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抵抗するオレンジ

土台を揺るがすようななにか大きな出来事に出くわしたとき、人の心のなかでは人生観の変化だとか価値観の逆転だとかいう劇的な変化が生まれるようです。
ようですと書いたのは、自分はまだそこまでの経験をしたことがないからです。
苦しいときには助けてくれる人がいて、(お金があるという意味ではなく)それなりに恵まれていて、かつ大きな喪失体験もしたことがない(と思う)ので、そんな自分にとってみれば大きな出来事でも、周りから見ればそれほどではないのかもしれません。
そう思ってしまうところがあります。 
控えめに書かなくとも事実、自分が経験してきたような出来事は、ものの見方が変わってしまうほど重大なものではないのでしょう。

梅雨の晴れ間に見た一連の光景を、人生観が変わるほど感動した!などと大げさに書き立てるのは、それもあってどうも気乗りがしません。
言葉は絶えず流れている考えや感情を一時的にでもせき止めて保存しておくには便利かもしれませんが、使い方によってはとてつもなく軽いものになってしまいます。
その一方で、野暮だと思っても表現しなければ伝わるものも伝わりません。
やや説明が多いかなと思うくらいがちょうどいいというのも、いくつかものを書いているうちに学びました。
立ち話で人に話す時はこういうはずです。
感動した、夜景最高だった。
実際、心からその言葉が出てくるような光景でした。
必ずしもそうはいかないのが、文章だと思います。
センセーショナルに書いたほうがいいのか、(お得意の)淡々と書くような文体のほうがいいのか。
その揺れ動きの中、なるようにしかならないと記憶を遡りながら書いていきます。

6月半ばの岡山は週末にかけて快晴でした。
6月の紫外線はことのほか強いと聞きますが、上を見上げてみれば真っ青ななかにうすく縮れた雲が伸びている空があり、そこから降り注ぐ光線は普段の何倍もの威力がありそうです。
マリンライナーで岡山駅から30分弱かけて、遊覧船のりばのある児島に着いたのは18時半ごろ。
まだあたりは明るく、昼間の熱も残っていました。
自分は車窓から集落を眺めては、そこでの生活に思いを馳せるのが好きで、ここに至るまでの旅でも「無人駅なのに意外と新築っぽい家が多い」とか「茶屋町から一気に地方都市っぽくなる」とか窓に顔を付けてあれこれ観察していたのですが、いくつものトンネルをくぐり、田畑を抜け、山あいの駅を何個か通過した先に広がっていた児島の街は、そこだけで生活が完結しているのが容易に想像できるほど生活感に満ちていました。
ホームセンターに大きめのスーパーと、西松屋まであります。
瀬戸内に面する岡山最南端の市である児島、かつて数少ない本州と四国の繋ぎ手だった「宇高連絡船」が出ていた宇野市とならび、おそらくは瀬戸内の玄関口として古くから名を馳せていたのでしょう。

駅から遊覧船のりばへの道は5分ほど。
思っていたよりも児島は都市で、海あいの街にもかかわらず海の気配をあまり感じません。海へ向かう方角も分からず、着いたはいいけどさてどこにのりばがあるのかしらとしばし迷っていたのですが、歩道橋を超えて左手前方に南国植物っぽい木が並んでいるのが見えました。
もうすこし目を凝らしてみると薄い青の平面にぶつかりました。
たぶんあれが瀬戸内海なのでしょう。
観光船のりばのある建物は、その光景のすぐとなりにありました。
三角屋根のついた白色ベースの平屋の建物は、ところどころにできた黒ずみで歴史と長年にわたる潮風の攻撃を暗示しています。
なぜか建物の天井には大きなタコの剥製が。
受付と待合室を兼ねた施設の中には簡単なパンフレットとこれまた歴史を感じさせる長椅子が、予約で集まった人数にしては広すぎるくらいのスペースに列をなして整然と置かれていました。
差し込んでくる光は薄めたオレンジ色をしていて、徐々に斜めに傾いてきていることから時間が確実に過ぎていることはわかるのですが、それでも青空のほうがまだ優勢です。
児島から何時間かに一回出ている遊覧船ですが、わざわざこの時間の”ナイトクルージング”を狙ったのは夜景を観るためでした。
ばっちり暗くなったところでライトアップされる水島や児島の町々を瀬戸内海から眺めてみたいがために予約したのです。
こんなに日の入りを気にするのは生まれてはじめてかもしれません。
出航の19時が近づいても、まだ出るには早いのではないかと無駄に案じてしまうくらい空は明るかったです。

