なりたい自分になれなかった1年」だと思う。とにかく年齢で判断されてしまった。27歳ということの何が悪いのか。年上の人と何が違うのか。何が足りないのか。それらに酷く悩んだ。

近い未来で必ず起こるであろう困ることがあるのに、「今が良ければ全て良し」というスタンスでいるのは違うから違うというと、「イエスマンのほうが楽だよ」と言われ、一度、今、時間をかけて少し変化を加えれば後々楽になることをやっていると、「誰もやっていない」と言われる。言われたからどうこうではないけれど。

時々、何がしたいのかもわからなくなるし、楽しそうな人を見るのが辛くなって、外に出たくなくなってしまった。誘われれば外には出るが、待ち合わせ場所に行くまでの間がひどく辛い。1人でスーパーに行くのも辛い。(生活に必要なので行くには行くけど。)お腹は常に空いているような感覚。どれだけ食べても、数時間後にはお腹が空く。完全に満たされたいわけじゃない。ただ足りない。ほしいものはほとんど手に入らない。他人がいらなくなって手から溢れたものばかりを、自分が掴まされてる気分。自分の手にあるものは必ずしもそういうものばかりではないはずだし、それらに価値を見出せてないことに気がついて、そんな自分がさらに嫌になる。

その代わりと言ってはなんだが、人に優しくされた時にいつも以上に温かみを感じた。

悩みは尽きないし、次々と問題は起こるけど、ギターを買ったのはとてもいいことだったと思う。ギターに触ったら仕事のことを考えるのをやめることにした。どんなに忙しく、どんなに遅く帰って来て晩御飯を食べなくても、お風呂に入らなくてもギターに触る。仕事モードのスイッチをOFFにするものを見つけた。バスケも似たようなスイッチだが、手軽さがなかった。休みの日もごちゃごちゃ考えはじめたらギターに触るようになった。Instagramもあまり見なくなってしまった。Instagramには意地の張り合いみたいな面があると思っていて、なかなかついていけなくなったし、その時間があったらギターを…となってしまった。だからnoteを書く時間もギターに触る時間になってしまっていた。(3〜4つほど書きかけの記事がある。)

ギター弾けるようになってから買えばいいではなく、買ってから弾けるようになればいいやと買ったが、かわいそうなぐらい弾けない。心は折れるが、最初から弾けないとわかっていたので、少しでもできるフレーズとかがあるだけで嬉しい。だけど全然弾けない。友達にテレキャスターを弾かせてもらったら、軽い!弾きやすい!なんだこれは!!となってしまった。ES-355は最初に買うギターではなかったかもしれないと思ったが、後悔はしていない。音楽性を追求したギターであることは認識している。ギターがただの置物になってしまっては、ギターが可哀想で、なんとか弾き続けている。

ギターと音楽のおかげでなんとか精神を保ててる部分はあると思う。すでに壊れてはいるが、なんとか目に見える形では留まってるような。本当にダメだと思ったら、「狂ってるのは俺じゃなくて、世界のほうだよ。」と言い聞かせている。


悩みながらも、すぐに目の前が大きく変わることはないと理解して、目の前のできる限りのことはやって来た。長い目で見た時に、人生山あり谷ありというように、谷底の1年があってもおかしな話ではない。ポジティブな言い方をすると、種を蒔いた一年になったのかもしれない。芽が出てきたら、それをこれから大事に育てていきたい。芽が出るのが10年後なのか、5年後なのか、来年なのか、明日なのか。
辛い思いをしたり、苦労したら必ずしも報われるわけではないと思うけど、いつかどこかで報われたいよね。できるだけ人生の後半で後で楽をしたい。

28歳は、



28歳はどうしようかって考えてるうちに書くのをやめてしまった。
先日おみくじを引くと、末吉だった。

仕事→うまくいかない

恋愛→諦めの境地か

健康→軽く見ていると重症の場合あり。


ほな死ねっちゅうんかえ?

凶とか大凶ならまだ気持ちの整理がつくんだけど…
これをポジティブにとらえることができるかどうかで2024年を左右しそうだけど、今のところはいいイメージができない。


夏にELLEGARDENのライブに行けたのがかなり大きかったかもしれない。死ぬまでに生でエルレのライブを見たいと思ってて、Supernova聴けたらいいよなんて思ってたら3曲目で聴けた。無意識のうちに生方の前に行きそうになった。その前にAmazonプライムでエルレのドキュメンタリーを見ていたし、思い返せば色々と繋がっていたと思う。なんでSupernovaが聴きたかったかはよくわからないけど。ライブの後からは会議でも、場の雰囲気悪くなるからなぁとかはあまり考えず、言うべきことは言うようになったと思う。(実際に場の空気を何度も悪くしている。)協調性を欠いているわけではなく、言いづらいことを言っているつもり。

でも、気分的にはこっちかな。

死ぬまでに何かを残したいとか、誰かに大きな影響を与えたいとかはない。だけど、自分らしく生きてるだけで周りに影響を与えられるとしたら、それは憧れる。影響の程度は小さくていいし、そのことは知らなくていい。そのくせにすぐ周りが気になってしまうから嫌になるね。「周りと違ってもいい」っていうのが、「本能的にみんなと同じだと安心する」ってことに抗いたいだけかもしれない。自分らしいと思える生き方が結局1番難しい。

こうやっていつまでも頭抱えながら生きてるぐらいが丁度いい。

今後ともよろしくお願いします。

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