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拠点ストーリー

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「ここにいる私が好き」地域で拠点づくり、居場所づくりをしているcircle連携拠点のオーナーさんにインタビューしました。拠点ができるまでの経緯やオーナーさんの人生についてお聞きし…
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#拠点ストーリー

海外放浪から市議会議員になった私が、茶畑の中で拠点をつくった話。

話を聞いた拠点オーナー 天空の茶屋敷 (福岡県八女市) ー治郎さんが、八女に移住するまでのご経緯を教えてください。 18歳から自衛隊にいたんですが、自分の知らない海外への好奇心と、半ば日本社会から逃げるような形で、海外放浪の旅を始めました。 24歳でバックパッカーになり、約6年間で65カ国程訪れました。ニュージーランドやカナダではワーホリもして、カナダでは犬ぞり操縦士のお仕事なんかもしてました(笑) ヨーロッパにいた時は、「自分らしく生きる」ことや「人生を楽しく自由

海、山、川、芝などの大自然に魅了された私が、大山の魅力を伝える拠点を作る話

話を聞いた拠点オーナー シゴト場カケル(鳥取県西伯郡大山町) ー鳥取大山に移住した経緯を教えてください。 大学卒業後、広告代理店で2年ほど営業のお仕事をしながら、休日は興味あることに関わってました。その中でボランティアで参加した「宮城県の廃校を旅館にするプロジェクト」がWEB求人を出していたんですよね。それをチェックした時に、本当にたまたまそのWEB求人の一つ下に「鳥取大山で観光プロデューサー職を募集します」という求人を発見したんです。 「地域おこし」や「観光」に興味

「いいとこどり」ができる富士で、ゲストハウス・コワーキングスペースを運営している二人の話

話を聞いたオーナーGUESTHOUSE 富士と碧(静岡県富士市) 東條さんは、どうして富士でゲストハウスをはじめることにしたんですか? 東條さん(以下敬称略):富士は地元で、もともと将来地元でお客様と繋がれる仕事がしたいと考えていたんです。私は昔から旅が大好きで、学生時代から日本や世界の色々な場所へ訪れていて、大学卒業後に神奈川の鉄道会社へ就職して、その後地元ホテルに勤務していました。 富士は東京へも1時間で行けたり、自然を感じたければ山もあれば海もあります。「そんな地

祖父の地元三豊に戻ってきた僕が、地域と人を繋ぐ活動をしている話

話を聞いたオーナーPrivate Chill Baseたまて(香川県三豊市) お祖父さまの地元である香川県三豊市で「Private Chill Baseたまて」をはじめられたきっかけを教えてください。 僕は埼玉で生まれ育ったので、祖父の家がある三豊市は、子どもの頃に夏休みなどにたまに訪れるくらいでした。その後、東京で働いて駐在でミャンマーに住んでいました。帰国後、祖父の家が売り物件になっていたので自分が買い戻して、宿泊施設を始めることにしたんです。 三豊市には半島があり

オーストラリアの旅で人生が変わった僕が、地元北海道でゲストハウスを立ち上げた話

話を聞いたオーナーVACILANDO(北海道勇払郡安平町) ROYさんの「旅」に関する経験を教えてください。 僕の初めての旅の思い出は、学生時代にワーキングホリデーで2年間滞在したオーストラリアです。海外に行ったのもこれが初めてでした。この時にオーストラリアの東半分を自転車で周ったんです。 自転車旅で、行く場所もスケジュールもやることも全部自分で決めて旅をしている中で、すごく「自分で人生を生きている」という感覚がありました。旅が「自分の人生を自分で決めていく」体験だとい

南国に憧れていた都会暮らしの私が、石垣島の自然にあっという間に溶け込んだ話

話を聞いたオーナー沖縄県石垣市 Koi邸 石垣島への移住のきっかけを教えてください。 南国に憧れがあって。20代の頃から、「老後は南国に移住したい!」という漠然とした夢を持っていました。実は当初は、海外への移住を目標としていたんですよ。でも30代に入って、持病などによる通院などをきっかけに、海外に移住すると言葉や医療・治療に悩まされることがあるかもしれないと思い、国内の方がいいのでは、と徐々に思い始めました。 その時はまだ「移住するなら絶対に沖縄!」と思っていたわけでは