ナイトクルージングは冬季以外の毎週末に開催されているようですが、雨が降ったり曇り空だったりしたら醍醐味も半減ですし、長袖が必要な時期だと潮風にあたって寒くて仕方がないことでしょう。
暑すぎず寒すぎず、しかも天気は快晴と、この時期はかなりベストに近いタイミングだったかもしれません。
そんなベストコンディションだったため、お客さんは定員の60名いっぱいなのかなと思いきや、どうもその半分もいなさそうでした。
岡山観光をして思ったのは、人がほどよく少ないことです。
後楽園や岡山城、さらには倉敷の美観地区など、真っ先に挙がるような有名観光地にはもちろん観光客が集まってはいるのですが、どこも”そこそこ”という程度に留まっています。
唯一多いなと思ったのは、岡山から宇野に向かう列車にバックパックみたいなものを背負った外国人が大挙していたことでしたが、同じく宇野で降りたかれらが向かったのは小豆島や直島に繋がると思われる連絡船の方向でした。
梅雨の時期に珍しく週末通して晴れ間が覗いたこの期間、どこに行くにしてもさぞにぎわっているのだろうな...という予想はありがたくも外れました。
おかげでかなり快適な旅が出来ました。
今やどこへ行くにも(外国人)観光客だらけで、大都市圏は随分先まで週末のホテルが埋まっていたり軒並み高騰しているという状況。
こんなに魅力的なのに、まだ見つかっていない名所があるのだと、穴場を掘り当てた気分でした。

予想に反して人がさほどではなかった遊覧船は、2階建ての構造になっています。
操縦席のある1階が窓で閉め切られて空調の効いたスペース、そして小さな外階段を通じて上った先にある2階部分が吹きっさらしのデッキというつくりでした。
人数はさほどではないといえどそのうちの大多数の方はデッキのほうに登られ、そちらのスペースは早々に埋まりました。
そこまでこだわりもなかった自分は、操縦席の右後ろにある前方椅子のほうに腰かけることとしました。
そこからなら操縦の様子もよく見えるだろうというくらいの気持ちで陣取ったのですが、結果的には一番いい場所を引き当てたような気がします。

こちらも年季が入っていることがよくわかる船です。
修学旅行のひとクラスぶんくらいならちょうど良い感じに収容できそうですし、実際修学旅行生を運んだことは何度もあるのでしょう。
やや力を入れて硬い窓を開けると、磯の香りの上からガソリン特有の焼け焦げたような匂いが漂ってきました。
なんだか学校の遠足などで乗ったバスの匂いを思い出します。
車酔いがひどかった自分にとってバスで過ごす時間は苦痛でした。
その一つが匂いでした。
普通の自家用車以上に、バス特有のあのガソリンの匂いと、細長くて窓もさほど開かないことで充満した嫌な空気は、乗り物が平気になった今でもなかなか身体から抜けそうにありません。
当時はあの独特な匂いが気持ち悪さを誘発してきたのです。
小刻みに船体が震えているのもバスのアイドリングストップを思い出します。
澄んだ潮風も、ガソリンの匂いの前には無力でした。
未だ明るい陽のなか、条件反射的にむかしの記憶がよみがえってきます。
そういえば、小豆色に塗りこめられた座席のシートや天井、「救命胴衣は椅子の下に入っています」の赤地に白の文字などにはどこか懐かしさがあり、昔乗ったおじいちゃんの車も思い出されました。

