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【弥生時代】〜手作りの銅鐸編〜

川原堂の作品紹介記事です。前回は縄文時代について紹介しましたので、今回は続く【弥生時代】について紹介していきます。
今回は手作りの銅鐸に挑戦してみました!
素材は銅じゃなくて粘土なので粘鐸になるかも。

まずは簡単に弥生時代についてのおさらいです。

・弥生時代について

弥生時代(やよいじだい)は、縄文時代の次に位置する時代で、水田稲作の始まりから、三世紀に巨大古墳が造営され始めるまでの時代を指します。

弥生時代の名前は、明治十七年の調査で初めて弥生土器が出土した東京の本郷弥生町遺跡にちなんで、この土器を弥生土器といい、その時代を弥生時代というようになりました。

稲作は共同作業で行われるため、人々は水田の周辺に村を営んで集団で定住、また、穀物を貯蔵する高床式倉庫を造り、共同で管理するようになりました。
安定的に食料を確保することができるようになり、人口は増えましたが、備蓄が可能になったことにより、集落内外での格差ができてきました。
また、農耕に関わる祭りが行われるようになったのもこの時期です。

弥生時代に金属器の使用が挙げられますが、青銅器は主に祭器として、また鉄器は主に農具や武器として用いられました。

・銅鐸について

銅鐸は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
明確な用途は不明だが、祭祀に使われたという説が有力である。
豊作の祈願など、祭りに祖先の霊を招くために鳴らしたとされる。
銅鐸の表面には動物や狩の様子、農作業の様子などが描かれるものも多くある。
(Wikipediaより一部引用)

・制作について

銅鐸を制作するまでには、土偶しか作っていなくて、素材もオーブン粘土しか使ったことがありませんでした。
土偶との大きな違いは、実際の銅鐸の素材が金属であること。質感が全く異なるため、素材を変更して制作することに決めました。
今回使用した素材は【石粉粘土】。


金属っぽさは塗装で出そうという計画で、色が塗れる材料にしたかったためです。

銅鐸の構造的に中身は空洞であることから、空洞での成形でスタートしてみましたがすぐに断念。
想像してもらえるとわかると思いますが、柔らかい粘土の形を維持したまま形を成形していくことがとても難しいのです。
どうしたらいいものか考えた後、【芯材】を使うことに決めました。

発泡スチロールのブロック。川原堂の制作材料はほとんど100均から調達しています

100均で売ってる発泡スチロールのブロックをカッターで切って大まかな形を作っていきます。

カッターで削り、滑らかな形になりました

銅鐸の内側にくる部分なので、イメージする銅鐸よりもひと回り小さなサイズに切り出します。

芯材ができたら、そこに粘土をペタペタと貼り付けていきます。

完成形に近い型があるだけで、随分とスムーズに作ることができました。

表面に模様をつけて乾かします

〜数日後〜

乾燥した銅鐸に色を塗っていきます。

なんとも言えない錆っぽい色を出すのが難しい。

完成しました。
金属っぽさの再現は難しかったですが、こうして色を塗ることでできる表現が大きく広がるのはいいですね。

今回初めて芯材を使ってみたりと、作品としては実験的な取り組みとなりました。
しかし、考えてみると紀元前の昔から、こんなに精密で細かい模様を、【鋳造】の技法で再現できていたことに驚きです。
作品を通して弥生時代を想像してもらえたら嬉しいです。


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