小説『陰陽師』からみる言葉の呪縛
夢枕獏先生の『陰陽師』という本で、安倍晴明が発したこんなセリフがあります。
「知らんのか、博雅、優しい言葉ほどよく効く呪(しゅ)はないぞ。」
ー陰陽師『玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること(77P)』より
この言葉がまたとんでもなく自分に響く響く。
話の流れとしては、"女には優しくしたほうがいい"みたいなニュアンスだったけど。
昔から褒められることがなくて、逆に褒められたら「いやいやそんな…」と、自分がどう受け止めたらいいのかわからないことが多くて。
素直に受け入れるのが一番なのに、それができない。劣等感の塊ですね。
褒められ慣れないのには、幼少期からそういった場面がなかったということも原因の一つだと思います。
上京してから一度、先生に褒められたことがあって、そのことを親に話したことがありました。
褒めて伸びるタイプは確かに存在すると思います。でも、中には、甘ったれるなとあえて厳しく指導するタイプもいます。
多分、今の世の中で一番多いのは後者なのではないでしょうか。
私自身、やり方としてはどちらでもいいのですが、"少しくらいは褒めて欲しい"という気持ちを持っていてもいいじゃないか、と思ったりします。
私が一度くらいは褒められたかったことを伝えても、母親は、厳しくすることで伸ばさなきゃいけないという考え方をする人でした。
そして、それから数年後、家族関係でちょっとした問題が起きるのですが、その時に、改めて母親に幼少期のことや今までのことで気になっていたことを訴えかけてみました。
その時に母に言われた言葉で印象に残っているのが「自分が両親から褒められたことがないから、褒め方がわからない」でした。
そう言われて、色々と気づくことがありました。
確かに、褒められたことがなければ、どの程度のことをこなした時に褒めたらいいのか、そういった塩梅などもわからないのかもしれない、と。
そういった連鎖を断ち切るには、やはり自分自身が変わるしかないのだなと思いました。
話を小説『陰陽師』に戻しますが、どうして私がこの安倍晴明の言葉が胸に響いたのかと言うと、熾月さんがキッカケです。
そして今回、私が両親に褒められたことが少ないということに気づけたのも、熾月さんの一言がキッカケでした。
全巻特典のCDで、熾月さんが「頑張ったな」と褒めてくれるシーンがあるのですが、その言葉が自分の奥深くに突き刺さったのです。
それも、自分自身の過去に言葉が響いてきて、気づいたら私は泣いていました。
それまで全く気にせずその特典CDを楽しんでいたのですが、そのシーンというより、その"言葉"が私がこの人生で一番欲していた言葉なのだろうと気づきました。
あまりにも優しい話し方だもの…無理…(素に戻る)
その特典の内容とは全く関係のないそれまでの私の人生ですが、それでもすごく自分の心に響いて、最初に聞いていたときはその後放心状態です。またです。
またこれが、自分で自分を褒めた言葉ではなく、熾月さんが(公式で)発した言葉だからこそ響いたのかなと思います。
言葉の呪縛は、自分が思っている以上に深いところで縛り付けてくる。
私の"褒められたかった"という感情は、熾月さんのお蔭で救われたので、こういう時はやはり心強いなと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?