波止場にロープ一本で係留されていた船はやがて、予約した全員が乗り込んだのを確認して大きく動き出しました。
操縦するのは若いお兄さん。
大きなフェリーやクルーズ船ならもう少し係員の方もいるのでしょうが、このくらいの規模であれば何もかも一人での仕事です。
お兄さんが自らロープを外し、そしてそのまま操縦席に乗り込んできました。
全面ガラス張りの”特等席”には、いくつかのレバーや役割のしれないボタンやらが並んでいます。
右側には小さなテレビモニターのような画面が見えました。
黄緑色の模様が放射状に広がっています。
よく観察してみると、どうやら魚影を探知するレーダーのようです。

若いお兄さんは手慣れた様子でレバーをあやつり、船体はまずバックし始めました。
右側に波止場があり、船は前方の突き当りギリギリに位置していました。
方向転換のために一旦下がります。
大きく下がった後左に舵を切り、船首はだだっ広い海と向き合いました。
一呼吸空けて海の方に進んでいきます。
ゴールは水島コンビナートの夜景。
その間に小さく浮かぶなんとか島をいくつか通り過ぎ、瀬戸大橋を仰ぎ見る予定です。

加速し始めた船は上下に大きく揺れています。
船酔いすらもよぎるくらい大きな揺れでした。
目の前の表示には救命胴衣などと書かれていましたが、これから深まっていく夜の海に万が一投げ出されでもしたらそんなものを付けていても生きて帰ることは難しいでしょう。
振り落とされそうになりながらも、平行四辺形のような窓を大きく開けると潮の香りが室内に入ってきました。
ふと気づいたころには、嫌だったガソリンの匂いはどこかに消えていました。
あまり身を乗り出すと怒られるかなと思いながらカメラを構え、窓から少しだけ顔を出すと、プールの底のような黄緑色のステップが見えました。
ちょっと安心します。
スマホを落としてもまだ救いがあるかもしれません。

段々畑のように規則正しい波が緩やかに流れている海の間を、船はまさしく切り裂くように進んでいきます。
船体と海が接するところから半径2mのあたりには真っ白な飛沫が立ち、船と逆行する白い波はざらついた音を響かせていました。
ふと船の横で魚が跳ねているのが見えました。
細い飛沫が弧を描いています。
よく見てみると、どうやら魚ではなさそうでした。
船が波にぶつかって生まれる飛沫は、多くが白波となって同じような挙動をしていたのに対し、そのうちいくつかの海水は違う動きをしていたのでした。
ここから見ると一滴ほどの小さな飛沫の子供が、驚いたように跳ね上がるときがありました。
魚が水面にぶつかって生まれていたものとおもっていたそれは、不規則な動きをしていた小さな水分子だったのです。

がばっと一挙に掴むように船は波をかき分け、掴みそこねた水が魚のように跳ねていたわけですが、黄緑のステップのお陰で船内のこちら側にまで飛んでくるということはありません。

何個目かの無人島然とした岩場に差し掛かろうというとき、右後ろのほうから漏れ出す光に気づきました。
体をよじって見てみると、山と山の谷間のあたりに燃えるようなオレンジ色がありました。
縮れた雲がその上で手を広げ、山にかかった影は稜線をくっきりとふちどっています。
船の匂いとか波の造形に気を取られているうちに、日はかなり沈んでいたのだとここで気づきました。
それでもまだあたりは明るく、船内の窓際に吊り下げられた小さな灯籠の光はライトアップにはまだ早いのではないかと思うほどでしたが、港を発ったときより明らかに時間は経過しているようです。

岬の最深部から出てきた我々の乗った船は、山で囲まれた地形を出ていき、右に大きく旋回しました。
いよいよ湾外に出てきたという感じです。
とはいっても内海なのですが。