「地域のために人知れず頑張る人はかっこいい」。 新聞記者だった僕が旭川でゲストハウスを始めた話

話を聞いたオーナー旭川公園ゲストハウス(北海道旭川市) 旭川公園ゲストハウスの立ち上げの経緯、松本様の想いなどをお聞かせください。 北海道には、高校生のころ興味を持ったんです。学校の修学旅行で委員をしていて、そこで修学旅行の企画をしていました。「せっかくみんなで行くのだからユースホステルに分散して泊まって、最終日に合流してどういうことをしてきたか持ち寄ろう!」と言って自分が中心になって企画していました。でも、その時は学校側と旅行会社側で既に話が決まっていて、結局普通のホテ

勝浦の海に魅せられて。勝浦に移住して、シェアハウスと朝市に取り組んでいる話

話を聞いたオーナー興津SUZUEI(千葉県勝浦市) 勝浦に移住した経緯や、興津SUZUEIを立ち上げた経緯を教えてください。 勝浦には高校生くらいの頃から憧れていました。地図も持たずにバイクでドライブしていてホントに偶然で、目の前にファーと広がった白い砂浜とエメラルドグリーンの海。「千葉にこんな海があったのか…」と感動したんです。それ以来「いつか住みたい」と思っていたのですが、中々機会もないまま年月が経っていました。 都内ではWEB系の仕事等でそれなりにハードワークをして

東京の生活に違和感を感じてUターンした僕が、岡山・奉還町でチャレンジを続けている話

話を聞いたオーナーKAMP(岡山県岡山市) 北島さんの現在の活動に至る経緯や、岡山で滞在施設を始めたきっかけのお話を聞かせてください。 まず、私は以前は東京の会社に勤めていたのですが、東京の暮らしに違和感を覚えるようになってきまして。退職した後、地元だった岡山にUターンをしました。 その後、2008年に岡山市の商店街でアウトドアウェアを中心としたアパレルのお店をスタートし、色んなフェスティバルに出店して服を売っていました。 商店街自体も、私の学生時代はよく行く古着屋さんが

田舎暮らしに憧れがあった私が、地方移住して滞在拠点を始めた話

話を聞いたオーナーLacoma(和歌山県西牟婁郡すさみ町) 和歌山県・すさみ町でゲストハウス「Lacoma」をオープンした経緯をぜひ教えてください。 まず、「Lacoma」の名前の由来は、LIFE(人生)、CONNECT(繋ぐ)、MOTHER(母)をくっつけて作った言葉で、人と人との人生を繋ぐ、母親のような場所にしていければ…という気持ちで始めました。 私は以前から田舎暮らしに凄く憧れを持っていました。そんな中、普通に会社員として日々を過ごしていたのですが、2015年頃

日中、そして観光を超えた交流の橋渡しとなる場所を作った話

話を聞いたオーナー日本宿屋168(大阪府豊中市) 今回circleの滞在拠点として連携いただける豊中市の施設は、どんな経緯で開業されたものなのか教えてください。 私は大学で中国語学科を卒業していて、中国へ留学もしており、中国の方と結婚をしました。中国語通訳案内士、日本語教師、日中友好交流活動企画の運営や訪日観光客誘客のサポートなどに以前から取り組んでいたんです。特にアジア、中華圏からの観光客との接点作りが多かったですね。その中で、ただの観光ではなくより踏み込んだ内容を作っ

映画監督である僕が、 縁もゆかりもなかった地方で滞在拠点作りを始めた話

話を聞いたオーナーLittle Okawood(福岡県大川市) インタビュアー 紺谷:完山さんは、元々福岡ご出身、大川市ご出身だったんですか? 完山(以下敬称略):いいえ、全然違うんですよ(笑)出身自体は特にゆかりはなく、関西出身です。 僕は実は映画監督なんですよ。 ずっと映像の仕事をしてきていて、短編映画を撮る際に初めて大川市に撮影の現地視察のような形で来たんですね。そして、大川市を舞台に映画を撮ることになり、撮影を続けていて市の人の話を聞いていた時に、町に対する愛情