すぐに大きな橋が視界に入ってきました。
紛れもなく、あれが瀬戸大橋です。
ただ自分の注目は、初めて見る巨大な橋よりも、その右側にある沈みかけの太陽にありました。
湾内を走っていたときは後ろでしたが、右に曲がった今は正面に位置しています。
意外と雲が厚くかかった空に見える、刺すようなオレンジ色は、当時の日本の技術の粋を集めたであろう総延長1kmを越える巨大な橋より圧倒的に幻惑的でした。
見る角度によっては鮮やかなレモン色にも映ったり、もっと明るい白昼色に見えることさえありました。
それらを混ぜ合わせて出来たオレンジ色が、少しずつ沈もうとしています。

瀬戸大橋を通過するとき、それまで軽快に飛ばしていた船は速度を緩め、フォトスポットですといわんばかりにちょうど橋の下で止まりました。
真下から見上げてみると、白銀色をした鉄骨がいくつも交差して橋を支えているのがよくわかります。
当然ながら海の上で足場も無い中、どうやってこの規則正しい骨組みを組み立てたのでしょうか。
当たり前のように吊り下げられていますが、海と山という不規則な曲線しかないところにどこまでも真っ直ぐでびくともしない(100年に一度吹くか吹かないかの強風にも耐えられると船内アナウンスで知りました)人工物を作ってしまったことに畏敬を抱かずにはいられません。

橋を越えると水島コンビナートの一帯に向かっていきます。
岬を出たときには煌々と光っていた太陽のあかりはだんだん雲に浸食され、もはや雲の切れ間からなんとか顔を出しているという様相になっています。
海に面した遠くの建物からは照明が灯るようになり、いよいよメインどころである夜景に近づいていった実感が増していったのですが、泣きそうになるほど感動的だったのは、夜に追いやられそうになりながらも必死に抵抗している太陽の光でした。
船首がふたたび角度を変え、やや左に移ったとき、操縦席のある正面の窓から見える夕景がとてつもなく綺麗でした。
いや、見た目としては全然綺麗ではありません。
まんまるな太陽がその形を保ちながら沈んでいくのが綺麗な落ち方だとすれば、雲にまぎれて光が散り散りになった目の前の夕焼けはあまりに不細工でした。
しかしその様子が、重く塗り重ねられていく雲に食らいついて抵抗しているかのように見え、そこに心を打たれたのです。
夕暮れをしっかり観察して初めて知りましたが、太陽が沈んでいく時、空のてっぺんから濃い色が徐々に覆いかぶさるようにしてあたりを夜空に変えていきます。
しっかり重さを感じる雲です。
すでに天井は濃いめのブルーになり、その下のあたりは薄いグレーに変わっていました。
夜への準備がもう整っています。
それでもまだ暗さを感じないのは、昼を閉じようとしている雲を押しとどめている太陽のわずかな光であり、そこに何か共感めいた心の震えを感じました。
光は翼を広げたような模様を呈しています。
瀬戸大橋と違い、今後二度と同じ模様には出会えないでしょう。
時間とともに失われていく色ですが、ここから何かが生まれるシグナルのようにも思えました。

背面以外全て重工業関連の工場や設備に囲まれた水島コンビナートに着いたのは、まだ夕焼けが夜空とせめぎ合っているときだったかと記憶しています。
その様子に見とれていた自分は、関心ごとが夜景にはもはやなく、今にも雲に握りつぶされようとしている夕陽の格闘にすっかり向いてしまっていることにいつしか気付きました。
船首を中心として対照的な翼のようだった陽の光は途絶え、もはや消えかけのろうそくくらいの光しか残っていません。
薄まっているのが明らかです。
当初船酔いすら覚悟していたほどの揺れは、もうとっくに気にならなくなっていました。

名残惜しくも夕陽はその原型をくずし、最終的には細いひし形のような形になって視界から消えていってしまいました。
かといってすぐに暗くならないのも面白いものです。
夕景と夜景の間、名前のない瞬間に生まれた景色は鏡のようでした。
緩やかに凪いだ水面に、重工業地帯のタンクや用途不詳の鉄骨が反射していたのでした。
こちらも池に映る逆さ富士のような端正なものではなく、酔っ払いが筆で一息に書いたような乱れた反射だったのですが、モザイク状になったその模様は海の光沢を現わしているようで、これもまた見入ってしまうところがありました。

針が”夜景”のど真ん中を指したのが分かったのは、船内の魚影レーダーが異様な存在感を示したからです。
黄緑色に見えたレーダーが、蛍光を発していました。
今や船内で一番あかるいのはそのレーダーでした。
暗い中船を出すことは大いにあるでしょうし、むしろ何も見えない夜だからこそレーダーが力を発揮するのだと思います。
よくよく考えれば当たり前のことですが、そんな当たり前のことにも感銘を受けてしまうくらい感覚が幼く鋭敏になっていました。

ここからは200を越える重工業の事業所が林立しているという水島コンビナートの夜景を楽しむ時間です。
休日の夜も絶えず稼働している工場や発電所などからは、車のヘッドランプより小さな径の光がいくつも伸びていました。
その光が水面に当たり、筋をつくって増幅されています。
受付で渡された白黒のマップには簡略化した地図と、著名な企業何社かを挙げてここにこの工場が...などと記してくれていたのですが、そんな事よりも自分は、人間の営みがこんな小さな、取るに足らないような豆粒の光にまとめられてしまうことに空疎の感を抱いていました。
人々の活動や思いなんてものは、少し離れて見るだけでごくごく小さなゴマ粒くらいの点によってしか表されないものなのかもしれません。

空がダークブルーからグレーへと黒に塗り込められていく時、海に集まる光は一層強くなります。
細長い縞模様の塔から、海と平行に赤い光が伸びているのが見えました。
光源の位置や角度からして、灯台の光かと思ったのですが、塔から随分と隙間を空けて放たれているのを見るに、灯台ではなさそうでした。
完全に閉じきってしまったと思っていた夕陽がまだ残っていたのでしょうか。
記憶では、ライトアップされた沿岸部が結構目立ってきた時間帯にそれを見た気がしていて、となると深めの時間帯でしょうから夕陽が見えるなんてありえないような気がするのですが、ともかく一筋の光をそこに見ました。

今乗っている遊覧船を何倍にもしたような巨大なクルーズ船が、漂うように近くを航っていました。東京湾や横浜港などでしかお目にかかれないと思っていた豪華客船は、これからどこに向かっていくのでしょうか。
船は前後左右どこからでも夜景が見やすいように、ゆっくりとその場で回転します。
同じ重工業地帯の事業所でも左右で見栄えは結構違います。
右手側の工場から、白煙が上がっているのが見えました。
先の灯台と勘違いした夕陽があったので、もしかしたらと思いましたが、煙突から吐き出されているもやもやとした気体は他とは一線を画す白で、こちらは煙で間違いなさそうです。
そのとなりでは、うっすら白みがかった黒煙が、間欠泉のように断続的に上がり、いつの間にかモノトーンになってしまった海に白と黒とでコントラストを作っていました。
夕暮れから夜に切り替わったのを見計らって船は水島を離れていきます。
イルミネーションの役目はここまで。
それでも自分は名残惜しくなり、後ろをずっと眺めていました。
少し離れてみるとコンビナートの明るさがよくわかります。
海面は照らされて手前数メートルのところは沖縄のようなエメラルドグリーンに変わっていました。
船が水を突き破って生まれる白い飛沫は、どういうわけか赤みがかかって見えました。
アプリでフィルターをかけたような不思議な色調です。
やがてコンビナートが遠ざかり、ボワッとした光になってその存在をとどめるだけになっていくと、前方の景色はもうすっかり闇に包まれていました。
心細くなるほどです。
海と空の境目が分からず、名もない小さな島々の濃淡で距離感をなんとなくつかみます。

風が冷たくなってきました。
出港したときには想像できませんでしたが、夜の海をそれなりの速さで突っ走る船に乗っていると、潮風が当たって寒いです。
とはいえほぼ夏なので気温的な寒さよりも送風の圧がすごい。
鼻水も出てくるほどなのですが、風圧で反射的に流れるような感じでした。
それでも窓は閉めず、全開にしたままもう今後見ることができるのかわからない景色が去っていくのを眺めていました。
肘を外に出して拳に顎を乗せ、暗がりをみながら考え事をしていたりしていなかったり。
していたとしてもとりとめもない考えだったと思います。

夜の海は案外穏やかで、少し自然なシワやヨレがついたシルクの上をすべっているかのようでした。
なんだか飛沫を巻き上げながら船で走っているのがしのびないほどです。
カメラに収めようとするとうまくいきませんが、こんなに静かな海を見るのは初めてでした。
たまに深呼吸をしてみると、本来するはずの磯のかおりがしてきません。
かすかにかおってくるのですが、そこには海の水分とはまた違った湿気を含んだ、言うなれば森の中にいるようなにおいでした。
草木に囲まれた田舎にいるときの夜のにおいといってもいいかもしれません。

水島を離れると近づいてくるのが瀬戸大橋です。
行きではブルーがかって隆々とした鉄骨を我々の前に披露していましたが、一面夜に変わった今ではオレンジ色にライトアップされ、「A」や「H」の字のように見える橋脚が存在感をもって現れてきました。
この時間でも絶えず行き交う車のライトはカクテル光線のようにきれいでまぶしく、われわれの帰りを迎え入れてくれたかのようです。

瀬戸大橋から再び振り返ると、墨汁をたらしたような海は光源付近でまたも鏡のように光っていました。
船の軌跡は深い黒に覆われています。
橋を越え、しばらくすると児島の街らしきものが見えてきました。
コンビナートの半分にも満たない光量ですが、妙に暖かさがありました。
大抵帰りのほうが早く感じるはずなのに、船の進みが途轍もなく遅く感じます。

シャツを羽織り、出てきそうになる鼻水をすすりながらも窓は閉めず外を見つめていました。ふと思い立って上を見上げると、星が点在しているのが分かりました。
先ほどまでの航路のところには星が見えず、蒸発したように空が白くなっていました。
水島コンビナートのエリアです。
ありあまる光量は、遠景にも明らかだったのでした。
ようやく児島の観光船のりばに近づくと、児島の街にもいくつかの工場があるようでした。
水島とは対象的に光が灯っていません。
1時間半近くの長い巡回を経て児島に帰ってきました。
船内は真っ暗で、窓際の光が頼りです。
久々に歩く陸地にふらっとしながら受付の建物を横切り、もと来た駅の歩道橋までくると、もう一つの偶然に出くわしました。
何かが爆発するような音のあと、空が光ったのです。
太陽が消えていった島のあたりから、花火が上がっていたのでした。
多少うるさい船上でも花火が上がれば音くらいは聴こえるでしょうから、おそらく前から上がっていたのではなく今ちょうど始まったところなのでしょう。
それにしてもこんなタイミングの良さがあるのでしょうか。

船を降りてすぐの出迎えのような花火なんて、こんなタイミングがいいこともないでしょう。
偶然は時として、作りものより作りものっぽい状況を演出してしまうようです。

あの日の光景をひと息に書ききってしまったら、こんな分量になってしまいました。

土日が明け、岡山から埼玉に戻って仕事に行きました。
帰りのホームで、写真を撮っているサラリーマンの方がいます。
どうやら、普通列車と並行する新幹線を捉えていたようでした。
いつも使うこの路線は高架の上にあり、様々な色をした新幹線が在来線のすぐ向こうを通過することから、確かにフォトスポットとしてはいいかもしれません。
会社帰りの時間だと、この季節に高所からのぞむ夕焼けは綺麗です。
でもそんな光景が日常に埋もれてしまっている自分にとっては、わざわざカメラを構えるまでもありません。
夢中で撮っているおじさんの姿を見て気付かされました。
セピアになった日常も、誰かにとってはワクワクするような未知の体験なのでしょう。
そのとき、岡山の児島でみた非日常の光景を思い出していました。


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